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2017年03月22日大日乃光第2170号
日々の先祖供養と三項目の実践が家族円満への秘訣

皆様が本誌を手にされる頃には春のお彼岸の真っ只中かと思います。当山では今年も十八日から二十二日まで、お彼岸供養を厳修致しております。
 
さて、この時期になると以下の古歌に思い至ります。
春彼岸  悟りの種を  蒔く日かな

まさにこの時期は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、凌ぎやすく過ごしやすい気候になりますので、右のような「悟りの種」を蒔き、私達が佛様になる、または人が佛様に近づくのに相応しい時期なのです。
 
〝サトリ〟の持つ多様な意味
 
世間一般では「佛になる」と言えば、人が亡くなる事と勘違いしている方々が多いようですが…ここで「悟り」とは何かを少し考えてみたいと思います。
 
立心偏( )に吾と書く悟り(サトリ)は、「吾(われ)の心を知る事」と解釈することが出来ます。『大日経』ではサトリの事を、「実の如く自心を知る」事、つまり自分の本当の心をそのままに知る事であると説いています。
 
当山で三十年以上前から行なっている「内観」も、この自分の心を知る大きなよすがですから、今日のように暑くも寒くもないこの時期こそ「内観」の実修に相応しい時期なのでしょう。
 
またサトリを「覚り」と書く場合は、物事の道理をしっかりと見定めるという意味です。これも自分の心を明らかに見るのと同じように、周囲の世界をありのままに見るという考え方です。
 
今ひとつ「諦り」と書くサトリもあります。これは、ただ単に望みや希望を捨てて諦めるという意味ではなく、「物事や自分自身の事をアキラカ(明らか)に見定める」という意味の、諦めるという説明もあります。
 
ダジャレみたいな話としては、サトリとは差別のサを取る、つまり全ての人や物が、本来平等である事を自覚する事がサトリであるという話もあります。二つのサトリの文字を合わせて「覚悟」と書いた時には、強い信念に思い至ります。
 
以上をまとめると、悟りとは
一、自分自身の心の奥底にある本来の自分に目覚める
二、物事の道理を見極める
三、周りの事柄や自分の心をありのままに見る
四、全ての命の平等性に気付く
などとなります。
 
輪廻転生を信じたい感覚
 
これは人が亡くなることによって、「成佛する」とか「佛になる」と言う事とは全く次元の違う話です。
人は亡くなると亡者(もうじゃ)になるのであって、亡くなればすぐに佛になれる訳ではありません。
 
人が亡くなったら遺族や親類縁者の懇ろな供養を受け、そして僧侶の引導を受けて、四十九日後に次の四聖界に往生する、というのがインド佛教以来の佛教の一般的な往生のあり方です。
 
日本人は、その九十パーセントの方が自覚していなくとも、神道と佛教の混ざり合った生活を送っています。そのような私達の普通の感覚では、たとえば祖母が亡くなった頃に赤ちゃんが生まれたら「この子は亡くなったお婆さんの生まれ変わりかもしれない」と、何気なく思ったりします。これは佛教以前から伝わる魂の生まれ変わり、つまり輪廻転生の影響下にあるアジアでの感覚にも通じます。
 
一方で極楽浄土は西方十万億土、つまり西方にあるとてつもなく遥か彼方の浄土と表現されています。しかし私達の身近なレベルでは、すぐそばの山や川や海に亡くなった方々が住んでいる、といった感覚があります。その意味では私達の故郷の山々がまさに浄土であり、先祖の魂が宿る浄地なのであります。
 
日本の風土が生んだお彼岸の行事
 
人が今現在を生きている間に佛になろうというのが、本来の佛教です。佛教とは人が佛になるための教えなのです。しかし、現実にはなかなかそのように簡単に佛になれる訳ではありません。
 
佛教は、お釈迦様が初めて教えを説かれてから二千五百年の間に、インドを始めアジアの多くの国々に伝わりました。その伝わった先々でその国の伝統や文化、そして様々な民族の個性に応じて変化して行きました。
 
一方で日本の気候風土は砂漠のような過酷な環境ではなく、熱帯や厳しい寒冷地でもありません。最近は少しずつ温暖化が進んできましたが、やはりまだまだアジアの他の国々より穏やかで優しい気候風土と言えるでしょう。そんな中で生まれたのが、春と秋のお彼岸の行事なのです。
 
彼岸とは読んで字のごとく、「彼の岸」です。彼の岸に対して此(こ)の岸が「此岸」。
この暑くも寒くもない極楽のような現実の気候の中で、お彼岸の行事が定着したのです。
 
良き伝統が途切れ勝ちな最近のお墓事情
 
この日本民族の先祖を大切にする良き伝統が、日本人の過去の先人や歴史を尊ぶ麗しき民族性となって連綿と伝えられたのです。その中で、家庭生活や社会生活にまで良き影響を与えて来たのです。
 
ところが戦後は、この良き伝統がなしくずし的に減少して来ました。勢い先祖を大切にする伝統も、歴史を尊ぶ国民性も急激に劣化し、近年ではお墓を守れなくなって「墓仕まい」などという事も都市部では急激に増えています。
 
先代の発案で建立された当山の霊園、「蓮華院御廟」は、今年が開創二十五周年になります。
最近増えてきたのは、「今後、子供達の時代になるとお墓が守れないかもしれない…」という不安から、「永代供養」を付けて欲しいという要望です。この事からも、都市部のような風潮が、こちら九州でも少しずつ増えてきた事が実感されるようになりました。
 
お佛壇に手を合わせる習慣を残そう
 
先祖を大切にする思いと家庭生活には、大きな関連性があると思います。家族が朝から互いに挨拶を交わしあう家庭。共に食事を一緒に食べ、家族の団欒のある家庭。父母、祖父母を大切にする家庭などの家々では、当然のように家の中の佛壇に皆がよく手を合せ、春秋のお彼岸には皆でお墓参りをする事が家庭の習慣になって行くはずです。
 
お墓を守れないかも?と思われる家庭では、先のような家族の良き家庭生活が充分に機能していないのではないかと思われます。私達が自分自身の老後や死後にも子や孫達から大切にしてもらうには、先の良き家庭での習慣を率先して実行する事が、いかに大切かと思うのであります。
 
春のお彼岸に当り、年頭にお伝えした三項目、

①互いに挨拶を交わし合う
②食事の時、合掌して「いただきます」「ごちそうさま」をはっきり心を込めて言う
③「はきもの」を揃える

を、しっかりと実践して頂きたいものであります。 合掌




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