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大日乃光






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2015年10月19日大日乃光第2124号
「第二回『巡拝の旅』西大寺と聖地功徳院で感激の法要」

京都駅で「巡拝の旅」結団式
 
すっかり秋めいて、朝晩はこちら玉名でも肌寒い日々となりました。既に百舌も甲高い初音を澄んだ空に響かせています。
 
さて、先の本誌でお伝えした第二十六回「子供の詩コンクール」が九月二十六日でした。空けて二十七日は朝食を少し早めに済ませて、第二回目の「巡拝の旅」のために九州新幹線の新玉名駅に向かいました。
 
予定通りに京都駅に着くと、総勢三十三名の巡拝団の結団式を致しました。〝三十三〟という数は一佛信仰の当山ではあまり馴染みがありませんが、観音様が身を三十三に化身して人々をお救い下さるその数そのものでもあり、とても縁起の良い人数です。
 
西大寺本堂で一糸乱れぬ三礼
 
まず向かったのが真言律宗総本山西大寺です。西大寺の本堂で信者の皆さんと共にお参りするのは、何と二十五年振りでした。
 
その年は、西大寺を中興された興正菩薩叡尊上人の七百回忌大法要に合わせての団体参拝でした。その時は先代の真如大僧正様もご一緒でした。その際は一座の法要を、当山の教師・準教師、そして信者の皆さんと一緒に厳修しました。後で本山の職員の皆さんや、先輩方にこんな話を伺いました。

「蓮華院の信者さん達は、とても熱心な信者さん達ばかりだ」
「僧侶と在家の信者さんとが同じお経を一緒に唱えているのは良いものだ」
「とても統制がとれていて、清々しいお参りの仕方だった」
「最初と最後の『三礼』は誰が指示するでもなく、一糸乱れず見事な『三礼』だった」
などと多くの先輩方に褒めて頂きました。
 
私達にとっては当たり前の事なのですが、実は三礼を唱えながら、真言に合わせて三礼の動作を一緒に行うのは当山独特な作法なのです。この作法を規定し磨き上げて、現在に至るまでしっかりと続いているのは、先代が若い頃から度々の法要や研修会で信者の皆さんを指導されたればこそなのであります。今回も二十五年前と同じように、大きな声で気持ちの良いお参りが出来ました。
 
本山で一味和合の大茶盛
 
その後本山のご配慮で、西大寺の「大茶盛り」を一緒に有り難く頂きました。この大茶盛は、西大寺を中興された叡尊上人様が七百七十六年前に、新年の法要を無事に修し終えたお礼として、境内近くの八幡社に大きな茶碗でお茶をお供えされ、その後、参集した信者の皆さんに余服を振るまわれたのが始まりです。
 
昭和五十三年十一月の奥之院の落慶大法要では、西大寺から一切の道具と担当者を派遣して頂いて、この大茶盛を開莚して頂きました。その後正式に、西大寺大茶盛の唯一の分流として、当山で度々開莚しています。
さて、この大茶盛は「一味和合」と言って、「一碗のお茶に集う人々がお茶を通じて同志として和合する」という大切な意味を持っています。
 
今回の巡拝は来たる平成三十年の皇円大菩薩様の八百五十年大遠忌を前にして全国の信者の皆さんが大同団結し、皇円大菩薩信仰の法味に一味和合して頂くための起縁にして頂こうという目的で企画したものです。その意味ではまさに、その趣旨を大茶盛という目に見える形で皆さんと共に頂いたのは、本山の有り難いご配慮でした。
 
その後、京都市内のホテルで懇親会を開催しました。お一人お一人の信仰に入られたご縁や、これまでの様々な体験談などを全員に話して頂きました。
 
三大聖地の一つ功徳院参り
 
明けて二十八日は、一路比叡山に向かいました。山上の駐車場に着くと、お二人の僧侶の方が待っておられました。その方々は先代の時代から難民支援などの国際協力で巡り合った天台宗の獅子王圓泰大僧正様と、ご子息の圓明僧正様でした。

思いがけない再会に、比叡山から歓迎されている喜びに満たされました。また、お二方ともご多忙(ご子息の圓明僧正様は比叡山の総務部長)なので、私達のために特別に山内案内の参拝部事務長さんをお世話して頂きました。
 
「根本中堂」をお参りした後、いよいよ今回の巡拝で一番の目的であった「功徳院」にお参りしました。功徳院は皇円大菩薩様が御在世中、長年お住まいになっていた延暦寺の子院です。

皇円大菩薩様が七十五歳の頃、後に法然上人となられて浄土宗を開かれた勢至丸という少年を得度剃髪されたのが、まさにこの功徳院なのです。現在は法然上人が得度された記念すべき聖地ということで「法然堂」と言い習わされています。
 
そして、皇円大菩薩様九十六歳の嘉応元年(西暦二六九年)六月十三日。弟子法然が探し当てた遠州(現在の静岡県)桜ヶ池から汲んで来た浄水を掌中に掬されるや忽然として龍神入定された、まさにその場所こそ「功徳院」なのです。
 
八百四十七年前の龍神入定
 
私を始め一行の皆さんは紅潮し緊張した面持ちで、この日のために特別に受け入れ準備をされていたお堂の中に入りました。まず最初に私から以下の様な話を致しました。
 
「この場所こそ八百四十七年前の六月十三日、法然上人を始めとする多くのお弟子さんに囲まれて、皇円上人、またの名を肥後阿闍梨皇円、そして現在私たちが皇円大菩薩様として信仰しているそのお方が龍神入定されたその場所なのです。御入定されるその前には、多くのお弟子さん達と様々な事を話されたことでしょう。
 
皇円上人様は、『長年修行と学問を修めてきたが、次に再び人間として生まれ変わって来ても、これまでの事は全て忘れてしまうであろう。それでは余りに惜しい。従って長寿を保つという龍神に身を変えて、後の世の多くの人々を救うために修行を続ける覚悟じゃ。この念願が叶った暁には再び世に現れるであろう』
 
その直後、同じく嘉応元年六月十三日の昼過ぎ、遠州の桜ヶ池一帯を所領としていた当時の太政大臣(現在の総理大臣)花山院忠雅卿の館を、霊体となられた皇円上人様が尋ねられます。

顔を合わせるなり忠雅卿は、
忠雅卿「あなたがお亡くなりになったというのはまちがいでしたか?」
皇円上人「まちがいではありません。私はこれから龍神となって貴方の領地の桜ヶ池に入定したいと思います。どうかその事をご了承して頂きたい」
忠雅卿「どうぞ貴僧のお心のままになさって下さい」
この問答が済むと、皇円上人の姿は見えなくなりました。忠雅卿はこのことを日記に『不思議の事なり』と書き記しています。
 
その数日後、桜ヶ池の地から天変地異を知らせる連絡が忠雅卿に入ります。その内容は
〝桜ヶ池に風吹かずして竜巻き起こり、雨降らずして洪水いで、大波たちて池中の塵芥悉く払い上ぐ、諸人耳目を驚かす〟というものでした。
 
忠雅卿はその事を聞いて、『その日時を考うるに、彼の皇円阿闍梨が当家へまかりて彼の池を申し乞いたる日時なり誠に不思議の事なり』(桜ヶ池での天変地異はあの皇円上人様が尋ねて来られて桜ヶ池での修行のために池を貸して欲しいと言われた、まさにその時であった本当に不思議なことである)と書き記しておられます。
 
この事から「皇円上人様は龍神になって桜ヶ池に入定されたのだ」と云う伝説が始まるのです。(人間として生きておられた時代は皇円上人様と呼び、龍神入定なされてからは皇円大菩薩様と呼びます)
私たちは今まさに、皇円大菩薩様が衆生済度の大誓願をもって旅立たれたその場所に今、座っているのです。琵琶湖から吹く風や木々の緑も、八百四十七年前のその事を知っているかもしれません。」この様な話を致しました。
 
皇円大菩薩様の御霊力に浸る奥之院大祭
 
その後、皆さんと共に皇円上人様即ち皇円大菩薩様を偲びながら、心を一つにして真剣にお参りしました。
 
私は三十五年くらい前に、インドで佛跡参拝をした事があります。お釈迦様がお亡くなりになったクシナガラでお参りした時、まだ開山上人様(開山是信大僧正様)がご入定されて程なくでしたので、お釈迦様と開山上人様とが重なって感じられ、お参りしながら涙が止めどなく流れました。
 
今回は先代を偲びつつ、感動の中でお参りしました。信者の皆さんも感動と感謝の中でのお参りだったに違いありません。一緒にお参り出来て本当に良かったと実感した巡拝の旅でした。
 
来たる十一月三日の「奥之院大祭」には一人でも多くの信者の皆さんにお参り頂き、大きな祈りの輪の中で、同心の信者の皆さんと一緒にお参りして頂きたいものです。この祈りの輪の中で、御本尊皇円大菩薩の御霊力の波動に浸って多くのご利益を頂いて下さい。      合 掌




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