ホーム > 大日乃光 > 大日乃光一覧

大日乃光






大日乃光

2021年03月27日大日乃光第2302号
新年度のスタートに当たり、明るい笑顔で挨拶をしよう!

新年度のスタートに当たり、明るい笑顔で挨拶をしよう!

信者の願いを叶えるための千四百万遍もの御宝号念誦
 
先の三月十二日の夜、コロナ禍により久々に再開された教師・準教師会で、貫主大僧正様が、一時間程お話をされました。
 
一昨年の八月の入院から毎日御宝号を唱え続けられて、今日で千四百三十万遍に達したということです。
 
一年と十ヶ月程でそれほどの御宝号を唱えられ、この間たった一日も休む事なく信者の皆さん方のための祈願祈祷と、時々刻々の「お尋ね」を続けて来られました。
そしてこれからも、少しでも長く祈り続けたいとお話しになりました。
 
年度の変わり目にいま一度、「一年の計」を見直そう
 
さて、本誌が皆さんのお手元に届く頃、コロナ禍の中では二度目となる新年度のスタートです。
 
年の初めは正月。
運気の変わり目は節分。
そして年度の変わり目として、四月があります。
 
二月の節分の時に、お正月に立てた一年の目標、いわゆる「一年の計」をもう一度見直す機会として、節分を一つのきっかけにして下さいとお伝えしました。
 
依然として困難な状況下にありますが、この四月にも、新年度に当たっての目標や計画をいま一度、立て直してみて下さい。
 
元旦には個人的な人生目標や、家族に関する計画や予定を立てる人が多いと思います。
それに対して新年度は進学や就職、中には転職という方もおられることでしょう。そうすると、勢い仕事に関する事柄が多くなるように思われます。
 
そこで信仰を、「個人の生き方を支えるもの」という捉え方から、家庭や職場でどう活かすべきかへと、少し広げて考えてみたいと思います。
 
日本人の伝統的な仕事観は、己を完成へと導く「菩薩行」
 
仕事とは、「事に仕える」と書きます。意味としては「様々な事柄に、己を虚しくしてお仕えする」という意味です。また、人が働く事の意味は「側(はた)を楽(らく)にする事」といった考え方があります。
 
「はた」とは、自分以外の周りの人々の事ですから、仕事とは、「自分に与えられた役割に己を虚しくして仕えるような心構えで努力する事によって、周りの人々の役に立ち、周りを楽にし、ひいては社会のお役に立つこと」という事ができます。
 
このような伝統的な仕事観に立つ時、仕事そのものが、そのままある意味で修行になり、「菩薩行」にもなります。
 
「菩薩行」とは、己の未完成を自覚する者が完成を求め、向上心を持ち続けて努力を続ける生き方であります。そして、社会や世間を少しでも良くしようと、様々な手立てを実行する行動に、「菩薩行」のもう一つの大切な意味があります。
 
まさに仕事そのものが、心の持ち方次第で己を鍛錬し、向上させながら、人様や世間の為になり、さらに仕事に真剣に携わることが自分自身を向上させる修行となるわけです。
昔ながらの日本人の仕事観には、このような意味合いが確実にあったのです。
 
形の有る僧侶の修行と形の無い在家の修行
 

真言宗の基本的な修行は「三密」の修行です。元旦号と正月初まいりで貫主大僧正様が御説法されましたが、改めてお伝えします。残念ながら近頃はコロナ禍によって、この言葉が違った内容で広まっています。
 
「三密」とは本来、私達の身体の働き、口から出る言葉の作用、そして意識(心)の動きを聖なるものと認めて行う真言密教の修行の事なのです。
 
【身密】…身体の働きの象徴として、合掌などのような、手によって様々な印を結ぶ事を通じて佛様の世界に近づく。
【口密】…口でお経や真言、御宝号などを唱える事で佛様の世界と一体化する。
【意密】…心の中に佛様の世界と、佛様の救いのお働きを思い描き、その佛様の思いや御心に、自分の心を同化する。
 
以上は形のある形式を踏まえた、専門的な僧侶の修行であります。これを「有相の三密行(うそうのさんみつぎょう)」と言います。
 
それに対して、「無相の三密行(むそうのさんみつぎょう)」というものがあります。
僧侶による専門的な、形のある「有相」の修行ではなく、形式を超えた、一般の生活の中で応用として行じられる修行が、この「無相の三密行」なのです。
 
例えば、
職場で上司や同僚、はたまたお客様などに、どんな表情で、どんな所作で接するか?【身密】
どんな言葉遣いで接するか?【口密】
どんな心構えで接するか?【意密】
 
など、先の「三密」の身・口・意にそれぞれ当てはめて、生活や仕事の中で行なって行くことによって、仕事そのものが「無相の三密」の修行になるのです。
 
仕事を通じて実践出来る、悟りに至る具体的な道筋
 

大乗佛教の世界では、修行者が心がけるべき六つの悟りへの道筋として「六波羅蜜」が大事にされます。
 
一、布施波羅蜜(施しを実践すること)
二、持戒波羅蜜(良きルールを守ること)
三、忍辱波羅蜜(耐え忍ぶこと)
四、精進波羅蜜(努力を続けること)
五、禅定波羅蜜(真に心を落ち着ける   こと)
六、般若波羅蜜(慈悲と一体となった深い智慧を身につけること)
 
この最初に挙げられている「布施波羅蜜」の実践は、僧侶でなくても誰でも実行できる修行です。この「布施波羅蜜」を「無相の三密の修行」として実行する時の、具体的な手立てについて少し説明してみましょう。
 
日常生活の中で、いつでも誰でも実行できる布施行として「無財の七施」があります。
 
一、眼施(げんせ)…優しい思いやりの目で接すること。
二、和顔施(わがんせ)…穏やかで優しい顔で接すること。
三、言辞施(ごんじせ)…優しい温かい言葉で接すること。
四、身施(しんせ)…身体で出来る奉仕。
五、心施(しんせ)…心に思いやりの心を込めて人と接すること。
六、床座施(しょうざせ)…座席を譲ること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)…我が家で人を温かくもてなすこと。
この「無財の七施」を「無相の三密」の立場から、職場だけでなく全ての生活の場面で活かす事を考えてみましょう。
 
今日、直ちに始められる「布施行」としての立居振舞い
 
相手にとって気持ちの良い身なりや清々しい笑顔、更には涼やかな眼差しをするように心懸けます。これらは全て、身体やそれに付随する【身密】の働きです。
 
身なりをサッパリと整えること自体が、仕事に臨む時の大切な事ですが、更には笑顔や優しい眼差しは、職場の皆さんに対してあなたが出来るささやかな貢献です。
 
そしてまた、それは同じく周りの全ての人々への奉仕でもあり、無償のサービスなのです。
これらは体を通しての布施ともなるのです。これらは「和顔施」、「眼施」、「身施」でもあります。
 
次に気持ちの良い明るい挨拶、ハキハキとした返事など、相手を良い気持ちにする言葉遣いなどが【口密】です。これを「言辞施」と言います。
 
それらの身体と言葉を使ったサービスや、奉仕としての「布施行」を、更に心の込もった「心施」としての【意密】の段階まで高めて行う時、周りに良き波動を拡げることが出来ます。
そして良き職場環境が整うにちがいありません。
 
「私はまだまだ未熟者で、身・口・意の三つとも同時にはむずかしくて…」と躊躇いを感じる方は、口による、言葉遣いによる【口密】としての「言辞施」となる「明るい挨拶」だけに気持ちを集中してはいかがでしょう。
 
職場で最初と最後だけでも明るい挨拶をしようと決意してください。その決意でコツコツと、今日よりは明日、明日よりも明後日という具合に続けていくことこそが修行と思い定めてください。あまり難しく考えず、時には三歩進んで二歩下がっても良いのです。
 
特に、これから就職して社会人になる方や転職される方には、是非とも以上のような、職場が人生修行の場であるとする伝統的な価値観を、一度しっかりと受け入れて頂きたいと思います。そこからより良き新たな人生が始まるに違いありません。
 
古来より肯定されてきた人間本来の神性と佛性
 

人は生まれながらに「何が良いことで、何が正しいことか」が分かっていて、更には「何が悪いことで、何が間違ったことか」をも知っているとする考え方があります。
 
いわゆる性善説ですが、これは昔から子供を「子宝」ととらえ、子供を「神様の遣い」「佛様の子」とする考え方に、どこか通じるものがあります。
 
つまり、佛教的な考え方が伝来する以前から、私達日本人は子供の中に神性と佛性を見ていたのです。
 
果たして現代では、「良い事、正しいことを子供は生まれながらに知っている」という考え方を、素直に受け入れる人がどれぐらいおられるでしょうか?
 
「人は教育によって人となる」というのが、現代では妥当な感覚かもしれません。確かに人は育てられた環境によって、考え方や行動の仕方が変わってきます。
 
しかし、何が良いことで、何が悪いことか?というのは、一種本能的に人は分かっている、という信頼感が私達の社会にはあります。
 
このことを佛教では、
「一切衆生 悉有佛性」
〔全ての生きとし生けるものは、悉く佛の種(佛の性質)を持っている〕
と言い習わしています。いわば人間存在に対する大肯定、人間尊重の原点とも言えるでしょう。
 
この事は、コロナ禍やそれ以前の自然災害に対する日本人の高い倫理観に基づく行動規範として、世界に広く知らしめる形にもなりました。
 
しかし残念ながら、何が良いことで何が悪いことかを本来知っているはずの私達であっても、多くの人々が「我欲」という煩悩によって覆われてしまいます。その結果、元々は円満で穏やかな心さえもねじ曲がる人が出てきます。
 
明るい声と笑顔の挨拶で心の垢落としを始めよう
 
そこで私達は日頃の修養や修行を通じて、この身と、この言葉と、この心を通じて、煩悩の垢を落としていかなければならないのです。そして時には佛様の前に進み出て一心に懺悔し、自らの不徳を反省する時間を持たねばならないのです。
 
それと同時に、日々の仕事の中で少しでも心構えを変えることによって、自分の心を素直にする手立てを、私達は有り難いことに持っているのです。
 
そのためには最も実践しやすい言葉の使い方として、まずは自分から明るい声で挨拶をしてみましょう。マスクに口元を覆われて声がこもり、表情も分かりにくいかもしれませんが、それでも出来る限りの笑顔で!
 
声や表情が変わると、心も変わってくるに違いありません。そして、それらの一つ一つが実は奉仕の行であり、無限に尽きることのない布施の実践でもあると信じて行って下さい。
 
そんな中から、少しずつでも豊かな心が周りに広がっていくことを心から祈念致しております。合掌




お申し込みはこちら 大日新聞(月3回発行)を購読されたい方は、
右の「お申し込みはこちら」からお申し込みいただくか、
郵送料(年1,500円)を添えて下記宛お申し込みください。
お問い合わせ 〒865-8533 熊本県玉名市築地玉名局私書箱第5号蓮華院誕生寺
TEL:0968-72-3300