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大日乃光






大日乃光

2020年03月07日大日乃光第2267号
高野山での修行の日々が信者の悩み苦しみに寄り添う原点

弘法大師様の願文に遺された皇円大菩薩様の究極の願い
 
二十一日間の水行の結願の前日、高野山の奥之院で弘法大師空海上人様にお仕えされている修行者達が寝泊まりされる所にふっと立ち寄りました。それが厳寒の二月九日でした。
 
そこには色んな人がおられて、一人の方から「あなたはお大師様のどのお言葉に一番感銘を受けて、自分の指針にしていますか?」と聞かれました。
 
その時は弘法大師様の「萬燈萬華会」と言われる法要、沢山の花を飾り、沢山の灯明を灯す法要があり、今でも行われています。その時の願文の中にこう書いてあります。
 
『虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん』(『性霊集』巻第八)
「虚空」、この宇宙全てが無くなってしまう、尽きてしまう。「衆生」、苦しんでいる人達がいなくなってしまう。そして「涅槃」、悟りの世界そのものも無くなってしまうまで自分の願いは尽きないのだと。これは菩薩様の究極の願いだと思います。
 
皇円大菩薩様も日々そういう思いでここ蓮華院を中心にして、魂を日本各地だけではなく世界にも飛ばしながら人々を救済し続けておられる。そのときのお心構えというのは、正にこの『虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん』という思いに違いないと私は今も確信しています。
 
傲りの気持ちを嗜められた問答
 
さて、先の質問に対して私は生意気にもこの言葉ですと言いました。「ほーそれは結構なことですな。ところであなたはどういう願いを持ってこの水行をやっているのですか?」と別な方が言われて、私は「うちは祈祷寺ですから、将来、信者さん達の祈祷をしなければいけないと思います。そういう信者さん達の期待に応えたいと思います」と答えました。
 
すると、「それは良い事だけど、ちょっと残念だな。それには寄り添うとか、その人達になりきるとか、そういう視点が欠けている。そういう人達を『悲しませたくない』という言葉が欲しかったね」と仰られました。
 
その時、その仰った言葉の意味の違いがハッキリと明確に分かったのです。そうだな、自分には何か背伸びしたり、少しでも自分を良く見せようとか、そういう傲りの気持ちがあった。それから佛様と向き合うのではなくて、佛様と競い合う様な、そういう少し傲り高ぶった気持ちがあったなと。
 
自分自身を神佛の前に、大自然の前に投げ出す。そういうのとは格段に違う。一歩次元が違うという事が、その時ありありと分かったのです。こういう気持ちで修行をやっては駄目なのだと。
 
もう一切を佛様にお任せする。滝の水の中に身をゆだねる。そこに溶け込む位に。そしてその結果、何かを求めるのではなくて、その事自体になりきるという事。その行そのものになりきる。
 
振り返ってみた時に、それを信者さん達が温かい気持ちで見守って下さっているかもしれない、そうあったら有難いなと、そういう気持ちがとても大事なのだと思いました。
 
香煙絶ゆる事無き霊場で聖なる使命に覚醒
 
いよいよ二月十日の結願の日を迎えました。その日は前日に良き心構えを教えて頂いたので、とても穏やかに、そして充実した水行を終えました。
 
いつもならそのまま帰るのですが、この二十一日間修行の場を借して頂いた事、そしてお守り頂いた事への御礼の意味を込めて、弘法大師様がおられる御廟の前でお参りして一夜を明かす事にしました。
 
これは何度もお話しした事ですが、御廟の前には灯明とお香を供える所があります。その灯明とお香が深夜を過ぎ明け方を過ぎても、必ずどなたかがお参りされるので、先の灯明とお香が途絶える事はついになかったのです。
 
まさに「香煙断ゆる事なし」という宗教的聖地、霊場を表す言葉そのものの出来事でした。
一夜明けて、久々に明るい中を帰路に着いたのですが、その時、体全体が深い霧に包まれました。
 
足元まで見えなくなる程ではありませんが、大きな慈悲にスッポリと包まれているような安心感と安らぎに加えて、底知れぬ充足感がありました。
 
そんな中に朝日が霧の中で顔を出し、更に光輝く霧に包まれ、まさに大いなるみ佛様に祝福して頂いている事を実感したのです。「あー、これから少しは信者の皆さんを悲しませずにすむかぁ!」と感じたのでした。
 
病を得て、いま一度 信者の苦悩に寄り添う覚悟を
 
実はこの気持ちは、私にとっての大きなテーマであります。病気になってこの半年、その間ずっと御宝号を毎日毎日唱え続けています。現在三百七十万遍を超えましたけれども、この先、いつまで続けるかは分かりません。
 
その中で信者さん達を悲しませない様にしよう。期待に応えるのではなくて、信者さん達にもっと寄り添って、信者さん達の悩み苦しみを自分のものにして、その中で佛様と一緒に向き合おう。そういう心持ちを持たなければいけないのだなと、この頃はまた改めて思っている所です。
 
昨日、月に一回の治療に行って来ました。あと五日後にまた診察なのですが、おそらくこれはもう何年も続けていかなければならないでしょう。その中で急激に結果が悪くなったら、また抗癌剤治療をする事になりますよという事でした。
 
この治療を始めるときは一ヶ月持たないかもしれない。保証は出来ませんと言われました。その言葉を聞いて、家族は皆真っ青になっていたそうです。
 
まあそういう中で何とか、今日もこうして皆さん達に若い頃の話から、そして現在にも繋がる僧侶としての心構え、生き様の、その一端をお話し出来た事はとても有難いと思います。
 
三十年変わらぬ法要、尽きせぬ法話の有難さ
 
一月に入っても二十三日、二月三日と、私が中々起きる事が出来ずに宗務長に法要、法話を代わってしてもらいました。「今朝はどうですか?」と聞かれて、「うん、なんとかしよう」と。特に十三日の御縁日には信者さんが沢山みえるからですね。
 
三十年近く、月に三回、こうしてずーっとやってこれた事も、今思えば有難いなと思います。
過去の繰り返しの話も何度もありますけれども、繰り返す中で、その時の心の状態、それから私自身の日々の生活のあり方の違いによって、話す内容も深みも変って来ます。

この高野山で修行した話は、これまでもう何回も話してきました。それでも皆さん達の受け取り方が違えばまた意味があると思って、お話しさせて頂きました。有難うございました。合掌




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