2020年10月07日大日乃光第2287号
敬老の日と父の日、母の日から父母祖先への感謝を始めよう
日に日に秋の気配を感じるようになりました。コオロギやクツワムシなどの秋の虫が鳴き始め、三日程前から明け方の気温が十四度を下まわるようになりました。いよいよこれから秋に入り、徐々に紅葉が進む事でしょう。朝方の肌寒さに毛布を引っ張り出して、そう感じた次第です。
兵庫県から広まった敬老の日
さて一昨日の九月二十一日は、何の日だったでしょうか?平成十五年以来、九月の第三月曜日が「敬老の日」と定められました。それまでは九月十五日が「敬老の日」でした。
この「敬老の日」の起こりは、戦後すぐの昭和二十二年に、兵庫県の野間谷村(現在の多可町八千代区)で村主催の敬老会が開かれた時に端を発したそうです。
やがて、この時の村長さんだった門脇政夫さんを中心に、村から県、さらに国全体へと徐々に活動を広げられ、昭和四十一年に「敬老の日」として国民の祝日になりました。
すでに昭和二十三年には「こどもの日」や「成人の日」が国民の祝日として制定されていたので、それから十八年も歳月がかかったわけです。
これに尽力された門脇村長の当初の趣旨は、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」というもので、九月十五日という日取りは村の農閑期に合わせたものでした。
九月十五日の歴史的出来事
平成十三年の祝日改正法は、祝日の一部を特定週の月曜日に移すという法改正で、「敬老の日」もそれに沿う形になりましたが、当時存命であった提唱者の門脇さんは、九月十五日の日付の変更について、遺憾の意を表わされました。この日付については諸説ありますが、以下に記すような歴史上の出来事があるそうです。
先週、当山が属する真言律宗の総本山西大寺から、「称徳天皇千二百五十年大遠忌法要」の案内がありました。父聖武天皇の東大寺創建に倣い、佛法で国を守る鎮護国家のために称徳天皇が西大寺を創建されました。西大寺では、その事への報恩感謝の大遠忌法要を、毎年開催される最も大切な光明真言土砂加持大法会の中日である十月四日に執り行うという案内です。
先の平成三十年、当山では皇円大菩薩様の八百五十年大遠忌法要を執行し、本山をはじめ有縁の寺院より大勢の僧侶にご参集頂き、関係各位の列席の元、何よりも全国から信者さんを大勢お迎えして盛大に開催致しましたが、今回の称徳天皇は奈良時代ですので、さらに四百年以上も遡る事になります。
称徳天皇は史上六人目の女性天皇でしたが、この方の祖父に当たる文武天皇の姉君も元正天皇と言って、史上五人目の女性天皇でした。
ある女性天皇の敬老の思い
元正天皇はそれまでのような皇后や皇太子妃を経ての即位ではなく、独身で即位された初めての女性天皇であり、生涯未婚を通された最初の方でもありました。岐阜県の木曽川水系に名水百選にも選ばれている有名な「養老の滝」がありますが、元正天皇の治世には、その名も「養老」という元号があります。
鎌倉時代に編纂された『古今著聞集』という説話物語の中に、養老の滝の水が親孝行の心によってお酒になったという「養老孝子伝説」があります。そのお酒を飲み、盲いた老父の目が見えるようになり、体の不自由が治ったという話です。やがてその評判が都に伝わり、帝が行幸され、孝行息子が褒美を賜ったという事です。
実際に、奈良時代に元正天皇が養老の滝を行幸されたという記録が残されています。元正天皇は『醴泉は美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出され、全国の高齢者に賜品を下されました。
この時の日付は現在の太陽暦の九月十五日ではありませんが、先の野間谷村で門脇村長が敬老会を発足される際に、元正天皇の故事が念頭にあったという事です。
佛教の精神で建立された社会的弱者救済の施設
九月十五日にはもう一つ、聖徳太子が大阪の四天王寺に、佛教の慈悲の精神に基づき、身寄りのない貧窮者や病人、孤児などを救うための「悲田院」という救護施設を建立された日という伝説もあります。
悲田院については、先の元正天皇の養老年間に、称徳天皇の母親の光明皇后(当時は後に聖武天皇となる首皇太子の妃)が、藤原氏の氏寺であった興福寺に「施薬院」(貧しい病人に薬を与え治療をした施設)と共に建立されたという記録が、皇円大菩薩様編纂の『扶桑略記』に残されています。
他に日本に戒律をもたらされた鑑真和上が造られた例や、時代を下って鎌倉時代に、真言律宗の興正菩薩叡尊上人と忍性菩薩が全国各地に建立されて貧しい人々やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力された例があります。
スリランカでの児童養護の取り組み
アルティック(認定NPO法人れんげ国際ボランティア会)のスリランカにおける活動のカウンターパートであったネセック財団に、ヴィマラ・シーラガマ大僧正がおられます。
シーラガマ大僧正は、保護者のいない子供を預かり、教育するための児童養護施設を造られました。これはネセック財団の最初の社会福祉事業の取り組みとなりました。
スリランカは上座部佛教の国ですから、お釈迦様の誕生日や入滅の日には、各地の寺院で盛大なお祭りが執り行われます。
中でも中部の州都キャンディには、世界文化遺産にも登録された「佛歯寺」というお釈迦様の歯を大切にお祀りしているお寺があり、満月の日に盛大なお祭りが催されます。お釈迦様の歯を厨子に納め、象に載せて、他にも沢山の象が飾り付けをして町中を練り歩きます。
日本では色んな祭りで飾り馬を繰り出して、稚児を載せたりします。今年はコロナ禍で中止となりましたが、熊本でも藤崎八旛宮秋季例大祭で飾り馬の奉納行列があります。
スリランカでは飾り象が練り歩き、キャンディアンダンスという有名な踊りを踊ったりと、まるでブラジルのリオのカーニバルのように賑わいます。
その児童養護施設でシーラガマ大僧正が子供達に教育しているのは、毎朝お父さんとお母さんの足に跪いて感謝をするという事でした。これはスリランカでは昔からの伝統だそうです。
朝の挨拶では、子供達がお父さんの前に行って、跪いて足に額をつけて短いお経を唱えます。またお母さんの前に行って足に額をつけてお経を唱えます。短いお経を「偈」と言うのですが、それを唱えてお父さんに感謝し、お母さんに感謝する。これはスリランカでは毎日やっているそうです。
忘れてはならない父母祖先への感謝の心
蓮華院でも昔、誕生日には自分がお祝いしてもらうのではなくて、まずはお母さんに「私を産んで頂いて有難うございます」と、お父さんに「私を育てて下さってありがとうございます」と、感謝の言葉を言う日にしましょうと、真如大僧正様が提唱されました。
父の日と母の日、それから自分の誕生日に親に感謝の言葉を言ったとしても、子供が親に感謝する日は年に三回しかありません。
敬老の日には、例年公民館に七十才以上の方をお招きして、そこでお祝いをして記念品をお配りしています。そして来られなかった方には区長、副区長が様子を見に各家を回ります。
それが今年は中止になりました。コロナ禍でお年寄りが集まると危ないという理由です。
お年寄りに感謝をする特別な日は、敬老の日の一日しかありませんが、果たしてそれでいいのでしょうか?
父の日と母の日と敬老の日があるのは、普段忘れてしまっている感謝の気持ちを改めて思い起す日という意味合いもあります。ですが、本来はスリランカのように、毎日が父の日、母の日、そして敬老の日であるように、常に感謝の気持ちを持ち続けて心がけて行かなければならないという事です。
お年寄りや父や母を大切にするという事は、ご先祖様を大切にする先祖供養に繋がり、佛様を大切にする佛教の精神にも繋がります。皆さん方は是非、両親や祖父母、ご先祖様に感謝を捧げる毎日でありますよう、心がけて頂きたいと願っております。合掌
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