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大日乃光






大日乃光

2022年04月28日大日乃光第2337号
子供の日に鯉のぼりを揚げ、「さつき供養」もお勤めしよう

皆さん、ようこそお参りされました。
 
三ヶ月ほど前から、以前やっていた散歩を再開しています。外境内をぐるっと回るのです。かつて三年籠山の間、お寺から一歩も出ないと決めていた、その頃の日課の散歩のコースと一緒です。
 
蓮華院の周囲には大体東西二百メートル、南北三百メートルの敷地の跡があり、今でもそこに道が通っています。夕方五時過ぎから歩いていると二十種類以上の沢山の草花や、各家庭に植えられた花々が方々に咲いていて、とても心が安らぎます。
 
野に咲く花々に託された慈悲の心
 
これはかつて西大寺で聴いた、野に咲く花々についてのお話です。
 
佛教では、お釈迦様が亡くなられて五百年の間は正しい教えが伝わる「正法」の世、その後の千年までは「像法」と言って形が伝わる世、そして千年以後は「末法」の世に入ると言われてきました。
 
この救いのない末法の世について、『大悲蓮華経』にこういう話があります。世界各地でお釈迦様の御遺骨(佛舎利)が祀られていますが、それが末法の世になると地下に潜る。それから暫くすると、何と天空に昇って雨となり、人々の頭上に慈しみの雨となって静かに降り注ぐ。その雨から変化して草花になって花を咲かせる。人々に精進努力しなさいと促し、そして人に対する慈しみの心を与える。そのために花は咲いているのだという非常に有難い話です。
 
その話を知っている事もあって、散歩の時は大体三歩歩む毎に、「南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩…」と御宝号を一回ずつ唱えながら歩いています。行く先々にはたくさんの可憐な草花が生えています。そして楠も青々と茂り、今まさに自然の息吹と言うか、大自然の恵み、そういったものが、私達に勇気を与えてくれる、そういう季節なわけです。
 
この末法の世という事をはっきり自覚して活動し、それに向かって「では末法の世に対して自分には何が出来るんだろう」という事を真剣に考えられて、生まれ変わり、死に変わりの輪廻転生を繰り返すのではなく、龍神となって、御誓願を持ったまま修行を続けるという事を、この人類社会で初めて実践された方が皇円大菩薩様なのであります。
 
朴の花に願いを託した真民先生
 
数日前から朴の花も、見事に大きく咲いています。本院には貫主堂の裏と南大門の南に一本ずつ、実生で植えました。奥之院にも二本植えてあり、蓮華院には合わせて四本の朴の木があります。機会があったら一度見てみて下さい。何故朴の木を植えたかと言うと、故坂村真民先生の詩の中にたくさん出て来る、先生の大好きな花だからです。
 
真民先生がまだお元気だった頃、「今年も子供の詩のコンクールを開催致しますので、宜しくお願いします」と、年に一回は必ずご挨拶に伺っていたのです。ちょうど朴の花の咲く時期だったので、先生が「川原さん、これで酒を一緒に呑もう」と、一片の朴の花びらを杯の代わりにしてお酒を酌み交わしたのを憶えています。
 
朴の花はとても良い香りがします。部屋に一輪置けば、部屋中が馥郁とした香りで満たされます。「自分もかくありたし」と、自分の思いや願いが少しでも拡がるように、そういう思いを抱いた先生との思い出でした。
 
三年籠山に秘めた決意
 
もう一種、貫主堂のほぼ真裏に一本植えた木があります。榧(カヤ)の木です。
 
これは私が三十年前に先代の後を継いで、蓮華院の住職、貫主として御祈祷を始めなければならない、信者の皆さん方の様々な祈りを佛様に届け、願いを叶えなければならないという事で、今のままの自分では駄目だと思い、三年間お寺から出ないという覚悟を決めた時に植えたのです。
 
それから毎年十二月に「八千枚護摩行」を修し始めました。これは何の為かと言えば、心を外に拡げるのではなく、心を内側に向ける為に、自分自身をより深く掘り下げる為に、そして自分自身を深める為にという決意からでした。
 
その三年間というのは、その時は気付きませんでしたけれども、後からしみじみと意味があったと、そう思っております。
 
密教の修行に欠かせない植物
 
この三年籠山が明けた後にもう一つ、「虚空蔵菩薩求聞持法」という、非常に特別な修行も修しました。この行は特殊な修行で、百日間または五十日間で虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えるというものです。そして最後の結願の日を、日食か月食に合わせなければならないのです。かつて弘法大師や日蓮上人も修されました。
 
一般的な修法や修行の時にお供えするのは「樒」(シキミ)の葉です。木偏に密教の「密」と書きます。神道では神様に「榊」(サカキ)をお供えしますが、こちらは木偏に「神」と書きます。
 
樒は正に密教の木なのです。どうして樒の葉を使うかと言えば、弘法大師が「青蓮華の花に似たるが故に」代用として、日本に自生する樒を修法に使われたのが始まりという説があります。
 
青蓮華は日本にはありません。三十数年前にスリランカに行った時、青蓮華を実際に見た事があります。裏返すと四片の萼があり、樒の形とよく似ているのです。
 
それに対し「求聞持法」では「榧」の木を使います。左右に金属製の花瓶、華瓶(けびょう)を立てて、この榧の枝を祀ります。
 
榧の木を華瓶に供える時は、特別な作法があります。一方を金剛界の世界、他方を胎蔵界の世界として、根本を紙に包み、その紙に様々な梵字を書きます。
 
「求聞持法」には榧の木が絶対必要です。ですから奥之院には五本以上、本院にも一本植えました。何と今、その榧の木が花を付けています。これは中々目に付きません。榧の木も独特な良い香りがします。
 
この榧の枝をお供えして、百日間で修しましたけれども、その間、何と榧の木は枯れなかったのです。切った枝ですが最後までシャンとしていました。それがこの行が成就した条件の一つでありました。
 
最初の求聞持行で会得したもの
 
そしていよいよ後数日で結願、百万遍に近づくという時には益々感覚が冴えて来ました。
奥之院の一角に、今滝が流れていますが、その奥の小高い丘に、開山上人様が「宝塚」と名付けておられました。
 
その場所に「求聞持堂」を建て、平成七年の七月十七日に求聞持行を修し始めました。そして百日後の十月二十四日に結願を迎えました。その日が皆既日食なのです。
 
榧の木をお供えしてずっと拝み、結願の時刻はお昼前後でしたが、最後には、まさに天空から、「ウォーンウォンウォンウォンウォン、ウォーンウォンウォンウォンウォン」と、そんな響きを感じました。「これが結願の日の御利益か」と、大きな感動の中で行を終えました。
 
この百日間、ずっと求聞持堂に寝泊まりしていましたが、行の半ばを過ぎた頃から遠くの国道沿いでコンビニの扉が開く時の「ピンポーン、ピンポーン」という音が聞こえていました。
それ程、感覚が研ぎ澄まされていたのです。
 
そういう中で聞こえた響きが先程の、まさに谷の響き、天空の響きでした。「あー有難いな、幸せだな」と感じ、これで「住職として少しはやっていけるかな」と、そう思えた一番最初の出来事でした。
 
「さつき供養」に込められた先代真如大僧正様の祈り
 
嬉しい事に、甥の光照君に三番目の子供が生まれて男子が二人いますから、数日前から寺内に鯉のぼりを立てています。
 
私には息子がいなかったので、三人の娘にそれぞれ長男が生まれた時には鯉のぼりを贈りましたが、この鯉のぼりが泳ぐ様は、本当に穏やかな天気の日には「あー有難いな」「嬉しいなー」と思います。
 
この鯉のぼりはまさに日本人の親が子を思う、祖父母が孫の事を思う、まさにその思いのシンボルなのです。最近は鯉のぼりもあまり見かけなくなって、少し残念な事ではあります。皆さん達もお孫さんが生れた時には、是非、鯉のぼりを揚げて頂きたいと思います。
 
この鯉のぼりの時期に当たって、蓮華院ではもう一つ、先代真如大僧正様が始められた「さつき供養」というのがあります。鯉のぼりを揚げて子供や孫の成長を祈りお祝いをする。その反面、この世に生まれたくても生まれることの叶わなかった子供達もいる。
 
母体が弱かったとか、経済的な境遇とか、様々な事情があるでしょうけれども、そういう中で日の目を見なかった子供達を忘れて、ただ祝うだけでいいのかという先代の強い思いがあって、そういう辛い思いをしている親御さん、そしてその水子さんの魂を少しでも慰めようという事で「さつき供養」というのを発願されたのです。
 
最近の調査では、分かっているだけでも年間十五万人が水子さんになっているそうです。分かっているだけというのは大変言いにくい事ですが、闇に葬られている水子さんがその数倍とも言われるからです。
 
今、悲しい事にウクライナでは戦争によって、多くの民間人が命を奪われ、幼い子供達も犠牲になっています。その一方、悲しくも残念な事に、人口減少や少子高齢化の問題が指摘されて久しい日本でも、十五万人以上の子供達が命を失っている。これも厳然たる事実です。
 
私達はそういった現実を見つめながらしっかり供養を続け、どの様な社会にして行くべきなのか、いま一度考えていくべきと思います。合掌




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