2021年03月02日大日乃光第2299号
「ミャンマーへと赴任する若者に信者の菩薩行の功徳を託して」
ミャンマーへと赴任する若者に信者の菩薩行の功徳を託して
先月から境内に紅梅が咲き誇っています。胸いっぱいに吸い込むと、馥郁とした香りに心が和らぎ、のどかな心待ちにしてくれます。未だ寒い日が何日かあるでしょうが、確実に春に向かって季節が流れていることを実感します。
次世代を担う若者に国際協力の真髄をリモート講義
さて先日、認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(ARTIC=アルティック)の理事会を前に、事務局会議を致しました。その中で、以前から決めていた新たな若い二人のスタッフが、いよいよミャンマーに向けて、二月二十日に出発する予定とのことでした。突然こんな事を伝えても、何のことか分からない方が多いはずですから少し説明致します。
アルティックは、昨年で創設四十周年を迎えております。最初は私自身が事務局長を務めておりましたが、当山の貫主を拝命してからは殆ど現地には行けませんので、宗務長に専務理事になってもらい、久家誠司君に事務局長を務めてもらって来ました。しかし、彼らも(私も含めて)いつまでも若くはありません。加えて外務省経済協力局から、現地のための予算が出る様になりました。
そんな訳で、未来を担う若いスタッフを募集しておりました。そして審査と御霊示の結果、応募者の中から二名に絞り込みました。そしてその二名に対する研修を、こんなご時世ですから、リモートで実施しました。
そんな中で、私自身が彼らに「アルティックの理念とその歴史」について、小一時間お話し致しました。その内容の一部をここにご紹介します。
活動の根幹は大乗佛教の菩薩行
一九七九年、当時マスコミで盛んに報道されていたカンボジアでの大量の難民発生に際し、先代貫主故川原真如大僧正様は「大乗佛教者の一人として、これは見過ごせない」と、カンボジア難民への募金を「同胞援助」として呼び掛けられました。
それは大乗佛教の基本精神である、「菩薩行の実践」としての奉仕行の一つでもあります。
菩薩行とは、たとえ自分自身が未だ苦しく辛い境遇にあったとしても、さらに苦しく辛い状況にある人々に対して、出来うる限りの奉仕を実践する事が、その要諦です。
そしてその募金活動に「同胞援助」と名付けられた事が、この募金が単なる一過性のものに終わらず、一つの運動となって現在まで続く要因にもなりました。それは、世界中で困難な境遇にある人々を、私達と同じ同胞(はらから)と位置づけ、その苦しみや悲しみを同じ目線で自分の事として受け止める、まさに菩薩の同悲の心構えを持った活動へとつながる出発点になったのでした。時に昭和五十五年三月三日の事でした。
その後、真如大僧正様は同年十一月三日の奥之院大祭の御法話でいま一つ、「一食布施」の名の募金を提唱されました。この事によって、募金活動は本格的な体験と共感を伴う、蓮華院の信仰の大切な一部にもなったのでした。
「同胞援助」と「一食布施」
ここで本誌を読まれてまだ日の浅い方々のために、少し説明を致します。
「同胞援助」は難民など困難な境遇にある世界の人々のために、同じ人間として、同じ佛教徒として、いつでもどこででも、そのお志を募金して頂くものです。
当寺ではご縁日や準ご縁日などの法要の後、必ず法話を致します。その後、お参りの皆さんお一人お一人に「洒水加持」(しゃすいかじ=お清めをした水を頭上に当てて加持する作法)を致しますが、その時にお供えとは別に「同胞援助」の募金をして頂いております。
一方「一食布施」は月に一度か二度、一日三食の内の一食を断食して頂いて、その経費の分を募金して頂くというものです。
当寺では毎月八日(真如大僧正様の御命日)と二十日(開山上人様の御命日)を朝食を摂らない日と定め、この四十年間毎月「一食布施」を実践して来ました。その度に少しだけひもじい思いをして、世界中の飢えに苦しむ人々の苦しみの、ほんの一部を共感するという募金です。
欧米の民間の国際協力団体(NGO)は、キリスト教を母体とする団体がほとんどです。ところが我が日本では、佛教系のNGOは数える程しか有りません。加えて我が国のマスコミの政教分離への過剰な対応から、我々佛教系NGOの様々な活動は殆ど報じられる事がありませんでした。
「同胞援助」にも「一食布施」の名前にも、最初から佛教的な意味合いが込められています。とりわけ「同胞援助」には、アジアの人々を同じ人間として、仲間として捉える考え方が色濃く込められているのと同時に、まさに佛教的な国際協力の理念が込められているのです。
内外を問わない支援とともに活動を広げてきたアルティック
そしてこれらの募金による浄財を、実際にどの様にどの範囲で使うかも検討されました。
まずはアジア地域に限定し、加えて佛教徒への支援とする事。そして今一つ大切な事は、必ず支援する現場に足を運び、その地の実態を把握する事が決められました。
この事によって、信者の皆さんの真心のこもった浄財がどの様に使われ、どの様に役立っているのかを報告できる様になりました。そしてこれらの基本方針が、図らずも国際協力NGO(国際的な支援を行う民間団体)の条件を充分に満たしていたのでした。
平成四年に先代の後を継いだ私は、これまでの蓮華院誕生寺国際協力協会を、永続的で開かれた団体とすべく、平成十五年にNPO法人「れんげ国際ボランティア会」として法人格を取得しました。
これは平成七年の阪神淡路大震災に際し、多くの個人や団体が被災地の支援活動を行う中で進められました。それぞれの団体がより充実した活動を永続的に行うためには、公益的な法人格を持つ必要性があるという事で、社会的な要請から、NPO法人化が求められたのです。
具体的には二十六年前の阪神淡路大震災、十年前の東日本大震災、五年前の熊本地震など、国内の様々な災害で支援を続けました。
また海外ではタイやスリランカ、ミャンマー、そしてチベット難民支援へと、活動範囲が広がりました。
そして、活動の信頼性をさらに高めるために、平成二十七年に認定NPOを取得しました。
スリランカの学校に掲げられた子供の目線からの格言
さて、そんな中で、私自身がスリランカの教育現場でこんな言葉に巡り合いました。それは子供達の立場に立って、大人達に訴える形で表明されています。
私がすべき事をあなたがするなら
私はする事がなくなってしまう
私が何者であるかをあなたが決めるなら
私は自分自身を無くしてしまう
どうか私に自分で考え、行動出来るようにして下さい
この言葉の中には、国際協力NGOにとって大切な心構えが多く含まれています。
私達日本人が、彼の国の人々が本来自分自身で為すべき、村づくりや学校づくりなどを含めた国づくりに対して、先回りしてコレが良かろうと勝手に決めつけて、先回りしてそれらをやってしまえば、彼の国の人々の自立心や誇りが傷つけられてしまいます。
我々日本人が、開発途上国の人々を、彼らは怠け者でやる気がない、などと勝手に決めつければ、彼らの自らを発展させようとする気概も誇りも、結局私達に奪われてしまうという意味です。
ともすると、欧米のNGOでは上から目線であったり、与えてあげるという意識が強い傾向にあるとのことです。
我々の国際協力の基本方針は、あくまで同じ同胞として現地の人々の自立を支援する事に尽きます。一方で過剰な支援は却ってその人々に依頼心を起こさせ、結果的には逆効果になってしまうのです。
また私達は国際協力の方針として、常に教育支援に重きを置いてきました。それは我が国の明治以来の近代化や発展が、まさに教育の充実にこそ、その原点があったと確信しているからです。開発途上国への支援を、この教育支援に置いているのは、まさにこのような事情なのです。
アルティックの活動は、信者の一人びとりの功徳の賜物
アルティックの活動は、全国の信者の皆さんが、たゆまず「同胞援助」や「一食布施」などの菩薩行を実践して頂いた賜物であります。四十年以上にも亘ってコツコツと、信仰に基づく募金を続けて来て下さったお陰なのです。
今日、アルティックの活動が飛躍的な深化と発展を遂げている事に、御本尊皇円大菩薩様、開山上人様、真如大僧正様に成り代わり、篤く篤く心から御礼申し上げます。
最後に、先のスリランカの教育現場に掲げてあった言葉を信仰の立場から顧みると、
信者さん自身が為すべき事を、お寺に任せてしまえば、
信者さんは精進・努力する事を無くしてしまう
信仰とはどうあるべきかを、お寺が決めてしまえば、
信者さんは信仰の道を自ら探らなくなってしまう
どうか信者さんは自ら努力する事柄を、ご自身でも探して下さい
となります。いかがでしょうか?
二人の若いスタッフが、これからどんな経験をして、どんな苦難に遭遇し、それらを乗り越えて行くのか、心から楽しみにしています。半年後、一年後、彼らが現地からどんな報告をしてくれるのかを、皆様とともに楽しみに待ちましょう。合掌
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