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大日乃光






大日乃光

2020年02月20日大日乃光第2265号
皇円大菩薩様の御利益を一人でも多く「分福」しよう

奥之院で恵方に豆まき
 
昨日は十一時から奥之院で豆まきをして昼食を摂り、十二時半から「功徳行」が始まり一時に二回目の豆まきをして、一時半に功徳行の護摩に入るという具合にバタバタとした一日でした。それでも一日中天気が良かったのは有難いことでした。
 
今年は「庚(かのえ・西南西)」が歳徳神のいる福が来る「恵方」です。ですから今年は飛龍の鐘の鐘楼堂から五重塔に向かって豆まきを致しました。近年はコンビニで一所懸命宣伝してくれていますから、恵方については皆さんよく分かっておられます。
 
今日、西南西に向かってワハハと笑いながら恵方巻を食べた人いらっしゃいますか?これは笑って福を招き入れようという事ですから大きい恵方巻が良くて、小さいと口を大きく開けられませんからかっぱ巻き位では駄目なんですね。(笑)
 
さて、豆まきの時に、私はよく「阿蘇の熊牧場のクマにならない様に」という話をします。昨日も奥之院でそう話しましたが、参加された方がどうしても「こっち!こっち!」とクマを思わせるような仕草をされるので、私もさも餌をやっているような複雑な気持ちになってしまいます。
 
心の中の『三毒』を祓う
 
「節分」というのは本当は年に四回あります。その内の二月の節分だけが豆まきなどで世間によく知られている節分で、全国の神社佛閣では一年間の運勢の区切り、分かれ目とされています。その意味で言えば、二月三日の今日は年末に当たります。明日から新しい運勢の一年が始まるわけです。立春ですね。
 
春のお彼岸と秋のお彼岸は二十四節気の春分の日、秋分の日を中日とする七日間の事で、これは雑節の一つに当たります。二十四節気の中にはその他に「大寒」など様々なものがありますが、運勢の変わり目の今の時期が、特に厄祓いをするのに最も相応しい時期です。
 
豆まきの時に、いつも貫主大僧正様が「では鬼はどこにいるんですか?」と話されます。鬼には赤鬼・青鬼などがいると言いますが、佛教ではそれを「貪・瞋・痴」の鬼と言っています。自分のものではないのに欲しがる貪りの心(貪)、不必要で理不尽な怒りの心(瞋)、そして物事の道理の分からない無知な心(痴)。この「貪・瞋・痴」の『三毒』に代表される悪い心が鬼なのです。
 
自分の心の中に居るこの三つの鬼を抑え戒めるのが節分です。ですから出来るだけ自分の体に豆が当たるように受けて下さい。昨日は午前中は四百人位、午後は二百五十人位が参加されました。年々節分で奥之院にお参りされる方が増えてきています。
 
この福豆は隣に拾えない人がいたら分けてあげて下さい。また持って帰られたら「これは福豆ですよ」と近所の人に分けてあげて下さい。これを「分福」と申します。
 
幸運を大切に活かす「惜福」
 
明治の文豪幸田露伴は『努力論』という本の中で、「惜福」「分福」「植福」という三つの福、「三福」を述べています。
 
まず最初は「惜福(セキフク)」と言って、恵まれた幸運を使い尽くす事なく、大切に惜しみながら使う事によって、その恵みを存分に活かす事です。
 
例えば二人の兄弟がいたとして、同じ様に新しい服を親に買って貰ったとします。兄の方はその服を気に入ったので、いつもいつも着ていました。すると大切な時に着ようとしても、傷んでしまって晴れ着としては着られません。一方弟は、同じ様に新品の服を貰っても大切にしまって、日頃は古い服で我慢していました。その内に晴れ着を着るべき時に、大事にしまっておいた新品の様な服を着る事が出来たというお話です。
 
私達の世代は、正月になると靴や服を親から買って頂き、とても嬉しかった事を憶えていますので、この「惜福」の例え話は実感としてよくわかります。
 
布施の心で分かち合う「分福」
 
次が先に述べた「分福(ブンプク)」です。
これは自分に恵まれた幸運を自分だけで使ってしまうのではなく、他の人にもお分かちする事を表しています。
 
福を分ける…。福は「がじめ」たらいかんのです。「がじめる」は熊本弁かな?要するに欲張って、何でも自分で独り占めにする事です。
 
呼吸をするでしょ?呼吸は吐いて吸うと書きます。吐かないと入りません。全部吐くと全部入るのですが、半分しか吐かないと半分しか入らないわけです。福も人に分け与えるほど、巡り巡って自分の所に帰って来るのです。ですから皆さんも出来るだけ分福して下さい。
 
その手始めに、今日の豆を分けて下さい。まず家族。そして隣近所、会社関係の人、もっと広い地域の人。最終的に言うと世界、地球上の人々に福を分け与える。
 
この様な「布施」の心で周りの人々と分かち合うことが「分福」であり、「惜福」からさらに一歩踏み出して、人が幸せを実感し、広く周りを幸福にする方法なのです。
 
見返りを求めない「植福」
 
そしてその「分福」をさらに進めた幸福への道が、「植福(ショクフク)」なのです。たとえ自分ではその成果を味わえなくても後世のために良き種を蒔き、苗を植えておく。良き習慣を家庭の中に定着させていくなどの、未来を照らす長い視点で人々を幸福に導く究極の道が、この「植福」と言ってもいいでしょう。
 
認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(ARTIC)が色んな所で活動をしているのも一つの「分福」であり「植福」なのです。
 
自分が陰徳を積むため、自分の徳を積むために福を分けるとなるとこれは少し違いますが、要するにお布施というのは惜しんではいけないのです。そして見栄を張ってもいけないのです。
 
それと同じように、人に福を分ける時は自分が嬉しいから分ける。もらってくれる人が有難うございますと言う。その笑顔と言葉を聞いて自分が「やってよかったな」となる。そういう事で福を分けるという事。
 
昨日は奥之院で、帰りに寺務所で受付をしている女性職員に豆を配って帰った参詣者がおられたそうです。「話を聞いて下さったみたいですよ」と、貰った職員も喜んでおりました。きっと分福された方は喜んでお裾分けして、分福して下さったのだろうと思います。
 
御本尊様の御心に適うために自分を磨いて分福に努めよう
 
皆さんも皇円大菩薩様の御遺徳を、自分が中心になって周りの人達に少しでも知らしめなければいけません。
昨日も準教師の河村君が手伝いに来てくれていました。奥さんの同級生の子供さんが障害を持たれていて、河村君が話を聞く機会があったそうです。自分がお参りしているこういうお寺があって、一度「お尋ね」に相談に行かれてみてはいかがですかという話をして、まずは水を向けたそうです。
 
その後どうなるかはご本人のお考え次第でしょうが、勧めた河村君は、あの人の言う事は間違いないと思われる様な人間でなければいけないわけです。勧める人が、あの人は素晴らしいから間違いないだろうと思って来られると、余計に信じられるわけです。
 
ですから先ず自分達が周りから信頼され尊敬される様な、愛される様な人間になって、人に分福、福を分け与えて頂ければ有難いと思います。それでは今日は私も分福の豆まきをさせて頂きます。合掌




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