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2016年08月03日大日乃光第2149号
「お盆の由来とあなたのつとめ ご先祖供養と信仰生活」

【今回のあらまし】

 毎年この時期には「お盆の由来」を恒例として掲載していますが、今回は教学部から伝統的なお盆の由来と先祖供養の大事についてお伝え致します。

これは新しい信者さん方にお盆の由来を知って頂くためのものです。またお正月と並ぶ日本の民族的一大行事であるお盆供養を大切にして頂きたいという貫主様のお考えによるものです
 
お盆の由来
 
今年ももうすぐお盆が参ります。お盆のことを、正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、また精霊会(しょうりょうえ)とも御魂(みたま)まつりとも申します。
 
「盂蘭盆会」は梵語(サンスクリット語)の「ウランバナ」の音写語で、その意味は倒懸(とうけん)ということです。倒(さか)さに懸かけられる(つるされる)苦しみの意味で、苦悩が最も激しい様子を表す言葉ですから、この極重の苦しみから霊魂を救うというのが盂蘭盆会の元来の意味です。

毎年、この時期にお伝えしていますように、お盆供養の功徳は大変大きなもので、現世に生きている私達も、ご先祖様も功徳をうけ、大きな御利益を受けられるのです。
 
このお盆供養の行事が日本で行われるようになった起源が、推古天皇の十四年(六〇六年)であることは、皇円上人の『扶桑略記』に、十四年丙寅四月、丈六の銅像を元興寺金堂に坐せ、大いなる齋會を設くるに、此の夕、寺に於いて五色の雲有りて、佛堂の甍(いらか)を覆ふ。丈六の佛像大いに光明を放ち、光の如く内外を照らす。此の年より始めて、毎年四月八日、七月十五日(旧暦)に齋會を設く。と記されています。
 
また、齊明天皇の三年(六五七年)に須弥山の像を飛鳥寺の西につくり、盂蘭盆会を設けたこと、その二年後の七月十五日には京内諸寺で『盂蘭盆経』を講じ、七世の父母を報謝させたということが『日本書紀』に記されています。

その後奈良、平安時代には毎年七月十五日に「孟蘭盆供養」と称し、宮中行事として供養が行なわれていましたが、鎌倉時代以降、後述の「施餓鬼供養」を併せて行なうようになったということです。
 
父母を探す目連尊者
 
ところでお盆の内容については、『盂蘭盆経』の中で、お釈迦様の十大弟子の一人である目連尊者が、獲得した神通力を駆使して餓鬼道に堕ちた母親の魂を発見し、お釈迦様から母親を供養する方法を教わり、その供養の実践によって母親が無事に往生できたという物語に端を発しています。
以下、その一節を引用いたします。
 
私(目連)はお釈迦様のおかげで『神通第一』と言われる程に、神通力を得ました。そして私はこの神通力(天眼通)によって、亡き両親がどこにおられるかと、先ず父上を探してみました。佛陀界、菩薩界、縁覚界と、上の方から探していきますと、父上は幸にも縁覚界で見つかりました。
 
さて母上はと探しますが、どこにもおられません。四聖界(ししょうかい=極楽)におられないとすれば六道(ろくどう=天界・人間界・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界)ですが、私の両親は少なくとも、四聖界のうちにおられるものとばかり思っておりまして、六道におられるなどとは考えてみたこともありませんでした。
 
まさか! 餓鬼道に
 
私は母上の苦しみを考えるとたまらぬ思いで六道を上から順にさがそうと決心しましたが、まさか六道におられるはずがないと思いながらも上から五段目四段目と探しますうちに、何と下から二段目の餓鬼道(がきどう)に母上によく似た人がおられるではありませんか。

骨と皮ばかりにやせているので、間違いかと思いましたが、それこそ私の母上でございました。痛ましくも、母上は餓鬼道に堕ちておられたのでした。私の驚きと悲しみは何にたとえられましょう。
 
早速、御鉢にご飯を盛り、お盆にのせて母上におすすめ致しました。母上は大変喜んでそれを食べようと手を出されますが、私が持っていったご飯は口に入れる前に炎を発して炭化してしまい、ついに食べることができませんでした。私はそれを見ているだけでつらく悲しくなり、思わず大声で泣き叫びました。
 
そして、お釈迦様の元へと戻り、『どうすれば、母上をこの苦しみから救うことができましょうか』と教えを乞いました。
 
供養の功徳と子孫の力
 
お釈迦様は、『そなたの母者の業は大へんに深く、修行を積んだお坊さんたちの力で救うよりほかに方法はない。また、七月十五日(新暦では八月十五日)の安居(あんご=一定の期間大勢の僧侶が一ケ所に籠って修行する期間)明けに果物や食べ物を供え、清らかな席を作って、集まるお坊さんや有縁の人々にご供養(接待)をしなさい。そうすれば供養の功徳とみんなの力とで、そなたの母者は成佛し、安住の地へ行くことができるであろう』とおっしゃいました。
 
目連尊者は、お釈迦様のおさとしの通りに百菓を献じ、百僧を招いて、母親の霊を供養されると共に、近所の人達に対しても配りものをして「施餓鬼供養」をなさいました。その功徳と祈りによって、目連尊者の母親は苦しみの世界から脱して声聞界に行くことができました。

「盆おどり」はその時の母親のお喜びを表したものであり、また母親が喜ばれるお姿を見て喜んだ目連尊者やお坊さんたちや近所の人たちの喜びを表したものだとも言われております。
 
なぜ餓鬼道へ? 私達への戒めとして
 
お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者の母親ともあろうお方が、一体どうして餓鬼道に堕ちなければならなかったのでしょうか?目連尊者の母親は、それはそれは子供思いの優しいお母さんだったのですが、残念なことに、他人に対して施すことはしなかったのです。
 
他人にものを与えれば、それだけ自分の家の財産が減ると考え、損になることは一切しようとしなかったのです。子どもの目連が友だちと遊んでいる時、我が子にはお菓子やくだものを与えても、よその子にはそれを一つも分け与えようとはなさらなかったのです。
 
世の中は人と人との助け合いによって成り立っています。他人への思いやりや、他人を慈しむ心が人々の幸せと社会の平安のもとになります。悩みや苦しみを持つ人々の相談に乗ってあげたり、お世話をしてあげることは、立派な「功徳」であり、施しになるのです。こうした善行の有無が、その人が死後、六道にさまようか、四聖界に上って成佛できるかを分け隔てる分水嶺なのです。
 
先代貫主真如大僧正様が提唱された「一食布施」は、私達がなすべき善行の一つとして現貫主様にも引き継がれ、蓮華院の信仰の上で大切な「布施行の実践」となっております。これこそ思いさえあれば誰にでも実践できる、現代の「施餓鬼供養」と言えるのではないでしょうか。
 
慈恩に報い反省そして感謝を
 
戦後、日本は大きく変わりました。特に最近では、自分の子供にしか関心を示さない人々が増えてきていると言われています。「自分の子どもさえ良ければ、よその子などどうでも良い」といった母親・父親がけっこう多くなっているようです。しかしこれでは餓鬼道に堕ちた目連尊者の母親と同じことになります。
 
ここで特に私達が心を配りたいのは、「恩」に気付くことのできる感性です。私達は一人残らず、すべてが尊い「恩」の連鎖によって支えられているのです。私達一人一人が生きているということは、それぞれが無数の「恩」の連鎖の中で支えられて生かされているということなのです。

そこで、普段は気付くと気付かざるとに関わらず膨大な恩恵を受けて生きている自分自身が、それらの「恩」に対して一体どれほどのお返しができているかを考えてみて下さい。きっと深い感謝の気持ちを抱かずにはいられなくなるはずです。
 
そして、「有り難い」という感謝の気持ちの大きさに比例して、「申しわけない」という懺悔(さんげ)の気持ち、つまり反省の気持ちも心の底から湧き起こってくるはずです。この両方の清らかな心があれば、自ずと「何とかしてご恩に報いたい」という報恩の意欲へとつながることでしょう。
 
こうしてすべての人々が、祖父母や親兄弟、親戚など肉親から受けた恩、社会の中で他人から受けた恩、そしてみ佛様の慈恩を深くかみしめることができれば、世界全体も、きっと平和な光に包まれていくことでしょう。

逆に、人がもし両親やご先祖様、さらに社会の中で享受している恩恵への感謝と反省の心を失えば、この社会、この世界は一体どうなっていくことでしょう。
 
幸いにも、私達は人としてこの世に生を享け、み佛様の尊いみ教え、皇円大菩薩様の大慈大悲のみ心にご縁を頂くことができました。これは偏に皆様がご両親様の下に生を享けることができたことの幸運、さらにそれぞれのご両親様、ご先祖様方の数限りない善行・功徳の積み重ね、お守りがあってはじめて得ることが出来た大切なご縁なのです。
 
このような有り難いご恩を頂いたご先祖様方をはじめ、亡くなった肉親の方々の御魂(みたま)に対する報恩感謝の誠としてご供養を捧げ、さらには生前お世話になった多くの方々のご恩をも偲びつつ、今年のお盆をお迎えいたしたいものです。合掌




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