2020年03月27日大日乃光第2269号
人類の驕慢を誡めた東日本大震災犠牲者追善法要
三つの祈りを込めた御縁日法要
今日のお参りでは、願文の中に東日本大震災の犠牲者追善供養と、コロナウイルス退散並びに早期終息祈願、そして信者の皆さん方の心願成就を祈りました。
一昨日の三月十一日は、九年前に東日本大震災が起きた日として記憶されますが、実は白鵬関の誕生日でもあるのです。その日の大相撲中継では白鵬関へのインタビューがあり、東日本大震災後六回相撲を取って今まで全勝で、この日は勝たなければいけないと思っていたと答えていました。
貫主大僧正様は東日本大震災の後、白鵬関に何回か声を掛けられました。「天皇陛下が必ず被災地に励ましに行かれます。日本の伝統文化、国技である相撲の横綱として、天皇陛下が行かれる前にその露払いとして被災地に行って地を鎮め、道を浄めなさい。その為に是非被災地に足を運びなさい」と。
その後の認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(ARTIC=アルティック)の支援活動と、横綱の被災地訪問は結局重なりませんでした。熊本震災でもそうでしたが、横綱が動く際には日本相撲協会の許可が必要なのです。「震災直後のまだ現場が混乱している間は待ちなさい。ある程度落ち着いて安全が確保できたらいいでしょう」という判断なのです。
今日のお参りの休憩時間に貫主大僧正様に、「当時、十一日が白鵬関の誕生日と知って誘われたのですか?」と尋ねました。すると「そうだよ。あなたの誕生日は十一日なのだから被災地に行きなさいと伝えたよ」と答えられました。貫主大僧正様は震災前に白鵬関と東京で食事をする機会があり、その時に誕生日を知ったそうです。こうして横綱白鵬関にとって三月十一日は単に誕生日というだけでなく、大切な日となったのです。
九年前の東日本被災地での復興支援活動を振り返る
今日は九年前の東日本大震災を振り返りながらお話ししたいと思います。東日本では地震の後、津波で広範囲に被害が起き、一万六千人程の方が亡くなられて、二千五百人以上の方が未だに行方不明だそうです。
平成七年の阪神淡路大震災では五千人程が建物の下敷きや火災で亡くなられました。その後も「関連死」と言って、仮設住宅で亡くなられた方も含め、犠牲者は六千四百人以上と記憶しています。
平成二十八年の熊本地震では関連死も含めて五百人程でした。十四日に前震が発生し、十六日の本震の時は車中泊の方が多かった為に犠牲をまぬがれたそうです。他と比べて、これは不幸中の幸いと言えるのではないかと思います。
東日本大震災から一週間後には、貫主大僧正様が蓮華院としては最初に現地に足を踏み入れられました。当時五十九歳で蓮華院では最年長の貫主大僧正様は、放射線の心配もあって若い人よりは余命の少ない年寄りからと、鎮魂と慰霊のために自ら赴かれました。
福島空港が何とか使用可能でしたので、そこからタクシーでいわき市に入られました。一方アルティック事務局長の久家君は東京から北に上り、いわき市で貫主大僧正様と合流しました。その帰る途中で、貫主大僧正様は横綱白鵬関に先の様に現地入りを勧められたのです。
阪神淡路大震災の時には、ボランティアの空白地帯が無いように分担しました。私達アルティックは西から入り須磨区を拠点に、協力団体である東京のSVA曹洞宗ボランティア会は東から入り長田区を拠点に支援を行いました。
東日本大震災では、私は後方支援の準備を調え、三週間程して福島県のいわき市に入りました。小名浜から海岸沿いに入った時、家屋の基礎だけが残された光景が海岸線まで何キロもずっと続き、所によっては火災の跡がありました。私は僧衣を着て現地に入りました。当時は復興よりも行方不明者の捜索が盛んに行われていました。各所でローソク線香を灯してお参りしました。
久家君は被災地のどこに何が必要かを調査していました。そして多くの避難所の中から数ヶ所を久家君と訪問しました。阪神淡路大震災ではスタッフが直接現地に入り、他のグループや現地の人達も巻き込みながら支援活動を行いました。
東日本大震災では九州から距離があり、交通手段も乏しいので現地で頑張っている団体をバックアップする体制をとりました。阪神淡路大震災で学んだノウハウで、例えば炊き出しや、ボランティアに来た人をお世話するノウハウを提供できる団体を探しました。
私が現地入りした頃、久家君を通じて避難所で一所懸命活動しているザ・ピープルという現地のNPOの吉田恵美子さんと知り合いました。この団体は震災前には古着をリサイクルして困っている人をバックアップする活動を長年続けて来られました。吉田さんはたくさんのスタッフを指揮しながら自分は家にも帰らず事務所で寝泊まりを続けるという肝っ玉母さんのような、元気で明るい方でした。アルティックはその団体を通じて、福島県いわき市小名浜地区を支援する事になりました。
大規模自然災害は天罰か?
当時、避難所で女性の方から、「お坊さん、石原都知事(当時)がこの震災は罰被ったんだよと言われました。私達が何か悪い事をして罰が当たったのでしょうか?東北に居る犬や猫にも罰が当たったのでしょうか?」という質問を受けました。
その時私がとっさに考えた事は、当時石原都知事が言われた「罰が当たった」というのは多分そうだろうと思いました。彼女は本当は違う答えを期待されていたと思います。ですが、私は「罰が当たったと思います」と答えました。
先代の真如大僧正様がよく、「地球上の人間が身勝手なことばかりするから地球がちょっと身震いした。背中をブルブルと身震いした。それが地震となり、人間が戒められた」と、そんな事をお話しされていました。
私も人間があまりに傲慢で、気候が変わるくらいに、或いは地形が変わるくらいに地球を壊してきた。そういう事の報いとして罰が当たったのではないかと思っています。しかしこれは被災地におられる方だけに罰が当たったのではないとも思います。地球上にいる人類全てに罰が当たっている。
全国に居る私たちもその罰に痛みを感じなければならないし、アメリカに居る人もその罰を考えなければならない。人類全てが痛みを感じ、反省を共有するための罰ではないでしょうか?これはあなた達だけの問題では決してなく、たまたまこの地域にその現象が起きただけですよと、そう答えました。
その後熊本地震があり、フィリピンでは火山の爆発がありました。未来に何が起きるかは誰にも分かりません。天罰かもしれませんし、罰だと思い反省するチャンスにすべきだと思います。
今回の新型コロナウィルス感染症では中国の人も度を過ぎた飽食や贅沢を反省し、生きる為に食べるという行為がやむを得ず他の生き物の命を奪うという事を改めてよく考え、無益な殺生を避け、生命の尊厳を尊重し供養する機会になるように願っております。
人々を癒した傾聴ボランティア
さて、私が二回目に東北入りしたのは八月でした。その頃はほとんどの方が仮設住宅に入っておられました。ザ・ピープルは何ヶ所もの仮設に出入りして、人々を励まそうと支援を続けておられました。私は野田かつひこさんという「南大門春まつり」で奉納コンサートをして頂いている歌手の方を連れて、三ヶ所の仮設で励ましのミニコンサートを開きました。
ちょうど同じ頃、玉名の九州看護福祉大学から十五名ほどのボランティアが「足湯隊」として、足を揉みながらいろんな不安や不満などを吐き出してもらう傾聴ボランティア活動を行っていました。これはアルティックのコーディネイトで実現したものです。
山沿いの青年の家のような所で宿泊して、夜七、八時に帰って来て夕食後は一日の反省ミーティングを行い、次の日の朝食と昼食の準備をして寝るのが一時ぐらい。翌朝は弁当を持って八時に仮設住宅に着く。これを一週間ほど頑張っていました。ちょうどその最後の三日間、私たちと一緒になりました。
帰ってから九看大の学長先生に、彼女達はとても過酷な中で懸命に頑張っていましたと報告しました。この活動はその学長先生の決断で実現したもので、当時アルティックの理事でもあり、今は顧問を務めて頂いております。
天災を自らへの戒めとして日々忘れずに供養を続けよう
未だに震災の行方不明者はたくさんおられますが、本日は震災供養と合わせて皆様方と御縁日法要を厳修致しました。どの震災の事も時に思い返して、「罰が当たったな」「自分もその人間の一人なんだ」という認識を深めながら、被害に遭われた方々のご供養を皆さんと共にこれからも続けて参りたいと思います。
今日はお護摩やお参りを私が執行致しましたが、貫主大僧正様は昨年八月一日の入院以来毎朝、皆さんの祈願を一日も休む事なく勤めておられます。「お尋ね」も貫主大僧正様がしっかり務めておられます。退院されてからも同じように、祈願・祈祷の日々を続けておられます。また皇円大菩薩様の御宝号を唱えられ、既に四百五十万遍以上も唱え続けておられます。
ただ、特別指導はもうしばらく出来ませんので、皆さん方は相談事のある時は寺務所に箇条書きにまとめて話をして頂ければ、寺務所から貫主大僧正様に伝えて御霊示や御祈願をなさいますので、どうぞ安心してお願いされて下さい。合掌
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