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2022年08月22日大日乃光第2346号
自他の命を共に大切にして、光り輝く生き方を目指そう

自他の命を共に大切にして、光り輝く生き方を目指そう
      
昨晩(七月二十八日)ニュースを観ておりましたところ、熊本県の玉名市が三十七・五度と全国一の猛暑になったそうです。最近では体温よりも気温の方が高い日も珍しくなくなっているようです。本誌が皆様のお手元に届く頃にはお盆が過ぎ、少しは気温も和らいでいる頃かと思います。
 
新たな命に御本尊様への感謝
 
さて私事ではございますが、昨年の七月四日に結婚致しました。戒師には水上觀音寺の山崎淨滿僧正様に、仲人には壽福院の大西眞祥僧正様に務めて頂きました。(このお二方には、毎年十一月三日の奥之院大祭にご助法頂いております)その事は昨年七月二十一日号の御親教にて、貫主大僧正様にお話し頂いております。
 
それから一年が経ち、私の妻、慶子のお腹には新しい命が宿っております。今年に入ってから妻の体調の調わない日が続いておりました。どうもおかしいと思い、調べてみて妊娠していたことが判明しました。
 
奇しくも二月十三日の、ご縁日法要の早朝の出来事でした。まだ周りに伝えるタイミングではなかったので、ご縁日法要の際に皇円大菩薩様に密かに感謝の気持ちをお伝えさせて頂いたことを憶えております。
 
現在、お陰様で妊娠八ヶ月目を無事迎えることができました。妻の場合は特に、妊娠初期のつわりが大変辛かったようです。妊娠中は自律神経やホルモンのバランスが崩れやすいそうで、食事もできず、常に体がだるく、寝込む日が続いておりました。
 
家族として出来ることは、見守ることと祈ることしかありませんでした。腰が痛そうな時は、腰をさすりながら「南無皇円大菩薩 南無皇円大菩薩…」と、心の中で御宝号をお唱えしておりました。そして、貫主大僧正様に妻の「安産祈願」を続けてお願いしております。
 
全ての人が乗り越えて来た〝生みの苦しみ〟への畏敬
 
私は高野山での修行を終えてから、蓮華院に帰ってくるまでの間、兵庫県の宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山中山寺でお勤めさせて頂いておりました。そのお寺の御本尊様は十一面観音菩薩様で、特に安産祈願にお力を発揮される佛様として有名で、安産の象徴でもある「戌の日」になりますと、多くの妊婦さんが腹帯を受けに参拝されています。
 
毎日何十人、何百人の妊婦さんと接していましたが、辛そうにしている妊婦さんとはあまりお会いした記憶がありません。今になって考えると、五ヶ月目を過ぎて安定期に入っている人が多かったことと、周りにはきつい姿を見せないように心がけておられたのだと思います。そういうお姿を思い出して、改めて母親の強さや偉大さへの畏敬の念と、有難さが自然と湧いてきました。
 
当たり前のことではありますが、人は母親のお腹の中から生まれてきます。約十月十日、お腹の中に赤ちゃんがいる間、様々なトラブルや苦労があったことでしょう。
 
私の母もつわりが大変辛かったそうです。奥之院から七曲り参道を下る際は、毎回嘔吐しながら車を運転していたそうです。私は母のお腹の中が大好きだったようで、出産予定日を二週間も過ぎ、四千二百三十グラムまで大きくなって生れました。
 
出産時の凄まじい痛みは今でも忘れられないと、母が話して下さいました。最後には意識が朦朧としたまま、助産師さんが馬乗りになってお腹を押し、やっと生まれてきたそうです。
 
しかも父は真言律宗総本山西大寺の長老猊下の随行として中国に出張中で、初産にも関わらず立ち合いもなく、一人で不安を感じながら分娩室に向かったそうです。このように、皆それぞれの家庭で様々な問題を乗り越えて、新しい命が誕生しているのです。
 
「天上天下唯我独尊」の意味
 
お釈迦様が約二千五百年前に、ルンビニーでお生まれになったときのお話があります。
お釈迦様が誕生されると甘露の雨が降り注ぎ、体を清められました。そしてすぐに立ち上がると七歩歩まれて、右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と仰られたということです。
 
皆さんも四月八日にお釈迦様の誕生日を祝う灌佛会、花まつりで甘茶を頂かれたことがあるかと思います。生花で荘厳した花御堂に誕生佛を安置し、甘茶を注いでお釈迦様を供養します。蓮華院では子どもの健康を祈る行事でもあるため、四月二十九日の「南大門春まつり」に合わせて行っております。
 
この灌佛会、花まつりはお釈迦様が誕生された情景を表しています。その時にお釈迦様が仰られた「天上天下唯我独尊」は、皆さんも一度は聴かれたことがあるかと思います。
 
天の上にも天の下にもただ我一人尊い。
 
簡単に言えば、世の中で一番尊いのは私一人だけだと、一般的にはこのように解釈されることが多いようです。
 
プライドが高く、周りの意見を聞かない人に、よく「唯我独尊」と使われたりもします。
しかしあれほど徳の高いお釈迦様が、ご自身のことを世の中で最も尊いなどと言われるはずがないと思います。
 
確かに周りからすれば、唯一無二の特別なご存在ではありますが、「唯我独尊」の「我」の字については、「自分」ではなく「私たち一人びとり」のことを指しているという一説があります。
 
天の上にも天の下にも、私たち皆が尊いのですよと。
 
私達一人一人の全ての命が皆特別で、この世で唯一の最も尊い存在なのですと。
 
節目節目のお祝いで子どもの成長に託された願い
 
日本では令和三年には約八十四万人の赤ちゃんがこの世に生を享けました。しかし医療の発達した現在でも、妊娠が確認された後、流産の可能性が十五パーセント前後もあるそうです。つまり約六~七人に一人の方が非常に辛い経験をされているということになります。まして昔は特にその確率が高かったために、子ども達は七歳になるまでは一人前の人ではなく、神様のような存在として扱われていました。
 
三歳には男女ともに髪置と言って、それまで丸坊主だった髪を伸ばし始めます。男の子は五歳で初めて袴をつけ、女の子は七歳で大人と同じ帯を締め始めました。この七歳の祝いを境に、村の行事などにも参加できるようになり、周囲に人として認めてもらえるようになります。
 
これが七五三の由来にもなっています。節目節目で子どもの成長を慶び祝う。
その事は、それだけ成長半ばで途絶える命が多かった事の裏返しでもあったのです。
 
命を光り輝かせるには
 
日本の歴史を振り返ってみると、飢饉により多くの人が亡くなった時代もありました。大きな災害も何度も起きました。いくさや戦争もありました。どんなに悲惨で辛い状況、環境であっても、ご先祖様達が次の世代へ脈々と命を繋いで下さったおかげで、今の私達があるのです。
 
そのように考えられたら、この命は自分だけのものでは無いことに気が付きます。もっと命を大切に光り輝かせねばと思えて来ます。また自分の命を大切にすることにより、他の命も同じように大切にできるのではないでしょうか。
 
佛教詩人の坂村真民先生が「すべては光る」という詩を残されています。
 
「すべては光る」
光る
光る
すべては
光る
光らないものは
ひとつとしてない
みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る
(『念ずれば花ひらく』サンマーク出版より)
 
私たちの命はすべて光り輝くことができます。どうしても輝くことができなければ他の命を大切にしていると他から、ご先祖様、または佛様が光を当ててくださることと思います。
 
よりよい世界を作るために
 
最近はあまりいいニュースを聞きません。ウクライナでは戦争が起こり、台湾有事になれば、日本もいつ、どのようになるか分かりません。世界中で、今この瞬間にも、多くの尊い命が犠牲になっています。
 
私たちが今生きている令和の時代において、今までの価値観がひっくり返されるような大きな転換期を迎えています。それでも私たちは、よりよい世界を作るために生きなければいけません。まずはご先祖様、両親から頂いた命を大切にしましょう。
 
それができたら自分のことと同じように周りの命を大切にしましょう。
それぞれの命が輝きますように。合掌




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