2021年10月08日大日乃光第2319号
先代が種を蒔き真民先生が芽吹かせた「こどもの詩コンクール」
先代が種を蒔き真民先生が芽吹かせた「こどもの詩コンクール」
前号の『大日乃光』でお伝えしたように、今年の「第三十二回こどもの詩コンクール」は、新型コロナウイルス感染症の影響により、受賞された児童・生徒の通う各学校ごとに出向いて表彰式を執り行うことになりました。
そして、趣旨に賛同して頂いた先生方や共催の熊本朝日放送株式会社(KAB)をはじめ、関係者のたいへんなご尽力により、今年も五千四百六篇の作品が集まり、その中から特別三賞と各学年から一篇ずつの優秀賞、各学年十篇ずつの優良賞の合わせて百二篇と、他にも学校賞が無事選ばれました。
事務局長を務める宗務長の光祐が、九月十六日に「坂村真民賞」を受賞した熊本市立隈庄小学校六年の松岡劉禅さんと、「親を大切にする子供を育てる会賞」を受賞した菊池市立隈府小学校一年の荒木桃李さんの表彰式に出席して来ました。
三十日には「熊本朝日放送賞」を受賞した文徳中学校二年の矢幡日鞠さんの表彰式に宗務長が出席する事になっています。
その様子と、それ以降の表彰式が十月九日から毎週土曜日に共催の熊本朝日放送さんで放送される事になりましたが、今後はKABのホームページからも読んだり朗読を聴くことができるようになりましたので、熊本県外の信者の皆さん方もぜひ子供達の「おとうさん・おかあさん」の詩を鑑賞してください。(蓮華院誕生寺本院ホームページからもリンクが張ってありますので、ここをクリックされて下さい。)
この催しは「親を大切にする子供を育てる会」と、熊本朝日放送さんとの共催によって続いてきました。そもそも「親を大切にする子供を育てる会」は当山の先代、川原真如大僧正様が設立された社会教育の為の任意団体なのです。
先代の強い信念と願いから始まった子供達への情操教育
先代は若い頃から青少年の健全育成に僧侶という立場で励んで来られました。コロナ禍前の令和元年まで、七十一回にも及ぶ「一休さん修行会」を始めるようになったきっかけも、先代の信念と願いがあったればこそなのであります。
今から五十年ほど前、その先代が佐賀の東妙寺に居られた頃、PTAや子供会での活動に加えて、寺内に「少年研修館」を設立しておられました。しかし、昭和の末頃から子供たちを取り巻く社会や家庭に混乱が見られるようになり、子供達の情操の崩壊が進んでいる状況に対して、もっと広く深く子供達に働きかける手立てを模索しておられました。
先代の世代の価値観では、親や祖父母を大切にする「親孝行」が全ての倫理観の根源であり、いくら学力があって仕事が出来ても、親不孝な人物は人から信頼されない、というものでした。
当時はこのような確固とした価値観が社会を支えていて、さらにはこの価値観が親を始めとする目上の人や先輩を尊重し、ひいては神佛を崇める宗教心にも通じる、との信念を持っておられました。
ヒントを得た萩原茂裕先生の講演
そんな中で、世界的な佛教詩人の坂村真民先生との巡り会いがありました。真民先生はその当時『念ずれば花ひらく』の詩碑を全国に建立する事を念願しておられました。
その事を人伝てに知った私は、「真民先生の詩碑を寺内に建ててはどうでしょうか?」と先代に提案しました。すると先代は、「それはとても良いことだが、もっと意味のある目的と、そこから何かが始まるような建立が出来るように考えなさい!」と答えられました。
その頃私は「日本ふるさと塾」を主宰しておられた萩原茂裕先生の講演テープで、当時島根県と鳥取県の両県にまたがって「お母さんの詩コンクール」を開催されていた原徳チェーンという企業の活動を知りました。
早速、島根県安来市にあるその会社を訪れて、これまでのコンクールのあり方や、その背景となる理念などを学びました。その頃既に二十回近くもコンクールを開催して来られたこと、その会社の創業者が母親の手一つで育てられ、大変な苦労をしてスーパーのチェーン店を設立された事などを知りました。
第百三十九番碑に込められた願い
熊本県の玉名出身の佛教詩人、坂村真民先生も幼い頃に父親を亡くされ、母親の手一つで苦労して育てられたことを知りました。そこで熊本県内で「子供の詩コンクール」を開催するに当たって、その審査委員長へのご就任をお願いする為に、愛媛県の砥部町にお住いの坂村真民先生のご自宅に伺いました。
真民先生は「子供の詩コンクール」が「おかあさん」をテーマにする事を聞かれて、「それは良い!それは良い!!」と大変喜ばれました。そして「親を大切にする子供を育てる会」の趣旨にも全面的に賛同して頂きました。
こうして熊本県内で最初の「真民碑」が、真民先生の生誕地をはるかに見渡す奥之院の一角(開山堂から北へ五十メートル程)に建立されました。
それは平成二年六月十二日、熊本県下で初、全国で百三十九番目の坂村真民先生の詩碑として、先代によって入魂除幕されました。
この詩碑は、まさに「子供の詩コンクール」が末長く意義のある催しとなるように願いを込められた、「念ずれば花ひらく」の「真民碑」となったのでした。
選考の喜びを語られた真民先生
第一回目の「子供の詩コンクール」の表彰式は、詩碑建立から三ヶ月後の平成二年九月十五日に開催されました。真民先生は愛媛の松山空港から福岡空港に到着されるので、弟の光祐が福岡空港に迎えに行きました。
コンクールの表彰式まで時間の余裕があったので、私は真民先生のお父様がかつて校長を勤められ現職中に亡くなられた玉名小学校に連絡し、光祐には校長室に真民先生を案内するよう指示していました。真民先生のお父様の写真が歴代校長の一人として校長室に掲げてある事を知っていたからです。
表彰式では「親を大切にする子供を育てる会」の会長として、先代が「孝は百行の基」の話を主催者挨拶の中で感慨深そうに、そして満場の子供達に優しく話しておられました。全ての表彰が終わり、いよいよ審査委員長として坂村真民先生の講評が始まりました。
真民先生は「送られてきた詩は皆よかった!」と選者としての喜びを述べられて、「よいおかあさんからよい詩が生まれてくる」と、詩作を通じた母子や家族の成長への期待と共に、このコンクールの企画と開催への感謝の言葉を述べられました。
その後の懇親会で、真民先生はこんな話をされました。
「私はここに来る前、父が校長を勤めていた小学校の校長室で、初めて父の写真と対面しました。今日は何と父の七十五回忌のその日です。七十四年前、長男の私は父を火葬した後、遺骨を納めた白木の箱を首から下げて熊本市内を歩いていました。その時、今日と同じように藤崎宮のお祭りで賑やかだったことをはっきりと覚えています。八歳の私は自分がこんなに悲しいのに、なぜ皆はこんなに騒いでいるんだろうと思ったのが、つい昨日の事の様に思われます。私はこの催しを命の続く限り応援します」と、感慨深げに話されました。
命を削られた詩作と詩選
真民先生には八十歳から九十二歳までの十二年間、このコンクールの選者(審査委員長)を務めて頂きました。亡くなる直前まで、日々命を削るようにして詩作を続けられた真民先生には、そんな中で多くの子供達の作品に目を通して頂き、一部には選評の言葉まで書いて頂く大変な仕事をして頂きました。
今更ながら本当に有り難かったことをしみじみと感じています。それは十四年前に私の妻が脳出血で倒れて以来、介護を続けながら日々を送る中で、真民先生もまた選者就任以来六年目から、私と同じく奥様の介護をしながら選評をして頂いていたことに気づいたからです。それでもその後の六年間九十二歳まで審査委員長を真剣に務めて頂いたのでした。
青少年の情操教育の礎を築かれた真如大僧正様
一方先代は特別賞を決める際、両主催者の二つの賞「親を大切にする子供を育てる会賞」「熊本朝日放送賞」の他に「坂村真民賞」を加えられました。そして、その時先代はこんなことを言われました。
「坂村真民先生とのご縁からこのコンクールを開催するようになった。そして熊本県玉名出身の世界的な詩人である坂村真民先生の名前を冠した賞を、先生亡き後も続けることで、熊本県内や玉名の子供達を始め多くの県民市民の心に坂村真民先生の詩が確実に残り続けるであろう!」と言われたのです。
残念ながら、先代の真如大僧正様は「親を大切にする子供を育てる会」を設立された後、第二回目の「子供の詩コンクール」開催の後、遷化(高僧が亡くなる事)されました。
しかし、この県内での青少年の情操教育の為の大きな方向性と枠組みを完全に作り上げられたのだと、三十二回目の「子供の詩コンクール」を開催して、しみじみと実感しているところであります。
この特別三賞は、来たる十一月三日の奥之院大祭の行事の一環として、来賓の方々や関係者が見守る中で、受賞した子供達と詩碑建立除幕式を厳修致します。
信者の皆さん方に見守られる中で、この「子供の詩コンクール」特別三賞の除幕式を開催したいと思います。
信者の皆さん方はコロナ終息後に奥之院にお参りの際に、ぜひ落ち着いて子供達の詩碑をご覧になり、この運動に込められた先代や真民先生の願いに思いを馳せて頂きたいと思います。合掌
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