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大日乃光






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2019年06月19日大日乃光第2243号(1)
末期癌の姪を救った母譲りの信仰の絆

(愛知県 女性 65才)
 

蓮華院様には、早くに両親がお参りをさせてもらっておりましたので、私も幼い頃からご縁を頂いております。ずっと母を通してお参りをさせてもらっていましたが、自分から進んで直接伺ったりするようになりましたのは、生まれたばかりの次男を救って頂いた事がきっかけとなりました。その次男ももう三十歳を過ぎました。
 
長男は私が勧めなくても、子供の命名は蓮華院様にと言ってメールでお願いしてつけて頂きました。二人共です。とても嬉しい事です。これまで多くの御利益を頂きました。進路を決める時も、頭や歯が痛い時も、めまいや難聴の時も、自分で決められず、物事に迷った時もご相談して、家族みんながお世話になっております。
 
そんな中、今日は私の姪のことを話させて頂きます。
 
妹のように親しんだ姪
 
私には姉の子供たちで姪が二人、甥が二人います。私と姉は十四歳離れておりまして、この話の姪はその長女で、七歳しか違わず妹のような存在でもあります。私たちは天草で一緒に育ち、姪も私も同じ看護師になりました。
 
天草で勤務しておりましたが、私が住む名古屋に出て結婚して、病気らしい病気もせず二人の女の子を育て、仕事もしています。姪の子供たちは私の子供たちと同年代で、ずっと行き来してきました。
 
大病、手術の知らせに蓮華院様への「お尋ね」を
 
平成二十六年九月半ばの事です。一本の留守番電話が始まりでした。姪が五十四歳のときの事です。「もしもし都です。また後で電話します」と、いつもと変わらず明るい声でした。
 
日頃はメールで用事を済ませているのに、どうしたのかなと思いながら話をすることになりました。すると検査、病気、入院、手術などの言葉が飛び交って、誰のことで何の話?と聞き返す程、予想外のことでした。
 
姪の腹腔内がどうなっているのか、CT検査等でははっきりと言えないほど、開腹してみなければ分からないという話でした。私は「それって末期ってことだよね」と息子と話をして、気が遠くなる思いでした。姪は愛知医科大学病院で術前検査を済ませ、入院、手術と進んでいきました。
 
私は姪にじっくり蓮華院様の話をして、母が生きていたらお尋ねをする事を話しました。姪も是非お願いしてとの事でした。蓮華院様の事はよく存じており、幼い時は祖母とお参りしたことがありましたが、姪自身がお尋ねするのは初めてでした。先祖供養の五座でした。
 
その先祖供養を受けながらの手術となりました。手術は八時間を要しましたが、子供の頭ほどに成長した卵巣だけの摘出となりました。癌細胞の広がりが多く、出血量も多くて子宮までの摘出には至らなかったようでした。
 
姪は朦朧としながら「今、何時?」と聞いたそうです。ご主人はどうして時間を聞くんだろうと思ったそうです。それを聞いて、姪は手術時間により命を予測しようとしたのだと思いました。手の施しようがなければ、開腹して一時間ほどで手術は終了します。
 
手術の結果、家族には半年の余命が告げられました。本人には知らせないまま、家族の懸命な関わりが始まりました。
 
余命治療の合間に叶った二つの慶事への出席
 
私は先祖供養の後、病気全快特別祈祷三期を一年間お願いしました。続いて一期を半年間お願いしました。
 
すぐに抗癌剤治療が始まりました。その頃は私の長男が三月の末、姪の娘が四月の初めと二組の結婚式が控えていて、準備が進んでいる頃でもありました。
 
姪にとってはタイムリミットの半年後です。その頃、居てくれるだろうか、という思いが、みんな気持ちのどこかに見え隠れしていました。心配でした。
 
「延ばした方がいいかな?」と息子も悩んでおりました。私は不思議と「大丈夫だから進めなさい」と後押しをしていました。姪も「結婚式には出られないんだろうなぁ」とずっと呟いておりました。私は「車いすに乗せてでも連れていくから大丈夫よ!」と励ましつつ、祈るしかありませんでした。
 
ところが、大きな手術の後でしたが、何と抗癌剤治療の合間に結婚式に出席することが出来たのです。私の息子の時は洋装で、自分の娘の時は和装で、やや痛々しそうでありながらもしっかりとした足取りで、娘に寄り添う姪の姿は最大の喜びとして、皆の目に映りました。
 
その後、抗癌剤で癌細胞を抑えて、子宮全摘出も出来ました。六時間の手術でした。
その後も肺腫瘍、乳癌で片方の全摘出と、二年間で四回の大きな手術を受けました。
 
快方への気運を導いた床頭台のお札とお守り

平成二十八年一月には双子の孫が生まれました。姪は抗癌剤の治療を受けながらも、ゆっくりする間もなく娘の相談にのったり、双子の面倒もみました。義父のことも気にかけ、見舞ったりしました。治療中は髪は抜け、帽子やかつらで保護して過ごしました。食べられない日々も多くありました。
 
職場からは「たとえ一時間でも出られるようになったら来てね」と言って下さっており、復帰に向けた気持ちを持ち続けていました。私も入院中はほぼ毎日、仕事帰りに伺いました。床頭台には蓮華院様からのお札が置かれていて、姪はお守りを握りしめながら祈っておりました。
 
そして今、多くの試練を乗り越えて、患者としての経験を活かしつつ透析施設に復帰して両立しています。「都さんがこんなに元気になるとは思っていなかった」と、主治医をはじめ産婦人科の先生方も元気にしていることを喜んで下さっています。
 
ステージ4での生存率はまだ少ないようです。姪は大病にも関わらず、ずっと忙しくして、病気にどっぷり浸かっている暇が少なかったように思います。それが免疫力を高める結果となったようにも思います。
 
全ての奇跡は皇円大菩薩様のお計らい
 
振り返りますと、すべてが守られていました。何よりも蓮華院様とご縁があって、貫主大僧正様が皇円大菩薩様との橋渡しをして下さって心の支えになって下さった事。結婚式の事、孫が双子であった事、双子であるリスク以外に大きな問題がなかった事。職場の対応が良かった事、医療チームが良かった事、病気でもゆっくりしていられなかった事等々。
 
姪がそれ以上の心配をしなくていいようにと、すべてにおいて皇円大菩薩様のお計らいであったに違いありません。姪は生きている事が奇跡だと言います。
皇円大菩薩様に守られた事をひしひしと感じています。
 
今は貫主大僧正様が名古屋に御親教と『大日乃光』に載ると、「お参り行ける?一緒に行ってね!」とすぐに電話がかかってきます。とても嬉しい事です。私の可愛い姪を生かして下さって、本当にありがとうございます。これからも何卒宜しくお願い致します。合掌




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