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大日乃光






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2019年08月21日大日乃光第2249号
ひとかたならぬ精進で繋いだ二十七年間不休の御祈祷

先代御遷化の齢を迎えて 貫主職拝命以来の歳月を振り返る
 
さて、井本勝幸さんがミャンマーでのご遺骨収集の状況を報告に来られた七月八日十一時から本堂で、先代の二十七年忌のお参りをお弟子さんと手空きの職員で執り行いました。その時、しみじみと思った事を交えて少しお話ししたいと思います。
 
先代が二十七年前に遷化された七月八日、その年令は満六十七歳と三ヶ月でした。早過ぎました。その分、私は大変な思いをしながら何とか責任を繋いでここまで来た訳です。
 
先代が住職を務められたのは十四年と八ヶ月でした。私はその十四年と八ヶ月、約十五年というのを一つの大きな目標として何とか繋いでいこう、「先代が務められた年令までは元気に頑張ろう」と思って来たのです。そういった意味でも、過去を少しだけ振り返ってみたいと思います。
 
互いに切磋琢磨した高野山の行道部二十七年前の運命の同窓会
 
平成四年の七月七日、その日、私は高野山で大変お世話になった行道部に居ました。僧侶としての生き方を模索し、そしてお互いに研鑽する凄い凄い先輩方が居られて、「お前の生き方はそれでいいのか?」「僧侶としての生き方はそれでいいのか?」「現代に於て僧侶として生きて行くという事がどういう事なのか?もう少し真剣に考えろ!」と、日々様々な問い掛けを頂きました。
 
このような問いかけを頂いた先輩や、同級生の仲間達の同窓会を、先代が亡くなる日の前日に招集していたのです。人数はそう多くはないのですが、全国から来られますから「先代の体調が良くないので」などとは言えず、急には日程を変えられません。
 
その一週間程前に弟の光祐と二人、先代に呼ばれて「ちょっと大変な手術になるから、その間、お前が祈祷しなさい」と言われ、その作法のやり方、どのようにしてお参りするかを具体的に二人に教えて下さいました。
 
同窓会の日には手術が終わっていて、私が途中で抜け出して様子を見に行くと、「今晩が峠です」と言われました。目の前が真っ暗になる思いでした。そういう中でも折角来て頂いた仲間達には帰るまで言わずにおこう、そして存分に楽しんで頂こうと思っていたのです。
 
明くる日、朝のお勤めの時に先代の病気平癒を皆さんが拝んで頂きました。予定ではマイクロバスで吉野ケ里遺跡をみて東妙寺に寄り、そして博多まで送るという日程だったのです。
父が亡くなってから東妙寺に電話連絡をすると、同窓生達は自分で帰るからお構いなくと、帰られました。
 
早過ぎた先代の御遷化に必死で心をこめた本葬儀
 
その後、七月十日に密葬です。大先輩の先代の同級生達にお願いして葬儀を執り行いました。その間も先輩や同級生から葬儀について尋ねられました。私も開山上人様の時の記憶が少しはあったのですが、こんなに早く遷化されると思っていなかったので、どの様に葬儀をするべきという知識がなかったのです。色んな人が「基本は一緒だからこういう風にした方がいいぞ」「こういう風にしてはどうか」と声をかけて下さいました。
 
七月十三日の本葬儀では、その先輩方を中心に、本山から管長猊下までご来山頂いて、この場所で執り行いました。「九州でこんな法要が出来るのか!」「素晴らしい!本当に心のこもった葬儀だった」などと、後に色んな人から声をかけられました。
 
その頃は大変な緊張感の中で毎日を過ごしましたが、その後もむしろ少しでも緊張感を持続しなくてはならないと思い、早くもその年の十二月から「八千枚護摩」を修し始めました。
 
御霊告に従って務め上げた蓮華院中興の大事業
 
これは完全に皇円大菩薩様からの御命令であり、御指示でありましたが、お通夜の晩にお弟子さんが沢山いる中で、「私は今日を境に三年間、お寺の用事以外では外には出ません。
三年間お寺に籠る事を約束します」と宣言しました。否、宣言させられました。
 
その三年間を過ごす中で、開山上人様の色んな言葉が甦ってきたり、真如大僧正様の言葉が甦ってきました。一つには「接ぎ木のようなものだから、この三年の間にお前はしっかり皇円大菩薩様と繋がる事が大事なんだ」とか「すーっと佛様の気持ちを全身で受け入れられる、そういう体を作る事が大事なんだ」と、そういう言葉を思い出しながら過ごしました。
 
そして三年の籠山が明けると、毎年の「八千枚護摩」に加えて「求聞持」という真言密教屈指の荒行を修し始めました。平成七年からの最初の三回は虚空蔵菩薩の御真言を唱え、平成十六年からは皇円大菩薩様の御宝号を百万遍、およそ百ヵ日がかりで唱えるのです。それを九回行じました。
 
そういう修行を続けてきた中で、昨年の八百五十年という記念すべき年に、皇円大菩薩様から御霊示頂いた多宝塔が落慶して、お寺の形が調い、中興としてはこれで成満したな、何とか責任を果たせたかな…というのが偽らざる実感でありました。
 
信者の心願成就に身を削った二十七年不休の御祈祷
 
そういう中で、短い時間には話せないような色んな出来事もありました。
ある年には八千枚護摩の行中、その半年程前から調子が悪かったのです。右の下っ腹が痛い。原因が分からないのです。
 
先々代の頃から主治医として見てもらっている先生に診て頂いたのです。そして触ると一発で盲腸と分かり、三日後には手術と言われました。後何日か後が八千枚護摩の結願ですから、それまで保たせてもらえませんかとお願いして、何とか成満しました。
 
診察して頂いて五日か十日か忘れましたが、その後に盲腸の手術をしました。手術後、朝まで目が覚めない。すると朝五時位に家内が病室に祈願札を届けに来てくれました。皆さん達の御祈祷ですから、ベッドを少し起こして何とかお参りをしました。今思えば、あの時が一番大変でした。
 
何はともあれ二十七年間、一回も御祈祷を休むことなく、さぼる事なくと申しましょうか、そういう事を出来た事は有難かったと思います。
 
 
どれ一つ欠けてはいけない願いを叶えるための三つの力
 
皆さんが祈願を申し込まれた瞬間から、皇円大菩薩様の祈りや霊波がもう発信されているという事は、皆さんも感じられた事があると思います。お願いされただけで「あー、もうスッとした」とか、お尋ねの結果を聞かれただけで「あー良かった」と、もうそこで快方に向かっていると言われる方がたくさんおられます。
 
それでも日頃から祈願をお受けする寺務所の職員には、祈願のお札は必ず貫主堂で私が祈祷する場所にお供えするようにと、お供えするまでが寺務所の大切な仕事であると伝えてあります。
 
祈願のお札がお供えされて、私が祈祷を始める前から皇円大菩薩様の御霊力が発揮されつつあるのですが、お供えのお札を私が祈祷して祈願が完遂されます。こうして多くの方々が御利益を受け続けられるのです。
 
だからと言って、私の力が全てという訳でもないのです。まず信者の皆さん方の皇円大菩薩様への篤い篤い信仰心が前提であり、その皆さんからの必死の願いを皇円大菩薩様にお札としてお供えし、私が祈祷をして願いが成就されます。
 
無限の御霊力に、至心の御祈祷力と、信者の篤い信心力をこめる
 
先代真如大僧正様は、「無限の御霊力を持っておられる皇円大菩薩様に祈るということは、行者(祈祷者)が一心でありさえすれば良い。なぜなら無限掛ける一は無限なのだから」
と仰っておられました。
 
∞(無限)×一=∞です。ただしここにもう一つの要素が加わります。それは願う人の心です。
 
もし祈願される人の心が御本尊皇円大菩薩様に向いていなければ、つまりゼロかマイナスならば、絶大なる皇円大菩薩様の御霊力に私がいくら真剣に祈っても、∞×一×0=0となって、願いが成就する事はありません。
 
これまで何度もお伝えして来たように、皇円大菩薩様の御霊力は無限大です。そこに私の祈りが加わり、さらに信者の皆さんの祈りが、たとえ〇・一(十分の一)であっても、∞(無限)×一×〇・一=∞なのですから、必ずや何らかの功徳やご利益が成就するのです。
皆さんからの願いはこうして叶うのです。
 
二十七年不断の御祈祷は信者からの祈願と篤い信心の賜
 
皆さんの願いを至心に皇円大菩薩様に祈る、その事自体、考えてみたら私にとって一番有難い修行でした。毎日信者さん達の祈願のお申し込みがある。そのお陰で、私はこれまで二十七年間、一切祈祷を怠ることなく続けて来ました。
 
どこかに出張しても、海外に行っても、それこそミャンマーの田舎に出張した時は綱渡りのような苦労の連続でしたが、それでも信者の皆さんの祈願祈祷を欠かした事はありません。
 
家内が倒れた事もあり、十年前からは本山の大事な用事の時ぐらいしかお寺を留守にしませんが、これから益々、皆さん達の願いを成就するために、弛まず努力を続けて行く事をここにお約束して私のお話を終わります。 合掌




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