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大日乃光






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2018年06月09日大日乃光第2209号
信者と共に喜びをかみしめた皇円大菩薩八百五十年大祭

多宝塔落慶法要での貫主様謝辞
 
長老猊下には身に余る御祝辞(左の別枠に掲載)を賜りまして、しかもこの場において大僧正位を授かりました事、これまで以上に身の引き締まる思いでございます。そしてこれから蓮華院の事のみならず、広く地域社会の、そして日本のために出来る事を精一杯しなければならないという叱咤の鞭であると受け止めております。
 
つらつら思いますに、先々代川原是信大僧正(開山上人)様も六十五歳で大僧正位を授かっておられます。そして先代真如大僧正様は六十四歳だったかと思います。本来ならば、近年は七十五歳を過ぎなければ大僧正位は授与されないようにうかがっております。そういう中において、この度は格別の御高配を賜りました事、恐懼感激に堪えません。高い所からではございますが、長老猊下に深く深く御礼申し上げます。
 
なお、先程の慶讃文にもあり、長老猊下の御祝辞にもございましたが、本院に五重塔建立を発願されたのは先代でありました。実は、先々代開山上人様も木造の五重塔を造りたいという思いをずっと抱いておられました。その思いが奥之院の五重御堂となった訳であります。
 
その後、先代が遷化される前には五重塔の建立計画は決まっており、用材の手配も終えて準備を調えておりました。そして代を引き継ぎ、五年目にして五重塔を落慶致しましたが、その建設中に阪神淡路大震災が起きました。
 
それまでの当山の働きや過去の伝統から考えますと、この窮状を見過ごして何もせずに塔を造るというのは佛様の御意思に適わない、決してそれは正しい道ではないという思いで、五重塔の建立が一年や二年、三年遅れても佛様の御意思に背くことではないと決断して、被災地への支援活動を進めました。これも先代の始められた国際協力の組織が様々な活動を続けてきて、実績を上げていたからこそ出来たのでした。
 
そしていま一つ。先代が、まっすぐ南に延びる参道を生涯の最後の最後に計画しておられたので、これは絶対南大門を造らねばならないという事を実感として持っておりました。その南大門再建の折も、東日本大震災に遭遇したわけであります。そして長老猊下が仰られましたように、南大門再建から七年目にして「金剛界」「胎蔵界」を象徴する二つの塔を並べて供える事が出来ました。
 
今を去る平成二十三年の十二月、二十回目の「八千枚護摩行」の中で〝五智如来を顕現し、多宝塔を建立すべし〟という御霊示を皇円大菩薩様から頂きました。そんな中で一昨年、いざ工事を始めますと、今度は熊本地震が発生し、その支援活動の中で地鎮祭を執行致しました。
 
このように多くの人びとが苦難の中で辛い思いをしておられる時に、様々な決断をして堂塔を建立して来た事を実感しております。今回は地元の熊本震災と重なる形で多宝塔がこの場に建っていったという事、これも不思議な巡り合わせでございました。
 
西大寺を中興された叡尊上人は「苦難の時にこそ菩薩は出でたもう」と、人々が苦しく辛く悲しんでいるその様な状況にこそ、菩薩としての働きをしなければならないという信念をお持ちになりながら、〝生身の菩薩〟と称えられる活動に邁進されました。当山でも「まさに苦難の時にこそ、我々は大きな使命を持って、これまで以上に努力をしなければならない」という考え方を先々代、先代と継承して参りました。
 
その事を、塔を建立しながら皇円大菩薩様に御霊示頂き、そしてその思いを信者の方々がしっかり支えて頂いていると、身を以て実感致しておりました。これも有難い事であります。
信者さん達の信心の力が結集しなければ、五重塔も南大門も多宝塔も出来ておりません。
ここに改めて信者の皆さんに御礼申し上げますと共に、今日は皆さん達と一緒に心からお祝いしたいと思います。
 
幸いにも先代、先々代から引き継ぎました様々な出会いにより、素晴らしい名工、佛師さん、世界的な芸術家、そして様々な分野における最高の技術者の方々と巡り合う事が出来ました。ここでそれぞれの方々に感謝状を贈りたいと思います。
 
(以下、貫主様の高橋画伯のご紹介と、画伯のご祝辞を抜粋いたします)
 
貫主様
「高橋秀画伯とは二十年来の付き合いになります。画伯はイタリアで四十年間心血を注いで世界に通用する美の世界を追及されました。その中で次第に日本的な雰囲気や、佛の慈悲、宇宙的な生命観、こういったものを色濃く作っておられましたので、ここにお願いし、完成したわけです。ありがとうございます」
 
高橋秀画伯
「貫主大僧正様に、皆さんで大きな声でおめでとうと言いましょう!」
一同
「大僧正様、おめでとうございます!!」
 
皇円大菩薩八百五十年祝賀会での貫主様御挨拶
 
皆さんこんばんは。
これまで何回か、このような祝賀会をここ司ロイヤルホテルで行ってまいりましたが、今回が信者さんが一番多い集いであることを有難く、うれしく思います。先程多宝塔が落慶致しましたけれども、これまでの歩みはひとえに熱心な信者さんお一人お一人の信心が、信仰が、支えて頂いたお陰で今日の日を迎える事が出来たと、これは本当に偽らざる実感でございます。
 
さて、当山は昭和四年に開山上人様が皇円大菩薩様と巡り合われて、昭和五年の三月に仮お堂の落慶から中興への道が始まったわけです。その時代の社会情況をご存知の年代の方にうかがいますと、背筋が凍るような凄まじい不況のどん底であったという事でした。
 
まさに蓮華院というお寺は苦難の真っただ中から立ち上がり、そこから佛様の御意思を介して日々衆生済度に向い、様々な祈願をし、多くの人々の相談に応じながら一歩一歩コツコツコツコツと歩み続けてきたわけです。
 
開山上人様の血の滲むような御修行と日々の生活、その中で出会った信者さん達お一人お一人が、佛様を自分の父親か母親のように思い続けて頂き、それが次の代まで繋がり、そして今日に至りました。真如大僧正様の御遷化は意外に早く、私がちょうど四十歳の時に中興三世という立場を仰せつかったわけであります。
 
真如大僧正様は十六年という短い在任でありましたけれども、社会的な活動、青少年教育、国際協力と、そういったことに本当に力強く邁進されて、それらの基礎を築いて下さいました。
 
そういった中で、先代が亡くなる前の日に、今日お越し頂いている高野山大学行道部のOB会の方々が蓮華院にいらっしゃったのでした。その同窓会に参加して頂いた全ての方が帰宅された頃、先代は亡くなりました。皆さん達をお送りしてから亡くなったという事で、すぐに誰からともなく連絡が回り、その後の本葬儀には同窓会の全員が集まって頂いて、厳かな法要を務めて頂きました。それ以来、色んな所で陰となり日向となり私を支えて頂いております。
 
まだこれからやるべきことはもっともっと増えていくだろうと思いますけれども、信者の皆さん達の信心を頂きながら、地域の為にも少しでも役に立つ寺院として、そして広くは次の世代のために何を残せるかということを、具体的に行動しながら、日々の御祈祷の中で歩んで行きたいと思っております。
 
もう一つ印象に残るのは、この会場に一番沢山の人びとがみえたのは、十三年前のダライ・ラマ法王猊下御来熊の祝賀会でありました。法王猊下と巡り合い玉名にお越し頂いた事をきっかけとして、今日、仲間が何人かおられますけれども、その方々とチベット支援を続けてまいりました。
 
時に宗教の限界を感じながらも、僧侶としての信念や佛教的指針に基づいて、やるべき事は断固としてやるという強い思いを持ち続けなければ、日本人の背筋は曲がっていくのではないかという風に感じながら、かなりがむしゃらにやっていた時期もありました。
 
そういう中で、現在会長を務めて頂いている大聖院の吉田正裕僧正様もお越し頂いておりますけれども、「日本が世界の中でどういう役割を果たしているのだろうか?」と日本の宗教者としての矜持と申しましょうか、そういうものをこれからしっかりと見つめながら、その中で佛教がしっかりと持ち続けてきた「同悲」や「共生」という考え方を、それぞれの地域で仲間の皆さん達がそれぞれに発信、発言し、その後ろ姿で大事な事を伝えて行くという事がいかに大切かという事を感じております。
 
高い席から大変口はばったい事を申し上げましたけれども、これからもこの玉名の地域において、また熊本県内において「あー蓮華院誕生寺というお寺があってよかったな」と言われるような日々の活動を、信者さん達に対する祈願祈祷に加えてこれからも進めてまいります。
 
ここにおられる皆さん方お一人お一人のお力添えとご理解とご声援を頂きながら、これからも歩んで行きたいと存じます。それがまさに皇円大菩薩様の八百五十年にあたっての一番大切な心構えではないかと思います。足元をしっかりと見つめながら、これからも歩んで行きたいと思います。お弟子さん達もよろしくお願い致します。
 
そして先輩方、同志のお坊さん方、これからも何卒よろしくお願い致します。本日はこのように沢山お集まり頂きまして本当にありがとうございます。
合 掌




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