2020年09月17日大日乃光第2285号
秋の彼岸供養で「二世安楽」の密厳浄土を
先生方の熱意に感動した子供の詩のコンクールの経緯
九月に入り、前々号の『大日乃光』から「奥之院大祭」の案内を始めております。
残念ながら、今年の大祭ではコロナ禍により「横綱奉納土俵入り」が出来ない事をお伝えしました。毎年、大祭でお世話になっている行司の木村晃之助さんと、同じく九重部屋の千代の国さんからは「今年は残念です」とのお便りを頂いております。
また先頃、第三十一回「子供の詩コンクール」の応募作品の最終選考が終わり、各賞の受賞者が決まりました。
「子供の詩コンクール」では、各学年の優秀賞と優良賞の選考を熊本県下の国語の先生方に、「親を大切にする子供を育てる会賞」「坂村真民賞」「熊本朝日放送賞」の特別三賞の最終選考は、平成十三年までは坂村真民先生が、平成二十四年までは無着成恭先生に務めて頂いておりました。
その後は全ての賞の選考を先の先生方に務めて頂くようになり、先生方も当コンクールに対し、より前向きに取り組んで頂いております。
今年はコロナ禍によって、教育現場ではどの先生方もたいへんな労力を費やして、授業の遅れを取り戻すために奮闘しておられます。
そんな中で、今年は難しいと危ぶんでおりましたが、開催を決める会議の席上で、
「このコンクールは、子供達にとってたいへん良い企画です。
こういう時だからこそ、子供達の参加が少なくてもやりましょう!!」
と、先生方が力強く仰って下さいました。
そして蓋を開けてみると、例年とほとんど変わらない、五千七百十三篇の詩が集まりました。
こうして、来たる二十六日の表彰式を経て、例年通りに奥之院大祭で特別三賞の詩碑除幕式を開催出来るのは、偏に審査員の先生方の並々ならぬご助力の賜物と、ここに厚く感謝申し上げます。
茜さす朝日を受けて百日紅
さて、先代真如大僧正様が貫主堂の前庭に百日紅を植えられて、毎年七月下旬から咲き始め、今年も盛りを迎えています。ここ玉名では、ちょうど六時頃に朝日が東の木葉山から昇ります。天気の良い日には、日の出前三十分ほど、空の東半分が茜色に染まり、さながら東方浄土を思わせる雰囲気になります。
今、「東方浄土」と聞いて、「そんなの初めて聞いた!!」と仰る方が多いと思います。「西方浄土」は西方の十万億土にある阿弥陀如来様の浄土として有名ですから、日本人であれば知らない人はほとんど居ないと思います。しかし「東方浄土」は聞いたことが無い、と言われる方が多いでしょう。
佛様の数ほど様々な浄土がある
そもそもこの「浄土」という言葉は、お釈迦様が沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で入られた涅槃(ねはん・完全なる寂静、悩みの消え去った世界)を、後に大乗佛教が、一人でも多くの人々に身近な世界とするために、また一人でも多くの衆生を救済するために表わされた佛様の国、すなわち佛様の住まわれる世界の事なのです。ですから様々な佛様の数だけ浄土もあり、先の「東方浄土」は薬師如来様や阿しゅく如来様の浄土なのです。
また、玉名市内には観世音菩薩様(観音様)の浄土である「普陀落山」(ふだらくさん)に向けて舟を漕ぎ出して、入水住生しようとした人が、その願いを石に刻み込んだ「普陀落渡海碑」という、大変貴重な石碑があります。その観音浄土、別名「普陀落浄土」は南方にあると説かれています。
ところで、佛教の歴史の中でも最終発展段階で生み出されたのが真言密教です。この真言密教、つまり真言宗の浄土は「密厳国土」(みつごんこくど)・「密厳浄土」と言って、大日如来様の浄土なのです。佛教の様々な経典には、その他にも東・西・南・北・上・下と、四方・八方・十方に浄土があると説かれています。
「彼岸」の真の意味とは
話を彼岸に戻します。今年はコロナ禍によって様々な制約を受け、先のお盆はかつてない特別な季節となりましたが、今度の秋のお彼岸を、世間ではどのように迎えるのか、どのような声が聞こえて来るのか、興味深く見守りたいと思います。
近年は墓参りや供養を怠り、レジャーに当てる家庭が多くなり、あまつさえ行政が音頭を取って、全く違う主旨のイベントを実施している地方都市さえありました。先代は、この日に運動会をするのさえ「それは意味が違う!!」と嘆いておられました。しかし広範な移動が制約され、イベントの開催も自粛されている今年は、案外ご先祖様にじっくり向き合える好機となるやもしれません。
さて、このお彼岸とは、そもそもどういう意味なのかを説明します。太陽が真東から昇り真西に沈む日を「春分の日」と「秋分の日」と言います。佛教的な言葉では、春・秋のお彼岸の「中日」と言います。そして秋の彼岸の中日は「先祖に感謝する日」と法的にも定められています。国民の祝日として、ご先祖様を敬い、供養の誠を奉げる日と決まっているのです。
佛教では、悩み、迷える私達の住むこの世を「此岸」(しがん)と言い、それとは逆の悟りの世界であり安楽の世界、佛教徒にとって理想の向こう岸のことを「彼岸」と言うのです。
「彼岸」には、先に触れた様々な佛様の「浄土」と、ほぼ同じ意味があります。そうすると、彼岸は西の方だけにあるのではなく、あらゆる方向にあることになります。
真言密教の至高の境地
さて、真言密教の説く、先の「密厳浄土」では、死後の世界ばかりに浄土を見い出すのではなく、私達が今生きているこの世そのものが浄土である、という考え方によって成り立っています。これは「今日、ただ今の、この世を浄土にしよう」という発想なのです。
このことを開山上人様は、「蓮華院の信仰は、『二世安楽』を皆さんに得て頂く為のものです」
と、よく仰っておられました。「二世安楽」とは、来世の極楽往生・成佛だけではなく、生きているこの世でも幸福にならなければならない、という言葉です。
また先代は、「願いごとを叶えるためには、み佛様のみ心に適う生活をし、佛様に褒めて頂くことが大切です。そして地球からも喜んでもらえるような生き方をしなければいけません」と仰っておられました。
この地球からも喜んで頂く事こそ、「密厳浄土」に住む資格のある生き方であり、地球上の生きとし生けるものすべて(衆生)が光り輝く時、この世が「密厳浄土」に変わるのです。
そこにはもはや、希求する彼岸さえもなくなり、彼岸と此岸が繋がった「二世安楽」の世界が広がるのです。
この事を弘法大師空海上人様は、
「佛法遙に非ず、心中にして即ち近し」
【佛様の教え(悟りの世界=彼岸)は、遥か彼方にあるものではない。我々の心の中にあって、まことに近いものである】(『般若心経秘鍵』より)と説かれておられます。
或いは、
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」
【宇宙がなくなり、生きとし生けるもの全てがいなくなり、悟りもなくなってしまうまで、私の願いは尽きません】(『性霊集』巻第八より)と表されています。
彼岸供養に当たっての心構え
この秋の彼岸では、死後に安楽の世界(浄土への極楽往生)ばかりを求めるのではなく、この身、今生を生きる中で、ご先祖様から伝わる尊い命を享けて生かされ、生きている事への深い理解と、篤い感謝の心を大切に、供養をして下さい。ご先祖様に深い感謝の気持ちを捧げるつもりで、お彼岸の供養を勤めるべきなのです。
そして、前回お伝えしたように、ご先祖様に善業を捧げる、「追善供養」「廻向供養」として私達の生活の一部をご先祖様に振り向ける事で、その功徳が私達や子孫に廻り巡って、ご利益として自ずと返ってくるのです。
朝日を浴びると、時に境内の雑草でさえ光り輝く時があります。一年草の何十倍も生き長らえる私達人間は、たとえ自ら光ることは出来なくても、倦まず弛まず善業を積み重ねる事で、一生の内に佛様の智慧と慈悲の光を浴びて、必ずやその光を反射できる時期が来るのです。
日本の素晴らしい伝統行事であるお彼岸は、その善業を積める貴重な機会の一つなのです。
ですから一人でも多くの方が御先祖様への感謝を込めて、お佛壇へのお参りや、事情の許す限りお寺参り、お墓参りを一家揃っての家庭行事として行って頂きたいものです。
当寺の霊園でも、来たる二十三日、全体供養を厳修致します。今年は既に御廟からの案内の通り、恒例の「観月会」を中止致しますが、供養そのものは滞りなく執り行います。
事情の許す方は御廟にてご一緒にお参り下さいますよう、或いはそれぞれのご家庭で、ご家族でお佛壇に向かい、可能な限りご一緒にお参りが出来ますように祈っております。 合掌
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