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大日乃光






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2018年04月28日大日乃光第2206号
信者一同〝里帰り〟に集いて祝う皇円大菩薩八百五十年大祭

慈母の優しさと厳父の厳しさが皇円大菩薩様の大いなる御心
 
いよいよ八百五十年大祭が目前に迫ってまいりました。
 
この五月は私にとっては生まれ月であり、母の日(今年は五月十三日)もある事から、ことさら有難く思いの深い月であります。そして第二十九回目の「子供の詩コンクール」を始める時期でもあります。
 
全ての人にとって母親というものは自分を生み出して頂いた特別な存在です。まさに「母にあらざれば生まれず。母にあらざれば育てられず」(『佛説父母恩重経』)です。その意味では人は何歳になっても母は有難く懐かしく、時には切ない心のふるさととも言える存在であります。
 
熱心な信者の皆さんにとっては、ある意味で日々信仰しておられる皇円大菩薩様そのものと重なる、何ものにも替え難い心の中の大切な存在であるとも言えます。その一方で私にとっての皇円大菩薩様は、自堕落になっている時は厳しく叱咤激励して頂ける父親のような存在でもあります。
 
このように限りない慈しみで私達を包み込んで頂ける反面、時には厳しい眼差しで私達を導いて下さる厳父のような佛様が、まさに皇円大菩薩様なのであります。
 
信者さんの中には皇円大菩薩様のこのような厳しさは全く感じておられない方が多くおられると思いますが、少なくとも私にとっては慈しみと共に厳しさを併せ持った佛様なのであります。
 
「佛心とは大慈悲これなり」と言われますので、佛様の御心は慈しみそのものでありますが、本当の深い慈悲心はその中に正しく私達を導くために深い智慧から発する厳しさも合わせ持っておられるのです。
 
厳しさの違う、佛弟子への接し方
 
まだ開山上人様がご存命の頃のお話しです。開山上人様に直接接したことのある多くの信者さんは口を揃えて「あんなに優しい方はおられなかった」「お会いしてお顔を拝見しただけでホッとして、何の相談に来たのか忘れるほどでした」などと言っておられました。
 
一方で弟子である私はと言えば、そばにいる時はいつも緊張していて優しさなど感じる余裕はほとんどなかった事を憶えています。多くの信者の皆さんと私とで、このようにその印象や受け取り方が違うのは何故なのでしょうか?
 
つらつら考えて見ますと、父や母が子供を育てる時に子供がまだ幼い頃と青年期とでは、その接し方が違ってくるのに似ているようにも感じます。また女の子と男の子ではその育て方が違っているのにも似ているかもしれません。
 
私は娘しか育てていませんので、どの娘にも体罰を与えた事は一度もありませんでした。
いえ、一度だけ長女を叩いたことがありました。それは寺内で皆さんと一緒に食事をしていた時、長女が他の人にあまりにも失礼な事をしたので、とっさにお尻を叩いたことがありました。その時本人はあまりに驚いたのか泣き出す事も出来ませんでした。そして自分が悪かったと気付いたようです。後にも先にもこの一度だけでした。
 
息子がいたらどんな育て方をしていたのかは想像しかできませんが、敢えて想像してみると今の若い弟子達に対する接し方に近いのかもしれません。一つだけエピソードを紹介します。
 
生涯に一度きりの愛の鞭
 
六~七年前だったでしょうか。早朝の全国の信者の皆さんの為のご祈祷が終わる頃、奥之院の大梵鐘の鐘の音が聞こえてきます。それはいつも決まって朝の六時です。もちろん天候次第では聞こえないこともあるのですが、たまたまその日はいつもより早くご祈祷を始めていた関係で六時よりも早くご祈祷が終わったので、車椅子の妻と奥之院に出かけました。
 
六時少し前に奥之院に着くと、まだ梵鐘を撞く担当の弟子が出てきていません。私が鐘楼堂の基壇に上がって待っていると、すでに定刻を過ぎた頃慌てて走りこんできました。私はとっさの判断で、その弟子を思いっきり一発殴り「遅い!」と一言伝えると、その弟子は「すみませんでした!」と深々と頭を下げて謝りました。私はその言葉を聞くと大きくうなずいて、そのまま妻の待つ車に戻りました。
 
妻は車椅子なので外には出られずに、その様子を見ていたのでしょう。ポロポロと涙を流しながら合掌していました。それまでほとんど人を殴ったことのない私でしたが、その時は、かつて父(先代)が約束した期日に大幅に遅れて帰ってきた弟(現在の宗務長)とその親友を二人並べて殴っていた事が脳裏に浮かんだのでした。
 
本来は弟だけを殴るつもりだったそうですが、弟の親友が当時当山に勤めていた関係で「息子だけ殴ると、この青年はひがむかもしれない」と思って、息子と一緒にその青年も殴ったと言っていました。
 
優しさをお伝えするはずが厳しさの話になってしまいましたが、責任ある立場で弟子や後継者を育てる立場になると、やはり数少ない厳しい対応の方がより鮮明に憶えているものです。
 
あの日以来かなり月日が流れましたが、その時私に殴られたその弟子は、今でもあの時の事を鮮明に憶えているはずです。そしてあの日以来、梵鐘を撞く時の緊張感は一生忘れない事でしょう。
 
そして滅多に人を殴ったことのない私が、妻が驚くようなあれほどの行動に出られたのは、先代のかつての対応の記憶と共に、皇円大菩薩様か開山上人様の厳しい慈悲の心が背後で働いていたに違いないと思っています。
 
私にとって、このような対応は、今後おそらくないかもしれませんが、私にとっても忘れられない事柄の一つです。
 
滅多にない称賛が人格を形作る
 

一方で私は開山上人様や先代から誉められた事は滅多になかったので、その数少ないお誉めの言葉は一生忘れられない事として心の中にしっかりと残っています。
 
その一つは現在の奥之院の仁王門の基礎工事をした時の事です。開山上人様がブルドーザーを指揮されて床堀りをした後の工事を三人で行なった時の事です。
 
ブルドーザーで掘った大きな穴の土をきれいに外に出した後、大きな砕石を基礎部分の形に敷き積めてランマーという機械で輾圧し、さらにその上にもう少し小さな砕石を重ねてさらに輾圧するというものです。
 
開山上人様はこの作業は二、三日は掛ると思っておられたようでしたが、何とか一日で終って報告に上がると、「ホー!あれだけの工事を一日でか!よくやった!これからもこの勢いで修行に励むんだな!」と言われたのでした。
 
先代の真如大僧正様からは平成二年、坂村真民先生の百三十九番碑の除幕式に関する事で誉めて頂きました。
 
その際、先代から「真民先生と私はまだ会った事がない。今回の除幕式の願文はお前が書きなさい」と言われたのです。そう指示された私は真民先生の詩集や随筆集などを改めて読み直し、生まれて初めて願文を書いて先代に上程しました。
 
すると先代はじっくりと目を通された後、「何も言う事はない。立派に出来ている」と言われたのでした。以来、私は少し文章に自信が付いたのを憶えています。このように数少ない厳しい指導や評価は一生憶えているものです。
 
私の場合は師と弟子の間柄ですので一般的ではありませんが、普通の場合はもっと沢山誉めてあげた方が良いように思います。
 
佛智の象徴、多宝塔の落慶で輝きを増す皇円大菩薩様の救済力
 
間もなく落慶する多宝塔は、真言密教が生み出した極めて独特な建築様式です。当山の多宝塔は皇円大菩薩様の大いなる慈悲心に裏打ちされた、深い智慧を象徴する記念すべき塔です。
 
厳しさや冷静な判断のない優しさは、ともすれば優柔不断な弱さになりかねません。智慧を象徴する多宝塔の落慶を機に、皇円大菩薩様の慈悲の働きによるお救いの力がなお一層輝きを増し、躍動感を持って生き生きとお働きになられるに違いありません。
 
当山のこの歴史的な転換期に、全国の信者の皆さんが里帰りのように集い集られる事で、さらに意義ある八百五十年大祭となるに違いありません。合掌




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