2021年04月28日大日乃光第2305号
皆さんの菩薩行の実践が、希望に満ちた若者の前途を拓く
実りを迎える『真如基金』の願い
今日は私から皆さんに、三人の若者をご紹介します。
まず一人目は、藤井英仁君です。三十二才になります。英仁君は、皇円大菩薩様八百五十年大祭を前に平成二十六年に拡充された『真如基金』の初めての奨学生です。
『真如基金』は、先代真如大僧正様の御遷化の際にご芳志頂いた御霊前やお香料などを基に、将来への基金として命名されました。そして外国人留学生への奨学金や、チベット難民居留区の僧院建立等に活用されました。
その後、八百五十年大祭を機に、多宝塔建立・五智如来顕現に並ぶ記念事業の柱として、貫主大僧正様が将来の人材育成のために今力を尽くさねばとお考えになり、未来の素晴らしい人材を日本佛教界に生み出すための布石として発願され、信者の方々のご賛同により拡充されました。
「未来のための良き種を撒く」
この一点が皇円大菩薩様と、歴代貫主様方の御心に適うに違いないとの信念を持たれてのご決断でした。
英仁君は『真如基金』だけでなく、自身で様々な奨学金を獲得しながら東洋大学で佛教研究を続け、見事、インド哲学の博士号を取得して蓮華院に帰って来ました。
英仁君のご両親は熱心な信者さんで、小さい頃から「龍火くだり」にも参加して来られました。男三人兄弟の末っ子で、兄弟皆、大学に入る前に本院で「内観」も受けました。
ですから信者の皆さん方にとっては家族も同然と思い、是非子や孫に接するように声をかけてあげて頂きたいと思います。
英仁君には今後、奥之院に務めて頂き、院代(啓照)と光照と三人で、蓮華院の将来を担って頂きたいと考えております。
蓮華院の信仰をきちっと形作り、また信者さん方にどう分かり易く伝えていくかという、蓮華院の信仰体系を形作って頂きたいと思っております。それでは一言、自己紹介と抱負をどうぞ。
蓮華院の「教学」を確立したい
初めまして藤井英仁でございます。先程ご紹介して頂きました通り、私は大学の学部で四年間、その後修士課程で二年間、高野山専修学院修行道場で一年間、博士課程で四年間、そしてインドに行って、インド人の先生に教えて頂きながら半年間学び、十一年と半年、ずっと佛教ばかりを勉強して来ました。チベット語や、インドの古い言語のサンスクリット語、佛教漢文などを、朝も夜もずっと籠って読み続けて来たので顔色も白くなっています(笑)。
今後の希望と致しましては、蓮華院の「教学」を確立したいと思っています。蓮華院の教えの根幹とは何なのか?今僕が思っているのは「因縁論」などの佛教的教理が蓮華院の根幹にあると思っている所ですけれども、そういった事柄を皆様に分かり易くお伝えして行ければと思っています。
かつて開山上人様や、真如大僧正様が書き残された蓮華院の教えとは一体どういうものだったのか?古くからの信者の皆さんにはご存知の方が居られると思いますが、それがきちんと次の世代に伝わっているかと言えば中々難しいという所もありますので、そこをもう一度再構築して、新しく入って来られた方々にも分かる様な形で、佛教の教えとは何なのか?蓮華院の教えの根本には何があるのか?という事を考えて行きたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
途上国に教育の機会を設けたい
次にミャンマーに赴任して頂く二人をご紹介致します。
いつも私から皆さん方に、認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)のミャンマー学校建設支援事業の話をしてきました。
皆さん先刻ご存知のように、今、ミャンマーは大変な状況になっています。二人の派遣についてはこれまで熟慮に熟慮を重ね、散々議論も尽くした上で、最後に二人の気持ちを聞き、「行きます!」という言葉の重みを受け止めた上での判断です。もちろん二人の身の安全には万全を尽くします。現地の平野喜幸所長も準備を整えてくれています。
まず、十日程前に来て頂いた工藤絢花さんから、自己紹介と思いをお話し下さい。
初めまして工藤絢花と申します。この度、アルティックのミャンマー事務所に赴任する事になりました。一応、四月二十二日に赴任する予定となっております。
先程ご紹介頂きました通り、私はつい先日までコスタリカとフィリピンで国際平和学と国際政治学を学んでおりました。二つの修士号を取得すると同時に、現地でプロジェクトも行っておりました。フィリピンのスラムで生活されている方々や、少数民族の方々とどういう風に平和的に共存して生きて行けるかというプロジェクトを進めておりました。
今、ミャンマーではクーデターが起きて、確かに情勢が大変不安定です。ですが、ミャンマーの人々が教育に触れる事がさらに難しくなっている事も事実です。ミャンマーではクーデターの前から、コロナ禍によって学校が閉まっています。さらにクーデターによって先生が学校に行けない状況になり、アルティックがずっと支援を続けている学校の事業自体も進まないとなれば、沢山のミャンマーの子供達の教育の機会が得られなくなります。
先程言われたように、私達が現在行っている事業はイラワジ管区という南方の地域なので、少し状況が違い、よくニュースで見るような暴動等は起きていません。ですのでその様な所で長期的な支援を継続し、どうにかしてミャンマーの方々が教育を受け、自分の力で生活を一から取り戻し、長期的に発展できるようにお手伝い出来たらと思っています。皆さんよろしくお願いします。
サッカーで人材を育成したい
次は一週間程前に来て頂いた鈴木謙君です。
初めまして、鈴木謙と申します。僕の自己紹介という事で、自分の経歴を話したいと思います。
僕は北海道出身で、大学まで北海道にいました。北海道大学法学部で政治を学んでいたのですが、殆ど大学には行かずにずっとサッカーをやっていました。小さい頃からずっとサッカーをやって、サッカーと共に育ってきました。その後、東京でサラリーマンとして働きましたが、その時はシステムエンジニアという仕事で、大学での勉強とは全く関係ない形での就職でした。
そこで色んな経験を積む中で、自分の中に一つの軸が形作られてきました。日本でやれる事も沢山ありますし、日本で困っている方も沢山おられると思います。しかし僕が自分の使命と思ったのが、国際協力でした。世界の人々に対して何か自分が出来る事があるという風に感じて、国際協力の世界に飛び込みました。
システムエンジニアのサラリーマンを辞めて、ジャイカ(JAICA)という国際協力機構がやっている青年海外協力隊に参加して、二〇一七年から二年間、アフリカのモザンビークという国で活動しました。
内容としてはシステムエンジニアの経験を活かし、中学校でパソコンの先生を務めました。一クラス百人、一学年千人のマンモス校に、パソコンがたったの八台しかなかったんですが、何とか教えていました。
それとは別に、僕はずっとサッカーをやってきたので、現地にサッカー部を作り、スポーツを通した教育も始めました。日本では文化として部活動がすごく根付いているので、途上国で少しでも伝えられたらと思い、そういう事もやっていました。二年間の活動で、僕はスポーツが人造りになり、その先に国造りになるという可能性をすごく感じました。
その後、僕がどういうキャリアを描いて行こうかと思った時に、やはりスポーツを通じてという所を自分の中で持ちながら、開発として人材育成や国造りといった所にフォーカスして団体を探し、今回アルティックに就職する事になりました。
派遣前に、コロナ禍の中でビザが中々おりなかったり、クーデターが起きたりと、色々と前途多難ではありますが、僕達がこういう世界に入るという事は、こういう困難がついてまわる世界なんだと思って、色んな困難を楽しみながら乗り越えて、一人の日本人として世界の人々に対して出来る事を一所懸命やっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
二人とも色んな経験を活かして、参加してくれるという事です。これからミャンマーで頑張ってくれるものと確信しています。
※諸事情により、二人の赴任は五月中旬に延期されました。
信者の菩薩行あっての国際協力
三月一日号でもお伝えしましたが、アルティックの途上国支援をはじめとする活動は、全国の信者の皆さんが、たゆまず「同胞援助」や「一食布施」などの菩薩行を実践して頂いた賜であります。信者の皆さんお一人お一人が四十年以上にも亘ってコツコツと、信仰に基づく募金を続けて来て頂いたお陰なのです。
この事に、御本尊皇円大菩薩様、開山上人様、真如大僧正様、貫主大僧正様と共に篤く篤く心から御礼申し上げます。
今日ご紹介した三人の若いスタッフが蓮華院やミャンマーで、これからどんな経験を積んでどんな困難に遭遇し、それらを乗り越えて進んで行くのか、半年後、一年後、十年後を皆さんとともに見守りたいと思います。合掌
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