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大日乃光






大日乃光

2017年07月13日大日乃光第2180号
魂の依り来たる聖地で御生誕の皇円大菩薩様(二)

大量の刀剣を輸出した日本最古の港湾都市
 
ここ玉名では、奈良時代には在来線のJR玉名駅のその場所に港がありました。今もそこには「大湊」という地名が残っています。発掘調査の結果、国が認めた中では日本最古の港跡だと分かりました。
 
また、それ以前にはこの蓮華院のすぐ南に港があったとも言い伝えられています。ですから古代の港のすぐ傍に、その後蓮華院が出来ているわけです。
 
その証拠にここからまっすぐ南の方に「貴船」という神社があります。そこまで海があったのです。後世に大地が隆起して今では陸になっていますが、奈良時代頃は玉名駅までが海で、さらに遡れば南大門を過ぎた少し先までが海だったのです。鎖国より前には、これらの港から国内だけではなく海外にも様々な物を輸出していた事が分っています。
 
前号で鉄の刀が船山古墳から出土したとお伝えしましたが、室町時代には何と年間二万本もの日本刀を中国や韓国に輸出したという記録が残っています。その名残として日本一の豪刀「胴田貫」があります。〝肥後の胴田貫〟と言われますが、実はここ玉名で造っていたのです。
 
そのような歴史があったので、六年前に南大門落慶と共に開眼した四天王の増長天には日本刀を持って頂きました。その時は古代のタタラ製鉄で砂鉄から玉鋼を作り、刀を造りました。あの時は皆さんにも地元の子供達と一緒に菊池川などから砂鉄を集めて頂きました。かつての歴史を再現しつつ、多くの人達にも四天王顕現に参加して頂きたかったからです。
 
学門の一大拠点だった小岱山
 
日本初の個人編纂による歴史書『扶桑略記』を著されたのは、玉名でお生まれになった皇円大菩薩様です。これは日本三大史書の一つでもあります。
 
また玉名は「日本朱子学発祥の地」とも言われています。実は有明海から舟で沖に出ると海流に乗って中国の上海の方へ行けるのです。時期によって、今度は上海から海流に乗って有明海に帰って来れます。そういう潮の流れが今でもあるのです。きちんと潮目と時期を見極めた定期航路があったのです。
 
鎌倉時代に皇円大菩薩様の縁戚に当たり、皇円大菩薩様が亡くなられた時に四歳だった、後の月輪大師俊 律師という僧侶がおられました。この方はその航路で中国に渡って修行されて、佛教と一緒に様々なものを持って帰られました。そして奥之院のある小岱山の頂上に正法寺というお寺を造り、そこで日本で初めて朱子学を講じられたと言われています。この俊律師は京都の泉涌寺という皇室の菩提寺を中興された方でもあります。
 
 
天狗に列せられた皇円大菩薩様
 
また、江戸時代には『本朝神社考』という書物で林羅山という人が日本の天狗さんの番付を作りました。東の横綱は富士山太郎坊、西は京都愛宕山の栄太郎といった感じです。この番付に西の前頭として「肥後阿闍梨」とあります。肥後阿闍梨とはまさに皇円大菩薩様の事です。これはただ一人、実在の人物名で出てくる番付名なのです。皇円大菩薩様は、江戸時代初期にそのように日本有数の天狗に列せられていたのです。
 
海外への雄飛を受け継いだアルティック
 
近代に入ると、日本人で最初に世界一周をして、世界中でスケッチを描いた木村鉄太は玉名の人です。勝海舟と一緒に咸臨丸に乗り込みました。アメリカを横断して大西洋を渡ってヨーロッパも見て回り、そしてユーラシア大陸から陸路で日本に帰って来ました。
 
アルティック(認定NPO法人れんげ国際ボランティア会=ARTIC)という国際的な支援活動を行う組織がこの玉名に出来たというのは、玉名の人に海洋民族の血があり、世界に雄飛する先人の歴史の積み重ねがあってのことなのかもしれません。玉名に正力松太郎賞や外務大臣表彰を頂くような佛教精神に基づくNPO法人がある、というのも全く玉名の歴史と縁のない話ではないという事です。
 
博愛社の精神が息づく九州看護福祉大学
 
西南の役(西南戦争)の時、まさにこの玉名でも激戦がありました。その時に有栖川宮親王が、敵味方を越えて負傷者を治療し看護する組織として「博愛社」を作られました。
博愛社は後に日本赤十字社に変わって行きますので、玉名は日本赤十字発祥の地でもあるのです。それがまさに玉名で始まっています。背景にそういう歴史の積み重ねがあって、二十年前に九州看護福祉大学が設立されたという事を学生達に伝えています。
 
皇円大菩薩様から生れて来たもの
 
皇円大菩薩様が誕生されたというこの貴重な「種」がここに植えられました。それから七百六十年という歳月を経て、開山上人様と霊的な火花が散らされました。その結果、現在の蓮華院があり、全国に信者さん達がおられ、今の奥之院があり、五重塔や南大門、そして多宝塔へと繋がっているのです。
 
歴史には必ずそれに相応しい遠い昔の人達の智恵があり、文化があり、歴史の積み重ねがあるのです。そういう歴史の積み重ねのない場所には、なかなか花は開かないのだろうと思います。現在の日本一、世界一は何と言っても世界一の大梵鐘です。
 
また海外貿易の航路があり、定期便があったことから玉名に将棋が伝わりました。「玉名は将棋伝来の地」との、元日本将棋連盟の会長であった米長邦雄氏の提唱を受けて「将棋の里玉名実行委員会」が設立され、歴代の玉名市長が会長を務めておられます。
 
日本最大の四天王像が玉名の蓮華院にあります。五重塔と多宝塔を揃えるお寺は日本で唯一だと思います。そういう意味で、この蓮華院は玉名の日本一、日本初に多大な貢献をしているわけです。
 
これらの事を知れば、玉名に住む人はより玉名に愛着を持つ事が出来るのではないかと思います。同じ様に私達は日本の輝かしい歴史と共に、全国の信者の皆さんに玉名の輝かしい歴史を知って頂きたいのです。
 
子や孫に語り伝えたい輝かしい〝虹〟とは
 
今年の四月に亡くなられた渡部昇一さんは、歴史を人々に伝えるという事はどういう事なのかを、あるヨーロッパの文学者の表現を借りてこのように言っておられます。
 
「歴史を語り伝えるという事は、子孫に輝かしい民族の〝虹〟を見せるためのものである。虹とは何かと近づいて分析してみても、水の粒に過ぎない。ところがある一定の方角からある一定の距離を通して見ると、それが綺麗な虹に見える。日本人の紡いできた長い長い歴史を一定の方角から、ある一定の距離で見るとそれが綺麗な虹に見えるのだ」と。
 
先祖に対する感謝や先人達に対する恩返しの気持ち、先祖と自分が繋がっているという事を実感し、命の繋がりとしてみた時に、過去の歴史が輝かしい綺麗な虹に見えるのです。
 
自分の親が亡くなってから、生きていた時の欠点を言い続けるような子供はあまり感心しません。亡くなった親を偲んでお彼岸や年忌供養で集まった時に、うちの親はけちんぼだったとか乱暴でどうしようもなかったとか欠点だけを言う人はあまりいないと思います。
 
人には色んな性格がありますから、ある方角から見ればどうしようもない親父、どうしようもないおふくろに見えるかもしれません。しかし良い位置から見れば、意外に親父は優しかったんだなとか、長所や素晴らしい所が見えてきます。このためには私達の心の在り方が大事だと思うのです。
 
一方で、私達が子や孫達にどういう社会を残せるだろうか?次の世代に何を残せるだろうか?そういう思いを強く強く持って、日本の歴史やもっと身近なものとして、自分の父母・祖父母を見ていく時に、そこに沢山キラキラと輝く宝石の様な、虹の様な世界が見えるまで、過去の事をしっかり見つめて知って行くという事がいかに大事かという事です。
 
子や孫達に「おじいちゃん、おばあちゃんはつまらん人達だった。とにかく世間に迷惑ばかりかけていた」と悪い面ばかり言い聞かせたり、伝え続ける事は決して子供達によくありません。
今、日本はそういう事を教育の現場であまり実行していません。それどころか過去の歴史の欠点をあえて教えています。純粋な学問的にはそれも結構かもしれませんが、公教育の現場でとなると憂うべき事態です。
 
多宝塔と五重塔は家庭における父性と母性の象徴
 
普通の家における父性的な役割と母性的な役割は、「家庭」という言葉が表しています。家とはホームであり、庭は家の外側で社会と関わる部分です。幼少期に母親が家の中でしっかり愛情を注いで包み込み、成長して社会と関わりを持ち始めたら、父親が理性的な判断を加えながら社会との付き合い方を導いていく。父母の役割を一人でしなければならない方は大変だと思いますが、この母性と父性の両方が、右の手と左の手を合わせて合掌するのと同じように、人の成長には必要です。
 
これをもっと言えば父性が智慧にあたり、母性が慈悲にあたります。智慧と慈悲が二つ合わさって初めて正しい信仰の道、未来への灯になり、次世代へ受け継ぐ思いに繋がって行くのです。
 
近年離婚が増えています。離婚した場合は悪口を言いたいそうですね。ところが不幸にも父親が亡くなった場合は「お父さんは立派だったよ」と子供に言い聞かせる方が絶対得です。逆に母親が亡くなった場合もそうです。「母親はあなたの事をとても大切に思ってくれていたんだよ」と言い続ける事によって、子供は親の愛を深く感じる事が出来る。
 
それは人間にとってとても大きな生きる支えであり、未来に向かう力、つまり未来を切り開く力としての智慧に当たると思います。そういった意味で、二十年前に皇円大菩薩様の慈悲の働きを象徴する五重塔が出来ました。
 
そして皇円大菩薩様は六年前に、「智慧の働きを象徴する多宝塔を造り、五智如来様を祀れ」と私に命じられました。多宝塔はもうほとんど外形は出来ています。後は内部を荘厳して大日如来様を始めとする五智如来様をお祀りすれば完成します。
 
まさに来年が皇円大菩薩様御入定八百五十年です。これに間に合うように多宝塔と五智如来様を造れという事だったのだとしみじみ感じております。
 
先祖から子孫へと紡ぐ大切な役割
 
来年の八百五十年大遠忌法要では、まさに智慧と慈悲の二つを象徴する多宝塔と五重塔の二つが揃う事によって、蓮華院の信仰がもっともっと力強く、そして未来に向かって光を発し続けるとても大事な基礎が、今まさに出来ようとしているんだという事を実感しています。
 
皆さんもそれぞれの家庭において、次の世代に信仰をどう受け継ぐのか、そして子や孫にどのように生き方を示していくのか、とても大切な時期に来ていると実感しています。
 
どうか皆さんお一人お一人が、先祖に繋がる自分の役割をしっかりと実感しながら、私達自身が歴史を紡ぐ虹の一粒一粒になって次の世代を導き、小さくても確実な役割をしっかり果たして頂きたいと思います。合掌




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