2020年07月16日大日乃光第2279号
コロナ禍の中にお盆を迎え、いま一度供養の心を深めよう
細心の注意で人事を尽くしたコロナ禍の中の六月大祭
例年の六月大祭は、二日間に亘り、遠方からお越しの信者の皆さんをお寺にお迎えして、十二日に「功徳行」や「大梵鐘お身ぬぐい式」、「龍火くだり」、「百万遍大数珠廻し」、「体験談発表」などを行なってまいりました。
しかし本年は、コロナ対策のためにそれらの行事を悉く中止と致しました。その代わりに四月以来『般若心経』の奉納写経を勧め、御本尊皇円大菩薩様の御宝前にお供え致しました。(七月〇日現在〇〇〇巻)
十三日の御遠忌法要の前に緊急事態宣言が全国で解除されましたが、近隣から来られる方が安心してお参りできるように、本堂では互いに十分な間隔を取り、余分な会話を慎み、十分に換気をする。この「三つの密」に気を配りながらのお参りとなりました。
また十三日当日の全ての行事を、全国からご一緒にお参り出来ますようにと、初めてインターネットでライブ配信致しました。そして貫主大僧正様のお元気なご様子を、全国の信者の皆様にお伝えする事が出来ました。
配信の最後には「この散杖の先の御霊水が、全国の信者の皆様お一人お一人の頭上に届きますように」と、貫主大僧正様が画面越しに洒水加持をなさいました。
忸怩たる思いで、苦渋の決断
このコロナ禍の状況で日本全国どこの宗派でも、どこのお寺でも同じように、長年続いた歴史と伝統ある行事を、やむを得ず延期されたり中止されたりしています。そして疫病退散の祈願祈祷を中心に、アフター・コロナ、ウィズ・コロナの時代に沿う新たな信仰の形を模索し、苦労を重ねて手探りで試みておられます。
当山の信仰上、最も大切な六月大祭につきましても、忸怩たる思いと苦渋の決断を重ねた上で、信者の皆様の健康をお守りして、皇円大菩薩様への信仰をここで絶やさない為にも、遠方の信者さん方のお参りをご遠慮頂きますよう、幾度もお願い申し上げて参りました。
『般若心経』の奉納写経も、お参りのライブ配信も、常々お伝えしてきましたように、実際にお寺に足を運ばれてのお参りには到底及びませんが、コロナ禍の中で実施可能な方策の内、せめてもの代償として出来る限りの事をやむを得ず実施した次第であります。
お寺に足を運んでのお参りが何ものにも代えられない功徳
皇円大菩薩様は八百五十二年前に桜ヶ池に御入定になりました。衆生済度の御誓願の元、七百六十年もの龍神修行を続けられ、絶大なる功徳力を得て、生誕の地のここ玉名市築地に帰って来られ、開山上人様に御霊告を授けられました。それ以来、やがて百年を迎えようとしています。
その間、蓮華院誕生寺の三代に亘る歴代貫主様方の御祈祷力を通じて、皇円大菩薩様の絶大なる御霊力は灼熱の火炎の如く益々盛んになり、その功徳が積み上げられました。
さらに何万人、何十万人という信者さん方が熱心にお寺にお参りされて、お参りを続けて来られました。
∞(皇円大菩薩様の無限の御霊力)×一(歴代貫主様方の御祈祷力)×一(信者の真摯な祈り)=∞(無限の功徳力、無限の御利益)と、常々お話ししてきましたが、この土地には、ずっと積み重ねられてきたその祈りの力、功徳力があるのです。ですから、ここは皇円大菩薩様の聖地なのです。最近の言葉で言えば、佛様のお力のこもったパワースポットになるわけです。
十三日のお参りで、奥之院院代を務める啓照が申し上げましたように、コロナ禍の収束が見込まれる来年の六月大祭は、ぜひこの場に来て、皇円大菩薩様の目の前でぜひご一緒にお参りして頂きたいと思います。蓮華院僧侶一同、また職員一同、精一杯皆様が気持ちよくお参りできるよう環境を整えますので、来年こそはどうぞよろしくお願いいたします。
お盆の季節にいま一度お墓について伝えておきたい事
さて、お盆の季節が巡ってまいりましたので、少しお墓の話を致します。当山にも先代真如大僧正様が発願された、蓮華院御廟という霊園があります。
霊園では、お墓が出来た時の最初のお参りに「第三の眼を開く」、佛様に入って頂くという開眼供養を修します。そして亡くなられてからは、お墓に納める納骨供養。それから初七日、四十九日などの忌日供養、一周忌や三回忌などの年忌供養があります。
先日たまたま御廟で一周忌のお参りがあり、お会いすると若い方が多く、佛教にはあまり関心がなさそうなので、お墓について少しお話し致しました。
お墓というのは明治時代位までは、武家や公家など身分の高い人でない限り、庶民の間では立派なものは造られませんでした。また造ったとしても、昔は土葬が殆どでしたから、土に埋めて、「塔婆」と言って大きな木を五重塔や五輪塔と同じ様に、上に地・水・火・風・空を刻んだものを立てて弔っていたわけです。塔婆はちょうど本堂の前に立っている石の柱、これと同じ形です。
庶民の間で火葬をするようになったのは、戦後になってからの事だそうです。戦争で外地で亡くなられた場合に現地で火葬をしなければならないので、遺骨を骨壺に納めて帰ったのが、やがて一般的になったそうです。
お墓やお佛壇の本当の役割
よく「お墓にはいくら位出したらいいですか?」と聞かれます。それに対して「あなたはいくらの車に乗っていますか?」と逆に尋ね返します。すると「二百万、三百万の車に乗っています」と答えられます。「だとしたら、一方で十年程しかもたない車にそれだけお金をかけておきながら、ずーっと何代も続くお墓には二百万、三百万程度で果たしていいのでしょうか?」と問いかけます。すると「うーんそうですなー」と考えられます。車はせいぜい十年、お墓は数百年です。まあそこらへんを考えてどうするかです。
では何のためにお墓が必要なのか?お墓やお佛壇はご先祖様と繋がるための、またはご先祖様とお話をするための、言わばアンテナなのです。例えて言えば、皆さんがお持ちのスマホや携帯電話ですが、電波を受信出来なければ話が出来ません。
真如大僧正様は、「佛壇のない家は、ただの倉庫だ!人間の住む所ではないのだよ!!」
と、よく仰っておられました。ですから家を構えたら、必ず佛壇を設えてご先祖様とお話が出来るアンテナを立てなければいけません。
樹木葬や散骨で果たして良いのか?
今は色んな形のお墓が出来ています。最近は当山の霊園についても、色々周囲からのお話があります。「樹木葬はどうですか?」という話が、スタッフの間でもありました。
この事は貫主大僧正様とも、よくよくお話をしました。お寺としては、ここは手を抜くような事をしてはいけないのではないか?これはお寺の本分の一つではないかと考えています。
例えば散骨をして海に流したとします。十年二十年経ったら、いつ海に流したのか、何年何月何日だったか、分らなくなってしまいます。それどころか爺ちゃんはいつ亡くなったか、忘れてしまわないですか?さらに孫やひ孫や玄孫の代になると、もう全然分からなくなってしまう。
しかしお墓を設ける事によって、子孫はお参りを続けられます。或いは、お墓は時が経つとどうしても傷みます。傷んでくると修理をしなければなりません。それには当然費用がかかるので、「こんな大きいお墓をご先祖様は造って…」などとぶつぶつ言いながらも、ご先祖様のためにお金を出して、体を動かしてお墓を整えてお参りをして、ご先祖様を思い出す。
先祖供養を叶える場所として残すべきお寺の使命と役割
平成十八年頃に『千の風になって』という曲をテノール歌手の秋川雅史さんが歌い、一時ブームになりました。その歌では亡くなった方は風になって空を吹きわたり、光になって降り注ぎ、お墓にはいませんと歌われています。
亡くなられた方は風になって行ってしまわれるかも知れませんが、子孫がご先祖様とお話をしよう、お参りをしようと思った時には、ご先祖様は必ずそこに来て下さるのです。ですからご先祖様が風になって行ってしまい、そこにはいなくなるのではなくて、お墓にお参りをすれば、いつでもご先祖様とお話が出来る。そのためにもお墓があるのです。
先に述べた「樹木葬」というのもありますけれども、一度手数料を払えば、普通はもうそこで終わりなのだそうです。ですから、たまにはお参りに来られるのでしょうが、後の管理料などは払いません。そうなると、やはり忘れ去られてしまいます。
そういう事ではいけませんので、やはりお寺では今まで通り、あえてお墓という形をしっかり造れる環境や機会を保ち続けなければならないと思います。お金をかけ、体も使い、汗水を流して、しなければいけない事を続けて行けるように導くべきであり、人々にそう説いていかなければならない。
時流に異を唱えるのもお寺の役割
世の中は少しずつ変って行きます。変えて行かなければならない事ももちろんありますが、変えてはならない大事な事もあるのですよと、人々に教え諭して行く事を、お寺は続けていかなければならないと思っております。
皆さんも、お墓やお佛壇を、ご先祖様に繋がるアンテナと思って、日頃からお参りをして頂ければ有難いと思います。合掌
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