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大日乃光






大日乃光

2015年10月02日大日乃光第2122号
「護り生かされている日々に感謝し、恩返しの志を高めよう」

真言宗の僧侶が祈る「国家安泰 万民豊楽」
 
秋のお彼岸も過ぎ、凌ぎやすい良い気候となりました。朝夕は多くの虫達の声を聴きながら、さらには数日前の名月を愛でながら、安らかな一時を過ごされた方も多いと思います。一方で、先月の大水害や当山の近くでの阿蘇の噴火など、天変地異が続いています。

私達真言宗の僧侶は、毎日の朝の祈願で「風雨順次 五穀豊穣」(気候が安定し作物が豊かに実りますように)「国家安泰   万民豊楽」(国が平和で、全ての人々が豊かで平穏でありますように)などの祈願を致します。これは、日本に佛教が伝来して以来の佛教者の願いでもあります。

度々私も本誌でお伝えしていますように、世界や国家の安泰と平穏が満たされなければ個人の幸せもありません。そんな意味で、私達真言僧侶は毎日先のような祈願をしているのです。
 
国民の団結力の衰退と家族のまとまりの弱まり
 
奈良・平安の時代は、国全体の平穏を祈る事が僧侶の大切な役割でもありました。これを〝国家佛教〟と云います。それに対して鎌倉時代以降は、国家の安泰よりも個人の幸せのために祈り、そのために必要な心のあり方を様々に説いて来たと言われています。

近代になると「国家は民衆を弾圧し、搾取するものである」とする考え方が社会の一部に深く浸透しています。その結果、〝国家〟という言葉そのものに反感や反発を覚える人々も多くなりました。

日本では本来〝国家〟というものは、国民全体がさながら一つの家族のようにまとまりを持って睦み合って生きる事を意味していたはずです。そのまとまりを生み出す中心となって頂いているのが天皇陛下のご存在でした。

これが戦後には、「主権在民」という理念によって、「天皇陛下は単なる〝象徴〟に過ぎない」と考える人々が増えてきました。いわば国民を統合し、さながら国民全体の父親・母親代わりの天皇・皇后両陛下であったのが、国民の中にそのようには考えない人々の増加によって、国と国民のまとまりが急激に衰えて来たように感じています。

その風潮は〝国〟だけでなく、最も大切な私達の生活の単位である〝家族〟さえもが、まとまりや団結力を衰退させつつあると感じるのは私だけでしょうか?人の営みの根本的な単位である家族での生活が崩壊しつつある現状が、私達の様々な問題を生み出していると言えるのではないでしょうか?
 
人は何のために生きるのか?
 
「人は何のために生きるのか?」と云う問いかけは、私達に人として生きる根本の目的を考えさせます。

真言宗の開祖弘法大師空海上人様は、『人は四恩の抜済の為に生きるなり』と明言されています。

「四恩」とは、
(一)父母祖先の恩
(二)国土国王の恩
(三)一切衆生の恩
(四)一切三宝の恩 です。

(一)の父母祖先の恩とは、今ある自分の命が父母祖先から連綿と伝わる命の繋がりの中で、今を生かされているという実感の中で、そのご恩に感謝して、さらには恩返しをしようという生き方です。
(二)の国土国王の恩、と言うと先に述べたように国王、つまり天皇陛下の恩などは否定されるべきもの、と考える人もおられると思います。私も若い頃この言葉に対して馴染めませんでした。「こんな考え方は反動的だ」とか「国王などという封建的な制度は認められない」と思っていました。

年齢を重ね日本の歴史を学び直す中で、現在は若い時ほど批判的ではありません。逆に天皇陛下がおられることの有り難ささえも実感しています。

と言っても人それぞれの価値観や考え方まで変えることは難しいので、国土国王を現代的に解釈すれば、私達が住むこの日本という国の大地とそこに培われた文化と伝統を含んだ「社会の仕組み」と捉えれば、全ての人々に理解してもらえると思います。
 
国家の安定が平穏な家庭のモト
 
国土や社会の仕組みへの恩は、かつてのカンボジア難民やチベット難民、さらには現在もシリアから陸続と発生している何十万人の難民の人々の悲惨な現状を見ればすぐに理解できます。

国家が安定し、その統治機構としての政治や社会の役割が充実しているお陰で、少々の災害があっても、国や県そして市町村からの保護や、被災していない地域からのボランティアの支援が確実に行われている状態を見れば、いかに有り難い事なのかが理解出来るはずです。

一方で、私達は国家社会に依存し、社会に保護されている状態を当然のように思っている人も増えています。

しかしその前に、私達はまず自分の事は自分で責任を持ちながら、家族が助け合う事をなおざりにし過ぎていないかを、少し反省すべきかもしれません。

豊かなこの国土と充実した国家社会に感謝する事を、今一度、一人びとりが思い起こさねばならないと思います。さらには私達がこの国土と社会の為に何かできるのか、どんな恩返しが出来るのかに思いを致すべきなのです。

かつてアメリカのケネディ大統領が、「国が何をしてくれるのかを問う前に、我々が国のために何が出来るかを考えて欲しい」と言いました。現代は自分の責任と役割を果たす前に、国への批判や責任を言い募る人が増えています。これでは国家や社会は決して良くなりません。

私達一人ひとりがこの国を造っているという意識と決意を持ち、さらに進んで「自分は国や社会のためにどんな役割が果たせるのか、そしてどんな恩返しができるのか!」を一日の中でほんの短い時間でも考えるべきではないでしょうか?
 
母国のために志を持ち帰った青年達
 
先月の認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の事業として来日した七名のミャンマーの青年達は、最後の寺内の報告会で、

「日本で学んだことを活かして、故郷の為に役立つよう努力します」
「日本の素晴らしさをもっと学び、それを祖国の発展のために活かします」
「規律や清潔な街などの日本の美点を多くの周りの人々に伝え、祖国やふるさとが少しでも良い社会になるよう頑張ります」

などと、青年達の全員が祖国や故郷、さらには社会のために役立つ人間になるという決意を表明してくれました。日本の長所や進んでいる事を彼らは十分に理解し、それを母国や故郷のために活かそうという思いを持って帰って行きました。

少し前の私達の父母・祖父母の世代は、
「仰げば尊し、我が師の恩」
「身を立て名を上げ、やよ励めよ」と先生や先輩、さらには父母祖先を敬いながら、自立した人間として社会に貢献することを目標に努力していました。
 
私達をとりまく命に感謝
 
(三)の「一切衆生の恩」とは、自分の周りの生きとし生ける全てのモノの恩に報いる事です。
毎日三度三度頂く食事の中で水と塩以外は、全てが元々は命を持っていたものです。この多くの命を頂きながら私達は生かされています。もっと言えば、水や空気でさえも、それなくして私達は一日も一分も生きられません。

このように命あるものも命のない無生物も、私達を生かしてくれています。これらを恩恵と感じた時、初めて「生かされている」と実感できます。弘法大師様はこの事を「一切衆生の恩」と表現され、これらの恩に報いることが人として生きる意味であると言われているのです。

更には(四)として「一切三宝の恩」を挙げられています。これはまさに佛教徒として生きる事の表明であります。

たとえ僧侶でなくとも佛教徒でなくとも、尊いものを大切にし、その尊いものの恩恵を感じ、その恩に報いる生き方は、動物として生きるのではなく、人として生きる上で大切な生き方の基本ではないかと思います。

心の中に何らかの尊いもの、尊敬するものをしっかりと持ち続けることが、人として生きる原点なのであります。

父母祖先の恩、社会の恩、身の周りの全ての恩を実感するということは、実は佛教伝来以前の太古からの我々日本人の素直な感性と言ってもよいのではないでしょうか。この感性は日本古来の神道の考え方そのものと言っても過言ではないと思います。

この自然に感謝し、ご先祖様に感謝し、社会に感謝するその心から今一歩踏み出して、それらに恩返ししようという志まで高めた時、「人は何のために生きるのか!」「自分の生きがいは何なのか!」が、自ずから実感できるのではないかと確信します。

ミャンマーの青年達のように、「自分は故郷や国の為に何が出来るのか?」を今一度、一人ひとりが真剣に考え、行動に移す時、私達の祖国日本は再び輝きを取り戻すことが出来るに違いありません。合掌




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