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大日乃光






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2015年12月09日大日乃光第2128号
「自身の祈りから他者への祈りで悲しみと憎悪の連鎖を断とう」

新たな願いを込めた八千枚護摩行
 
今年も残すところ僅かになりました。朝夕の冷え込みも、少しずつ厳しさを増しております。皆様には風邪など引かれることなく、元気に年末をお過ごし下さい。

本誌が皆様のお手元に届く頃、私は恒例となった八千枚護摩行に入って一週間が過ぎ、この行に体と心が慣れてくる頃です。

今回の八千枚護摩行にはこれまでにない願いを追加しました。それは、「限りない悲しみと憎悪の連鎖が少しでも改善され、平和に向けた兆しが芽生えます様に…」という祈りです。これは言うまでもなく先月十三日にフランスのパリを襲った同時多発テロを受けてのことであります。
 
一神教も多神教も共感できる悲しみ
 
世界三大宗教の中で、佛教だけが、二千五百年の歴史の中で、憎しみや恨みを武力や暴力で解決しようとしたことのない宗教です。

本来、キリスト教もイスラム教も、その教えの根幹は慈しみや愛であり、平和や調和を求めているはずです。決して戦争や闘争を肯定するものではないはずです。また、ほとんどのクリスチャンもイスラム教徒も、先のテロにまつわる悲惨な出来事を深く悲しんでおられるに違いありません。

しかし、このままテロの発信地の『イスラム国』を名乗る過激派組織=ISIL(アイシル)の拠点を空爆し続ければ、たとえ拠点は壊滅しても、次なる報復が繰り返され、更なるテロが引き起こされるでしょう。そうならない事を祈るほかありません。

私達日本人は日本独自の神道を基礎として先祖や自然への感謝の心を育み、加えて佛教の慈悲の心や寛容の精神を知らず知らずのうちに身に付けて来ました。

それに対して一神教の唯一絶対の神との契約に基づく生き方や考え方は、なかなか私達には理解できない所があります。

それと同じようにフランスのリーダーや多くの人々の恐怖や恨みの心も、更にはテロを仕掛けた側の復讐心も深くは理解できないでしょう。

ただ同じ人間として親や兄弟、さらには子供が理不尽なテロによって命を落とす事への悲しみは必ずや共感出来るはずです。そしてテロを実行した人達の親兄弟の悲しみも、同じ人間としてなら少しは理解できるのではないでしょうか?
 
戦時中の特攻は無差別自爆テロではない
 
一部のフランスのマスコミでは、先のテロの実行犯を「カミカズ」(カミカゼのフランス語風発音)と呼んでいるそうです。これは「カミカゼ」に対する間違った理解の仕方です。

ここで日本人の一人として、断固言いたい事は「かつての日本の特攻兵士は、断じてテロリストではない!」と言うことです。

先のカミカゼに象徴される特攻は、無辜の一般の民衆を襲った作戦ではなく、あくまでその対象を軍艦などの軍隊に限定したものであったということです。

かつてニューヨークでの9・11テロの時も、この「カミカゼ」という表見が一部で使われていました。特攻作戦はあくまでも戦争の中での戦闘行為であり、止むに止まれぬ作戦でした。作戦そのものの是非はここでは論じませんが、多くの前途有望な青年達が、日本民族と日本国の安泰を願いながら戦死されたのです。
 
肉親としての悲しみが〝同悲〟への道筋
 
この様な歴史を持つ私達は、この特攻兵士の親や兄弟がどんな悲しみを抱きながら戦後を生きて来られたかを想像することは容易に出来ます。

そんな私達は、理不尽なテロを仕掛けたテロリストの親兄弟の悲しみをも同じ人間としては理解することが出来るのではないでしょうか?
 
特攻に近い意味合いのチベットでの焼身抗議
 
一方で、私達と同じ佛教徒であるチベットでは、九年前からこれまでに百四十名を超える人々(その多くは僧侶)が中国政府による息の詰まるような文化や信仰への弾圧に対して、他に手立てのない中で、まさに止むに止まれぬ行動としての「焼身抗議」が続いています。

「焼身抗議」は自分一人の命を犠牲にしての悲しい抗議行動なのです。例外なく決して他の人を一切傷つけてはいません。

その意味では先の大戦末期に行われた日本の特攻は、追いつめられた日本の現実に対して、一身を投げ打ってのまさに捨て身の悲壮な戦いでした。チベットの「焼身抗議」に根っこのところで民族や国の未来を思うと言う意味では、同様なものを感じ取ることが出来ます。

五十年以上に亘って民族の誇りを奪われ、信仰の自由を奪われた中での最後の文字通りの捨て身の抵抗なのです。佛教的な立場からは特攻も焼身抗議も決して容認できる方法とは言えませんが、ほとんどの焼身抗議の人びとが「チベットに自由を!!」「ダライラマ法王のご帰国を!!」と叫びながら死んでいきました。

満中陰に「怨親平等」の祈りを
 
私は以前からこの「焼身抗議」の人々の供養を続けてきました。今回の八千枚護摩行では、先のパリで亡くなったテロの犠牲者と自爆テロを行ったテロリストを含め「焼身抗議」の犠牲者も合わせて真剣に供養しております。

来たる大晦日は、奇しくもあのテロで亡くなった被害者と加害者の双方の人々の四十九日の満中陰に当たります。皆様もご自身のご先祖様への供養に加えて十分の一でも百分の一でも結構ですから、テロの犠牲者と加害者双方の鎮魂に、心を向けて頂けたら有り難いところです。

皆さんのその思いや祈りは、たとえ小さくても、決してゼロではありません。宇宙の大生命の象徴である大日如来様の、その化身である皇円大菩薩様のみ心の深さとお慈悲の力は、無限の広がりと霊力に満ち満ちておられます。

この皇円大菩薩様に向かって無心にただひたすら祈られるという事は、無限×千分の一(さらには無限×百万分の一)が無限である様に、必ずや何らかの働きが現れるのです。日頃の様々な祈願や祈祷、さらには供養をお願いされる信者の皆さんは、その事を体験的によくご存知のはずです。
 
自分の為の祈りが他者の為の祈りへと広がる
 
私達は自分自身や身近な家族、さらには親しい友人知人が病気や不幸の中にある時、具体的に何らかの手助けをしたり、その人のために真剣に祈ることができます。

その祈りをさらに広げてアジアや世界の苦難や悲惨な出来事の中で悲しんでいる人々の事に心を向けて祈る時、その人の祈りは神佛の祈りに同調し同化して行きます。

地球的に広く深い祈りを続けることによって、その方の祈りそのものが浄化され高められて行きます。そこから、祈る人自身の願いがより確かに叶う方向に向かって行くのです。

自分自身のための切実な祈りが強ければ強いほど、切実であればあるほど、少しでも広く他の人々のためにも思いを広げて祈って下さい。

この様に自分自身の為の祈りが少しでも周りに拡がることによって、その祈りの力が強まって行きます。祈りの対象が広がることは決して祈りの力が弱まることではないのです。こうして祈りの力が増すに従って思いの方向が変わり、心構えが変わり、生活が変わり、さらには生き方が変わってくると信じております。

年末に向かう日々の生活の中で、知らず知らずに積もった心の垢(アカ)を、この様な身近な祈りと広い祈りによって少しでも落として行きたいものです。合掌




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