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2016年12月05日大日乃光第2160号
熊本震災支援活動は大慈大悲の菩薩行の実践

本震災支援活動は、大慈大悲の菩薩行の実践
 
今年も残すところ一ヶ月となりました。恒例となった「八千枚護摩行」の前行が目前に迫っています。

その中で本年を振り返り、一年半後に迫った八百五十年大遠忌に向け、さらなる未来に向けて思いを巡らせる事でしょう。

そんな中で今年の熊本震災を契機にして、これまで長年信者の皆さんと共に歩んだ奉仕行を少し振り返ってみたいと思います。
 
貧遇孤独の人びとに学んだアルティックの国際協力支援活動
 
本年は四月に熊本震災が起こりましたので、様々な事が劇的に変わりました。特にアルティック(認定NPO法人れんげ国際ボランティア会=ARTIC)を通じての被災地支援は、これまでに経験した事のない規模と内容になりました。

そもそもアルティックは三十六年前の設立当初から、佛教徒の多いアジアの国々への「難民支援」や「貧困児童への教育支援」、そして近年はミャンマーでの学校建設を通じての「農村開発」などを継続的に行ってきました。

これはまさに皇円大菩薩様の菩薩行のお手伝いであり、慈悲の心に基づく具体的な支援活動でありました。この事を通して難民の人々や、貧困の中で教育の機会に恵まれない子供達に対して心を寄せ、思いを集めての「慈悲行」や「一食布施」などの実践が、私達自身のための修行でもあった事に思い至りました。

これらの国際協力活動への募金は、佛様へのお供えとしての奉納や喜捨などの布施とは違うものです。
それは今、この同じ時代を生きている人々が、私達の日頃の悲しみや苦しみとは次元の違う理不尽な社会現象から来る苦しみへの共感、同悲(深い慈悲心)を私達が学ぶ機会でもありました。

具体的には母国・祖国で身の危険にさらされた結果、難民とならざるを得なかった、かつてのカンボジア難民、そして現在も続いているミャンマー難民やチベット難民の人びとの現状などです。
 
「出張除夜の鐘」で、心を温めた国内の支援活動
 
これらの国境を越えた支援活動と同じく、慈悲行の延長線上での国内活動が、二十一年前の阪神淡路大震災や五年前の東日本大震災への支援活動でありました。

その活動は阪神大震災でも東日本大震災でも、今回の熊本震災と同じく、まずは着のみ着のままで不安な中に過ごされた被災者への炊き出しから始まりました。

四月十七日にはその第一回目の炊き出しを開始しました。現場で活動したスタッフからは「二日間何も食べていない中で、皆さんの炊き出しは、地獄で佛に出会った思いでした!」と、手を合わせられたそうです。

この様な炊き出しは、阪神大震災では神戸市須磨区で約一万二千食、東日本大震災では福島県いわき市で約二万食、そして今回も炊き出しと配食などを合わせて約一万二百食を寺内の職員やボランティアの皆さん達とで提供出来ました。

神戸では約一年間の現地での活動でした。その結果、神戸市須磨区に「アルティック須磨ボランティア会」という地元の被災していない人々による組織を立ち上げました。その間、各所の仮説住宅街にコミュニティセンターが出来るまで、様々な人々の出会いと融和を進める活動をしました。

そんな中で、いかにもお寺らしい活動は「出張除夜の鐘」でした。本院にある梵鐘を仮設の櫓ごとトラックに載せて、神戸の街で除夜の鐘を撞いたのでした。年末が近づいてきたので思い出しました。

一方、五年前の福島県いわき市での活動は、神戸での活動と違い距離が余りに離れていて、さすがに多くのスタッフを現地に派遣するには経費がかかり過ぎます。そこで以前何度かお伝えしたように、いわき市内で活動して来られたNPO法人のザ・ピープルさんと提携しての支援活動となりました。
まさにこの発想は、長年の海外での経験に基づいて始まった事と言えるでしょう。
 
経験と実績の蓄積に基づく熊本震災支援活動
 
この様な国内外での様々な経験を経た上での今回の熊本震災でした。これまでと違ったのは、何と言っても車で一時間、遠くて二時間という近い距離である事。それでいて、熊本市内や益城町などの被災地とは、直接的な人的交流が意外なほどに少なかった事でした。

そんな中で、先に触れた二回の大震災の経験は、大変大きな財産になっていた事を実感しました。緊急支援としての炊き出しや配食サービス、各種支援物資の集積と配置などに続けて支援地域を選ぶ時の基準や方針作り。被災直後から避難所、そして仮設住宅へと移行していく、被災者の情況などなど。

特にこれまでに経験した事のない事は、多くの団体や組織からの物心両面の支援の数々でした。そして全国からの三百名を超えるボランティアの皆さん方に、本院と奥之院を中継基地としながら活動していただいた事が挙げられます。

今後もあと二年間ほどは仮設住宅を中心にして、被災者に寄り添う活動を継続的に実施する事が、先のアルティックの理事会で決定しています。

これからは、あくまで被災者の自立と自助を支えながら「あなた達を見守っていますよ!」という適度な距離を保っての見守りの事業です。詳しくはアルティックのホームページや近々発行する機関紙『みろくの風』、そして本誌元旦号をご覧ください。
 
艱難辛苦が利他の心を育てる
 
さて、これは先の奥之院大祭の法話でもお話ししたのですが、統計数理研究所という機関が、昭和二十八年から五年おきに、日本人の生活や精神性など多くの分野にまたがって調査研究を続けています。

この統計を知ったのは、遺伝子工学の世界的な権威である村上和雄博士の講演がきっかけでした。村上博士のお話では、「ある統計によると、日本人は五年前から利己的な人の割合を、利他的な人の割合が上回った。世界でも類を見ない、素晴らしい国民性を持った民族なのです」という事でした。

実際にその統計を調べてみると、奥之院が開創された昭和五十三年には「他人の役に立ちたい」という人の割合、つまり利他的な人は二十四パーセントで、「自分の事だけに気をくばる人」(利己的な人)は六十二パーセントでした。

それが三年前には「他人の役に立ちたい」という利他的な人が四十五パーセントで、利己的な人が四十二パーセントとなり、自分より他人の役に立ちたい人が初めて上回ったのです。ついでに八年前は「他人の役に立ちたい」が三十六パーセントで「自分の事だけに気を配る」は過半数の五十一パーセントだったのです。

村上博士は八年前と三年前のこの違いについて、おそらく東日本大震災で多くの人々が助けあったからではないか?と話しておられました。私も全く同感です。

あと二年後には同じ設問での統計が、この研究所から発表されるでしょう。その時、この「他人の役に立ちたい」という利他的な日本人がどのくらい増えているのかがとても楽しみです。

私達日本人は有史以来、多くの天変地異にさらされ、数多くの苦難を乗り越えてきました。しかも現在ではそれら多くの災害が、マスコミやネットで即座に日本国中・世界中に伝わります。

二十一年前の阪神淡路大震災の時、その数時間後には崩壊した高速道路をテレビが映し出しているのを私自身が観ました。その時、「これは大変な事になった。なんとかしなければ」と思いました。同じように感じた人は世界中におられたはずです。

後で聞いた話では、「気づいたら神戸の震災の現場に立っていた」という若い人にも何人も出会いました。そしてこの平成七年こそ、後に「ボランティア元年」と言われる様になりました。

地震や津波などの天災は起きないに越した物ではありませんが、既に起きてしまった事を後で悔やんでも、そこからは何も生まれません。生まれないどころか人を消極的にしますし、ともすれば健康さえも損なわれてしまいます。
 
利他行の実践が、自分を助け、自分を高める

過去をただ悔やみ、過去に縛られていても、そこからは何も生まれるわけではありません。しかし、そんな中でも人はつらい事、悲しい事を経験する中で、一度は落ち込み立ち上がれない程に弱気になってもいいのです。

悲しみや苦しみを受けている中でも、そこから必ずや希望を見出す事は出来ます。信仰のある人は、悲しみや苦しみのどん底にあっても神佛の恵みを実感する事が出来ます。そうでない人も他の人からの援助を受けて、人の心の温かさに励まされ、そこから勇気をもらう事が出来ます。

この、他の人を援助する事、励ます事、その事が佛様の慈悲のお手伝いなのです。私達も身近な小さな事でも、何か人の役に立つ事をしようと努めたいものです。

このような「利他的」な心から始まる国内外での活動が、その援助や支援を受けた人が次には別な人に、何らかの恩返しとしての行動を起こしていきます。この事がさらに利他的な人を生み出していくに違いありません。

今年は熊本震災、北海道台風、鳥取地震と幾つもの災害が重なりました。そんな中で熊本震災については多くの信者の皆さんを初め、これまで本誌をお届けしてきた各地の御寺院の方々、そして友人知人の方々にたくさんの励ましや数々の支援を賜りました。この場を借りまして、改めて篤く篤く御礼申し上げます。合掌




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