2017年08月28日大日乃光第2185号
未来の良き日本人を育む一休さん修行会
今年も第六十九回一休さん修行会を滞りなくとり行う事が出来ました。今回は総勢五十四名の参加でした。
受付では、最初に携帯電話・お金・トランプやゲーム等、修行会に必要としない物を持ち込んでいないかを確認します。事前に注意してありますが、発見した場合にはその場で保護者の方にお持ち帰り頂くか、お寺で保管します。
また氏名や連絡先に誤りがないか、食生活にアレルギー等がないかも尋ねます。確認終了後、参加費を納めて頂き、いよいよ修行会が始まります。今回も数人の子どもにアレルギーがあり、万一に備え、対応に気をつけました。
良き生活習慣を根付かせる躾
開講式では貫主様から「良き習慣を身につける事。先生(僧侶)や先輩を大切にする事。『般若心経』が唱えられるようになる事。などを通じて、楽しく有意義な修行会にして下さい」とのお話がありました。
続いて宗務長先生が「修行会では毎回大勢の先生方が皆さんを指導します。ルールを守れないお子さんには厳しく対応します」と話されました。錬成修行会では、特に躾を通じて良き生活習慣を身につけて頂く事を大切にしています。躾とは字の如く、身を美しくと書きます。一般的には人間社会、集団の規範規律や礼儀作法など、慣習に合った立ち居振る舞いが出来るように訓練することです。
修行会では一に「元気な挨拶」、二に「五分前の行動」、三に「履き物を揃える」の三つを基本的な躾としています。また畳への座り方、箸や食器の持ち方などの食事作法も指導します。最初は意識しながら行いますが、慣れると無意識の内に出来るようになります。
普段お唱えする「十善戒」の中の「不殺生」は生き物を助けましょう、「不偸盗」は物品を分け与えましょう、と解釈する事が出来ます。子どもたちが修行会で経験した事をこれから実践し、良き習慣を身につけることが人生を豊かにするための一つの方法であると思います。
回を重ね、着実に成長する子供達
さて、今回の一休さん修行会の中には五回目の参加になる子どもがいました。去年までは兄と一緒の参加でしたが、申し込みの際、ご両親が「うちの子ども達はやんちゃでご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」という手紙を添えられました。
初めは確かに修行に集中出来ない時や、他にも多少の問題がありましたが、お参りや木工作の作業には真剣に取り組み、その姿には感激しました。その子も今年は班長になり、他の参加者への気配りを忘れず、手助けもしてくれました。
閉講式の後、帰り際に「家には御経本が兄の分と合わせて十冊ほどあります。修行会でお唱えするお経は全部覚えました。来年もぜひ参加したいと思います」と話してくれました。三泊四日の合宿を通じて成長する子ども達の姿を感じる事が出来るのも楽しみの一つです。
家庭での両親の呼び方が親を大切にする心を育む
また合宿の中で、家ではご両親の事をどう呼んでいるかと質問したこともありました。すると多くの子ども達が「パパ」「ママ」と呼んでいるようでした。パパはインド語、ママは中国語が起源です。「なるべく日本語で呼びましょう」と指導しました。
お父さん、お母さんの言葉の意味を知らない方も案外多いかもしれません。お父さんの父は、古代の大和ことばで「トト」「トート」と言い習わされ、狩りや仕事をして家族を支えてくれる「尊いお方」という意味です。今ではあまり聞かなくなりましたが、「一家の大黒柱」とも言われていました。
お母さんの母は「カッカ」「カカ」などと言い習わされ、太陽がカッカと照る擬態語が起源です。太陽が遍く照らし、見守ってくれる姿。明るく強く生きる命を象徴する言葉です。
お父さん、お母さんの存在は、それぞれ慈父、悲母という言い方も出来ます。慈父は「心を鬼にして突き放す厳しさ」「子どもに喜びを与えたいと願う心」です。悲母は「命と引き換えても子どもを守る愛情」「苦しみを取り除きたいと願う心」です。どちらも子供にとってかけがえのない存在です。
『仏説父母恩重経』の中には、十項目の恩が説いてあります。最初の恩は「懐胎守護の恩」で、母親が妊娠して出産するまでの恩です。「悲母、子を胎めば、十月の間に血を分け、肉を頒ちて身重病を感ず。子の身体はこれに由りて成就す」十月十日の間に血肉を分け、骨格や内臓を作り上げるため、その厳しさ故に身体は常に重病人のように感じるが、このようにして子どもの体が出来上がっていくのであると。
ところで妊婦さんが酸っぱい物を欲するのは、体が酢酸を要求するからだそうです。酢酸にはカルシウムを溶かす働きがあり、母親は自らの骨の成分を酢で溶かし、胎児へと運ぶのだそうです。出産後に骨が脆くなったりするのはこのためだと言われています。まさに「母に悲恩有り」と感じます。
昨今は幼児虐待や、自宅や車内放置による子どもの死亡など、悲しい事件をよく耳にします。御縁と命を大切に出来ない事に対して、悲しみと憤りを感じてしまいます。
日本人は太陽を生命の根本と考え、信仰してきた民族で、太陽を拝んで生きてきた民族です。普段の挨拶でも「こんにちは」と言いますが、ある地方では太陽を「今日様(こんにちさま)」とも呼ぶそうです。神道では太陽を天照天神としてお参りします。インドのバラモン教では日天子、そして真言宗では大日如来を太陽の化身としてお参りします。
また昔から「こんにちは」「さようなら」「ごきげんよう」は一括りで言われてきました。「こんにちは」という挨拶は「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。なので「こんにちは」とは「太陽さんと一緒に明るく生きていますか?」という確認の挨拶なのです。返答が「元気です」と続けば「さようなら(左様なら)ご機嫌よう」となります。
従って「さようなら。ごきげんよう」の意味は「太陽さんと一緒に生活しているならご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は。お元気ですか」「お陰様で元気です」「さようなら。ご機嫌よう」が基本でした。太陽の有り難さを、我々日本人は随分昔から知っていたのです。
子供達の中に根付く修行会の種
また「無財の七施」の話をご存知の方も多いでしょう。一、眼施 二、和顔施三、言辞施 四、心施 五、身施 六、牀座施 七、房舎施の七つです。「布施」と聞けば金銭の施しを思い浮かべる方が多いかと思いますが、この七つの布施はお金も智力も要らない、だれにでも出来る施しです。
- 一、優しい眼で見つめる。二、穏やかな表情で接する。三、優しい言葉をかける。四、思いやりをもって心を込めて接する。五、身をもって人助けをする。六、自分の良い環境、席を譲る。七、家でもてなしゆっくり寛いでもらうなどです。
修行会で子ども達に「電車やバスで席を譲ったことがありますか?」と尋ねると、半数以上の手が挙がりました。この年齢で、もう布施が出来ている事に感激しました。
今回の合宿では子ども達とたくさんの体験をしました。中でも特に印象に残っているのが三日目の小岱山登山です。帰りの山道で男の子が一人足を挫いてしまいました。ほとんどの子ども達が先に下山する中、一人の男の子が「一緒に下ろう」と手を貸してくれました。私も後に続いて下りましたが、ゆっくりとしたペースで三十分ほど到着が遅れました。ですが、その時の二人の笑顔が今でも忘れられません。
今回の修行会に参加して、見事に修行を成満した五十四名の子ども達が、頂いた智慧の種・慈しみの種をどのように育み咲かせてくれるかを楽しみにしています。合掌
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