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大日乃光






大日乃光

2015年12月03日大日乃光2127号
「24回目の八千枚護摩行を前に今一度仏教の原点を振り返る」

あっという間に今年も残すところ一ヶ月となりました。
全国の信者の皆様には日々をお元気で幸福にお過ごしになられるよう、三日から二十三日までの「八千枚護摩行」に入りたいと心構えを新たにしているところであります。
 
三十五年間、混迷を深めてきた難民問題
 
そんな中、去る十一月十四日は福岡で「アジアの難民問題を考える」というテーマの集い(フォーラム)が開催されました。 私はこれまでの三十五年間に及ぶ「れんげ国際ボランティア会」(アルティック=ARTIC)を通じての難民支援について、基調講演を致しました。
 
振り返れば三十五年前の難民・避難民は世界で千二百万人ほどでしたが、現在は五千九百万人を超えています。冷戦時代に比べて民族間の紛争が増え、経済格差が広がった事が原因だと言われています。
 
皆さんもご存知の中東からの難民が続々と陸路で、または海を渡ってヨーロッパの国々に命からがら逃れています。マスコミなどを通じてこの現状を見聞きする度に、多くの方が胸が締め付けられる思いを抱いておられると思います。
 
恨みと憎悪を克服するための二大聖人の教え

そしてそのフォーラムの日に、フランスのパリで起きた同時多発テロ事件の号外新聞が博多駅前で配られていました。その号外で百二十名を超える犠牲者が出た事を知りました。恨みと憎悪、そして悲しみの連鎖が繰り返されています。人は何故にかくも恨み合い傷つけ合うのでしょうか?
 
『恨みは恨みによって消える事はなく、ただ慈悲(愛)のみによって消える』という釈尊(お釈迦様)のお言葉を改めて思い起こします。また、イエス・キリストは、『汝(なんじ)の敵を愛せよ』と言っておられます。テロを実行した人々にこの言葉が届くよう、心を込めて祈るしかありません。そして犠牲になった人びとの冥福を祈らずにはおられません。
 
私達人類の中でも特に偉大なこのお二人の言葉を、私達がどのように受け入れ、心に刻みつけ、そしてその心を行動に繋げるかを考え続けています。その上で、三十五年間難民問題に関わってきた経験を、先のフォーラムで以下のようにお伝えいたしました。
 
母国語の本を抱きしめ噛みしめて読んだ難民の人々

かつてのカンボジア難民支援で私の心に強く残った事柄をいくつか紹介いたします。先代の提唱で始まった「同胞援助」と「一食布施」で集まった浄財によって、難民キャンプの中に図書館を建設しました。

すると、一人の難民の中年の女性が、私達が復刻したクメール語(カンボジア語)の絵本を抱きしめながら号泣し、地面に座り込んでしまいました。わけを聞くと「この絵本は私が二十年前に書いた本です!」と言われたのです。
 
かつてのカンボジアでは十数年前からの焚書政策で、ほとんどの難民の人々は長いこと文字を読む機会がなかったのです。その女性には改めて、その難民キャンプの中で新たな絵本を書いて頂きました。

その他にもタイとカンボジアの国境近くでクメール語の本を探し、クメール語の分かるタイの僧侶や教師の方々に良い本を選んで頂いて、謄写版(ガリ版)で復刻しました。それらの本をいよいよ図書館に並べると、難民の方々は入れ替わり立ち替わり貪るように読んでおられました。
 
私の幼い頃、周辺の養蚕農家では蚕(カイコ)に桑を食べさせていました。その時の、カイコが桑を食べる時のサクサクサクサク…という無数の音が心に蘇ってきました。

文字に飢えた多くの人々が無心に本を読む様が、さながらあの音に重なって感じられました。「人はパンのみにて生きるにあらず」とはまさにこの事かと、昨日の事のように覚えています。
 
難民キャンプで示された僧侶として生きる決意
 
また、本来佛教徒である難民の人達でしたが、それまでに多くの僧侶が殺されていて、長年お坊さんの法話を聞く機会がありませんでした。

そんな中、私達が提携していた曹洞宗ボランティア会(現在のSVA=シャンティ国際ボランティア会)のスタッフが、クメール語の話せるタイの僧侶を何度となく難民キャンプに連れて来て、集会場で説法をして頂きました。
 
すると難民の中に、「自分も僧侶になりたい!」と強く求める人たちが出てきました。そもそもカンボジアでは、タイと同じように男性は一生に一度は僧侶になることが、最上の生き方だったのです。そしてついに難民キャンプで得度式が実施されました。
 
その頃、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の規定では、難民一人当たりの米の配給は一日に二合程しかありませんでした。そして国際的な取り決めで、宗教活動を行う難民に対しては、米などの配給は一切行わない方針でした。従って難民キャンプで僧侶になった彼らには、全ての配給が停められました。
 
困難な中でも輝いた、佛教徒として生きる喜び
 
南方上座部佛教の僧侶は、全ての生活を信徒の喜捨や布施に依って支えて頂くのが原則です。ですから当然のように元難民の僧侶は、難民キャンプの中で托鉢を始めました。

すると多くの難民達が、ただでさえ乏しい食べ物を、それらの真新しいお坊さん達に寄進しようと、我も我もと並んで待ち構えます。そして感激に震える手付きで僧侶の捧げる鉄鉢に次々と布施をしていきました。
 
一人の老婆に感想を求めると、「十数年ぶりに功徳を積めた!こんなに嬉しい事は無い!」と、目に涙を浮かべて話してくれました。そしてその新しい僧侶たちは、難民キャンプの中で育ち盛りの子供に、その托鉢から食事を分け与えていることを知りました。

そこで私達は図書の復刻と合わせて、少しばかりの米支援を合わせて行う事にしました。まさに信者の皆さんの「一食布施」がそのまま子供達への一食布施になったのでした。
 
布施の文化と支え合いの心が佛教の原点
 
かつてのカンボジア難民キャンプでの難民同士の、布施する難民と元難民の僧侶。布施を受ける側と布施する側の清らかな関係と、言葉は交わさない中に流れる清々しい心の交流。

私自身が若い頃、四国八十八ケ所を一人で遍路した時、一銭も持たずに約一ヶ月間霊場を托鉢しながら歩いたことがあります。その経験と感動が重なって感じられました。
 
南方上座部佛教に育くまれた、素晴らしい布施の文化と支え合いの心に、佛教徒として生きる、僧侶として生きる生き方の原点を、改めて学んだひと時でした。
 
宗教の真価が問われる現代
 
時代も情況も違う、今回のフランスでの悲惨なテロ事件は、解決に向けてどのような道を進むのか、全く先の見えない現情ですが、慈悲の心、愛の心、許しの心が、世界の人びとから消えないように祈り、それに向けて何が出来るかを皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。合掌




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