2021年12月15日大日乃光第2324号
一願成就に真剣に向き合った万願達成の柴燈大護摩祈祷
「明治節」だった「文化の日」
皆さんこんにちは。ようこそ奥之院大祭にお参りでした。この柴燈大護摩祈祷では、皆さんと一緒に真剣な篤きお参りが出来た事と思います。
今日、十一月三日は何の日か?言わずと知れた「文化の日」であります。また昭和二十一年に日本国憲法が正式に公布された日でもあります。(「憲法記念日」は施行日の五月三日)
戦前は明治天皇の誕生日でしたので「明治節」または「天長節」という祝日でしたが、今ではほとんど知る人は居ません。
この「明治節」をなぜ文化の日にしたかと言えば、終戦後のGHQによる厳しい監視下で、昭和二十三年に祝日法が制定される時に、何とか明治節を残したいと思う人達の働きがあり、辛うじて文化の日という名目で許可されて残されたのです。
「文化の日」は祝日法によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨になっています。
「文化の日」を「文武の日」に
私の歴史観や国家観を劇的に変えて頂いた恩人が居られます。以下はその方の言葉です。
「本来、明治天皇の誕生日を祝うべき十一月三日は、今は「文化の日」とされています。
しかし、本来は「文武の日」にするべきであります。
今でも「文武両道」という言葉が残っているように、残念ながら、武無くして文化だけでは国家は成り立ちません。文化というのはあくまでソフトパワーであります」
私は学生時代に少しだけですが、合気道で武の精神を習いました。その時、先生は合気道の基本精神を「正勝吾勝」と仰っておられました。正しいものは勝たねばならない。いくら正しくとも負けてしまえば価値は無くなってしまう。そういう意味です。
ですから合気道には自分から攻めていく技は一切ありません。ひたすら防御しながら相手を抑え込む。
「文武」の「武」という字は「戈(矛)を止める」と書きます。矛を止めるとは、相手からの攻撃をすりぬけて納めさせる。あるいは平時から武力(軍備)を調えて、相手国の侵略の意図(戦争)を未然に挫く。そういう意味が武という言葉なのであります。
武を全否定してきた戦後日本
その私の恩人が、なぜ「文武の日にすべき」と仰られたかと言えば、明治天皇のご生涯が正に苦難の連続であられたからです。
明治の日清戦争や日露戦争は、事前の予想では日本が絶対負けるだろうと言われていました。戦争せざるを得ない状況に追い込まれ、そして辛くも辛くも何とか勝利を収め、日本の文化や伝統、日本の自立と誇り、そして人々の生活を守る事が出来たのです。
ところが残念ながら先の大東亜戦争、と言いましても、この中には先の大戦前から生きて来られた人は、もうほとんど居られないと思いますけれども、先の大戦では残念な事に日本は敗北を喫し、六年八ヶ月という期間、連合国軍(GHQ)の支配下にあったのです。
このように敗戦後の一時期、日本が外国の支配下にあったという事をきちんと認識している日本人は、今はあまり居ません。
その占領期間中に出来たのが、日本国憲法なのであります。(これは明らかな国際法違反です)
憲法は素晴らしい、確かに素晴らしい。しかし国を守るための武の精神が無いのです。込められていないのです。否定されているのです。
その代わりに国の安全保障上の問題があった時には、アメリカが保護をする、防衛を肩代わりする事になりました。
自分の国を自分で守らない。これでは国に誇りを持つ事が難しくなります。その意味で一人前の国家とは言い難い、言わばアメリカの属国のような立場に、戦後甘んじて来たわけです。
世界情勢は刻々と変化していますが、残念ながら未だにそういう状況が続いているわけです。
祈るだけでは平和は来ない
さて、後ろの幟に柴燈大護摩祈祷のお題目として、「国家安泰・世界平和」と高々と掲げてあります。この国家安泰なくして、世界の平和は成り立ちません。
幸いな事に日本が安泰であるからこそ、世界の平和のためにも働く事が出来るのであります。そして世界の平和のために祈る事も出来るのです。
しかし私は、祈るだけでは平和は来ないと思っております。これはとても残念な事ですが、その一つの証拠として、世界的な祈りの国、平和な国であったチベットが、今から七十数年前に中国に併合されてしまいました。
今から十六年前に、この奥之院にもチベットの宗教的最高指導者であられたダライ・ラマ十四世法王猊下がおみえになり、この広大な境内を埋め尽くす大勢の聴衆に向けて、五重塔の特設法座から御法話を戴きました。
しかし法王猊下ご自身は、未だにインドに亡命されていて、決して祖国に帰る事の叶わないお立場なのです。
日本の国家が安泰であるお陰で初めて、私達はそのように法王猊下をお迎え出来たり、世界平和に少しでも貢献する活動が出来るのであります。
しかし裏を返せば祖国が安泰ではない国の人々が、いかに困難な苦しみの状況にあるかという事でもあるのです。私達は日々の祈りの中で、その事に思いを致さなければなりません。
円満な家庭作りから始めよう
国家の安泰と同じように、個人においても家庭生活が調って、初めて社会的な活動が存分に出来るという事になります。
ところが現実には私自身、若い頃かられんげ国際ボランティア会(アルティック)を立ち上げ、アジア各地で国際的な支援活動を行い、日本各地を飛び歩く日々を送りました。
その頃は家庭内の事は殆どほったらかしで、娘が三人いますが、専ら妻だけで育ててくれました。
今思えば、あの頃は申し訳なかった。何もかも任せきりにして済まなかったと思います。
その三人の娘は妻のお陰で立派に育ち、今では孫が八人おります。
かつて、チベット問題の平和運動に最も熱を上げている最中に、妻がつい愚痴をこぼした事がありました。家庭の犠牲もろくに省みずに、世界の平和とかチベットの平和とか、妻の視点から見れば随分とおかしい訳です。
朱子学に「修身斉家治国平天下」という言葉があります(『大学』)。まず自分自身を修めて正しい行いをするように努力し、次に家庭をきちんと調え、その次に国家を立派に治め、そして世界を平和にすべきであるという意味です。
本来あるべき姿としては、内側が調って、初めて外に向かって発言も出来るし行動も出来るという風に思います。
地域愛をしっかり育もう
そういった意味では、国の大事を考える前に、地域の発展に尽くす事がいかに重要か。今は地域を愛する教育、地域愛とか、地域教育というのが殆ど行われていません。
今、この中に玉名の方が何パーセント居られるか分かりませんが、玉名の人に「玉名の地名の意味を知っていますか?」と聞いて、「はい、知っています」という人は、残念ながら一割もおられないでしょう。
「玉名」とは「魂の来たる所」「玉杵名(たまきな)」から来ています。これは『日本書紀』にも出て来る古い地名です。大変由緒深い、宗教的な深みのある名前なのです。そういう中にあって、残念ながら地域に対する愛情が育っていない。その先の、国を愛するという事も出来ていません。
それぞれの地域や国を愛する為にはその地域や祖国の輝かしい歴史を正しく知る事が大切です。未だにGHQの方針に従った教育が行われているのです。
一つの祈りに真剣に向き合おう
次に、右側の幟に「一願成就・諸願達成」と大書していますが、まず一つの願いが叶わなければ、その他の願いは叶いませんと、私はあえて言いたい。
一つの祈りにぜひ真剣に向き合って頂きたい。一つの祈りに真剣に向き合い、佛様や神様に思いを向ければ必ずや、その祈りの波動が反射してきます。反射してきた光が、自分を照らして頂くのです。
その時、「あー、自分だけの人生ではないんだな」「自分だけの事を願っていては駄目なんだな」「家族の事を、周りの事を、地域の事までを願わなければ駄目なんだな」「そこで初めて一つの自分の本当の願いも叶うんだな」という小さな悟りと言うか、温かい思いに包まれる事を、最近しみじみと感じています。
どうか皆さん、まずそれぞれのご家族を大事にして、そして地域を誇りに思い、また世界に類のない歴史を誇るこの日本国に対して責任感と誇りを持ちつつ、ともに日々を過ごして頂ければ有難いと思います。どうか宜しくお願い致します。合掌
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