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2019年04月09日大日乃光第2237号
心を正す学びは四恩に報いる幸福への道しるべ

今年はこちら熊本では、桜の開花宣言が珍しく遅くなりました。そのお陰で様々な学校の入学式にはまだ桜が咲いている事でしょう。地球温暖化によって、ここ数年の入学式では既に葉桜になっている学校が増えてきたのは何とも寂しい限りです。
 
さて、十日前には新入学の子供達に保護者が先生を尊敬することの大切さをお伝えしましたが、その最後に、
「自分の使命は何か?」
「人は何の為に生きるのか?」
という命題もお伝えしました。
そこで今日は、「人は何の為に生き、何のために学ぶのか?」について少しお話し致します。
 
高野山で見出された先代真如大僧正様の答え
 
かつて先代真如大僧正様が「一休さん修行会」で必ず子供達に話しておられた事がありました。それは、ご自身が小学校四、五年生の時の国語の授業で「釈迦」という授業があった時のお話です。
 
その授業でお釈迦様が、「人は何のために生きるのか」を求めて修行に入られ、悟りを開かれ……と続き、その「釈迦」項目が終わると先生は次の項目に移ろうとされました。
そこで少年時代の父(先代)は、「先生!人は何のために生きるのでしょうか!?」と質問したのだそうです。
 
すると先生は、「そんな事は分からん!もし分かるならオレはお釈迦さんと同じだ!」とニベもない答えだったそうです。そして同級生の多くは非難とも蔑みとも取れる反応だったそうです。
 
その時の父は、算数や理科の問題と同じように、「人は何のために生きるのか?」という問いの答えを先生は既にご存知のはずだと思っていたそうです。それ以来、父は「人は何の為に生きるのか?」という問いを抱き続け、探し続けられたそうです。
 
そんな中でその後高野山大学に進学されて、ある講義で弘法大師空海上人様のお言葉、
『人は四恩の抜済の為に生くるなり。四恩とは父母・祖先の恩、国土・国王の恩、一切衆生の恩、一切三宝の恩、是なり』という言葉に接して、「これだ!!自分が探し求めていたのはこれだったのだ!」と、小躍りするほどの感動を覚えたそうです。
 
日本人の倫理の根本はご先祖様に恥じぬ生き方
 
戦前生まれの先代にとって、「国土国王の恩」はほとんど違和感なく受け容れられた言葉でしょうが、現代の私達が聞いたら、少し違和感を感じられる事でしょう。その言葉は千二百年前の言葉ですからそれも当然かもしれませんが、国王を国家社会の政治形態と理解すれば、それなりに受け入れられると思います。
 
そして御代替りを直前に控えたこの時期には、皆さんそれぞれに思う所があるのではないでしょうか?また、国土はこの日本の国土から、さらに私達を育むこの地球と受け止めて頂くと、充分に理解できる事柄と言えましょう。
 
私達人間は、この命を直接受け取った父と母、そして多くのご先祖様方のその命を繋いで今に生きていることを思う時、「父母祖先の恩」をしっかりと自覚して、そのご恩に報いるべく生きる事を目指す事は「生きる意味」に充分なるはずです。
 
かつて私達日本人は、「ご先祖様に顔向けできない」とか「ご先祖様が見てござる」などと言って反省する感性をしっかりと持っていました。この思いが、人を間違った道から守る大きな役割を果たしていました。
 
それに反してご先祖様の恩やご先祖様との繋がりをあまり感じることのない人は、自身を律する規範の一つを失っていると思います。近年頻発する耳を疑う様な犯罪には、この様な背景を無視する事は出来ないと思うのは私だけではないはずです。
 
教育や海外からの視点で国家・社会の恩を見直そう
 
二番目の「国土・国王の恩」は現代的に社会の恩恵や大自然の恵みと受け取れば、自然に感謝の思いが湧き上がってきます。
 
前回お伝えした様に、新入学の小学一年生から六年生までの小学生には、国や県そして市町村の税金が一人当たり八十九万四千円、そして中学生には百二万二千円もの経費が使われていることを思えば社会の恩恵が実感できます。
 
長年国際協力の活動をして来ましたので、日本の国や社会の安定がいかに有難く、私達が人知れず国家社会に守られている事を実感させられます。チベット難民の人々がどんな生活をされているのか、また、チベット本国で伝統的な生活や文化がどれほど脅かされ、多くの人々が監視の中で息の詰まる日々を送っておられる事を知るにつけ、安定した社会生活と自由な日々が決して当然の事ではなく、長い日本の歴史と日本のこの国土の絶大な恵みを感じずにはおられません。
 
身の回りの全ての命や現象に感覚を研ぎ澄ませてみよう
 
三番目の「一切衆生の恩」では長い人生で巡り合った友人や知人、そして先生や先輩から受けた恩には数限りがありません。また豊かな自然を形作る多くの樹木や草花、虫たち、さらにはそよ吹く風や四季折々の雨や雪に至るまで、全ての命あるものから自然の営みに至るまで、私達を取り囲む全ての生きとし生けるものから無生物に至るまでの全ての恵みに、ただただ感謝しかありません。
 
特に修行をしていた時などは、朝日夕日の光や風の音、虫の声やせせらぎの音に至るまで、全てを佛様のお声やご説法と感じ取ることさえありました。その意味では全ての生きとし生けるモノの恵みを実感する事が出来ます。
 
少し前までよく言われていた地球環境の保護活動などの中で「地球に優しく」などの言葉に接すると、「それは違うでしょう!地球が私達に優しく接して頂いている」と反論したくなります。地球環境に変調が現れている今こそ、私達はこの母なる地球にもっと感謝して、少しでも地球に迷惑をかけない様な生活のあり方を探らなければならないと感じています。
 
響き合う『誓いの詞』と平成最後の新大関の口上
 
最後の「一切三宝の恩」についてはここでは長くなりますので敢えて触れません。
 
いつも法話の最後に、皆さんと一緒に『誓いの詞』を唱和しています。「私は父母祖先、先生友達、そしてこの街この村この山河、全てに感謝し、恩返しのできる人間になる為に日々努力精進いたします」この中に、「人は何の為に生きるのか」、また「人は何のために学ぶのか」への一つの答えと言うべきか、大きなヒントが含まれていると確信いたします。
 
父母祖先の恩、師友の恩、地域社会や国家社会の恩、地球環境の恩など、全ての恩恵を感じ取る感性を高めるために私達は学び続けるのではないでしょうか?
 
先日、平成最後の大関に昇進された貴景勝関が、大関昇進の口上で「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れずに相撲道に精進します」と言われましたが、その後のインタビューで「お世話になった多くの人びとに恩返しが出来るよう努力したい」と素晴らしい答えをされました。若くして人生の目標と生き方をはっきりと見い出している事に感心しました。私達もこの心構えを見習いたいものです。
 
宗祖叡尊上人が教え諭された子供達の学びの本当の意味
 
真言律宗の宗祖、興正菩薩叡尊上人の『御教誡聴聞集』の一節に、「学問をするのは何のためか」を述べられた一節があります。
 
『学問をすると言うは心を直さんが為なり。心を直さぬ学問をして何の詮かある』
学問をすると言う事は、心を素直にするためにあるのだ、心を清く正しくしない学問をしても何もならない。と述べられています。
 
この場合の学問は佛教を学ぶ事ですが、これを広く解釈して、心を清く素直にしない学問は、特に幼い子供達にとっては意味がないどころか有害でさえあると思います。
 
「人は何の為に生きるのか」を深く考えた時、先の四恩に恩返しをしながら、自分の心を清め高める事をここにお伝えして、今日のお話を終わります。合掌




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