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大日乃光






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2022年09月19日大日乃光第2349号
「三信条」の実践を深めて皇円大菩薩様の御心に近づこう

「三信条」の実践を深めて皇円大菩薩様の御心に近づこう
 
皆さん、今日はようこそお参りでした。
もうすぐ秋のお彼岸を迎えるこの頃、朝夕は随分過ごしやすくなりました。秋の気配が近づく中で、足元をしっかり見つめながら一歩一歩、歩んで行きたいと願っております。
 
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
この有名な一句は詠み人不詳でありますが、人として充実すればするほど、益々謙虚であらねばならないという戒めのことわざです。まさに今水田に実りつつある稲穂のように、信者の皆さん方と共に、日々一層信心に努めて参りたいと念じております。
 
 
『大日経』に説かれた「三句の法門」
 
さて、当山の機関誌として十日に一度お届けしている『大日乃光』ですが、この「大日」とは「大日如来」の大日です。皆さん方は、大日如来という佛様を普段あまり意識される事がないと思います。
 
今、本院の境内には五重塔と多宝塔の、二基の塔が建っています。五重塔は胎蔵界、即ち慈悲の世界の大日如来を表し、多宝塔は金剛界、即ち智慧の世界の大日如来を表しています。
 
大日如来は正確には「摩訶毘盧遮那佛」と言います。「マハーバイロシャーナー」というインドの言葉を漢字に当てはめた表現です。
 
その「大日」と名の付く『大日経』というお経があります。正確には『摩訶毘盧遮那成佛神変加持経』という長い名前で、更になじみがないと思います。
 
十三日に僧侶衆が必ずお唱えしている『理趣経』の数百倍も長いお経です。その中で、佛様が人びとをお救いしようとなさる時の三つの段階のお働きの事を、「三句の法門」として説かれています。
 
真言宗では有名な言葉で、真言宗の僧侶であれば、必ず知っている言葉です。今日はその「三句の法門」を通して当山の信仰のあり方をお話し致します。
 
「三句の法門」に示された大慈大悲のお救いの御心
 
この『大日経』で説かれている佛様を、皆さんは皇円大菩薩様と思って聴いて下さい。
皇円大菩薩様の私達への働きかけには三段階あるという事です。
 
「三句の法門」とは、「菩提をもって因と為し、大悲をもって根と為し、方便をもって究竟と為す」という文句です。
 
「究竟」は究極という意味です。私はこの言葉に最初に触れた時、「そうなのかー!!」と大きく魂が揺さぶられる程の感動を覚えました。これは、佛様が私達を助けようとしておられる時の心の状態という風に解釈されます。
 
そして実はもう一つ、私達衆生が佛様に近づくための手だてや段階、ステップアップしていく時の心構えと考える事も出来ます。
 
まず最初に、佛様が私達を救済される時のお心の状態として考えてみます。
 
「菩提をもって因と為す」とあります。
「菩提」とは、絶対的な悟りの世界を求める佛様の心持ちの事です。それを根本的な出発点、つまり「因」と為すと。
 
そして「大悲をもって根と為す」。
皇円大菩薩様が龍神に身を変えて、私達末世衆生を救う為に桜ヶ池で修行に入られた時の、「人々が悲しみに沈んでいる姿を黙って見過ごせない。何とか救いたい」という、まさにそのお心が「大悲」の心なのです。
 
この大いなる慈しみの眼差し、大きな大きな慈悲のお心を根本、全ての根っ子、出発点とするのです。
 
「方便」こそ、究極の手立て
 
その大悲のお心で、具体的に人びとに働きかけられる時に、次の「方便をもって究竟と為す」と、お働きが展開して行くのです。
 
一般に「方便」と言えば、「嘘も方便」という言葉が有名です。「嘘も方便」は、本来、佛様が衆生済度のために、方便として嘘をつく事もある、という意味です。転じて大きな善行の前には、偽りも認められるとか、物事を円滑に進めるには多少の嘘もやむを得ないといった意味で使われています。
 
しかし本来の方便とは「手だて」や「手段」の事で、現代風に言えばノウハウ(知識やコツ)や、ハウツー(方法や技術)などと同じと思ってください。
 
ですから佛様は、あらゆる手だてを全て駆使して、人びとをより良い方向に向かわせようとされるのです。佛様のお働きとは、究極的にはこの「方便」なのです。
 
ですから佛像として佛様がお姿を現わされる(顕現される)のも「方便」であり、五重塔や多宝塔の建立も、この大切な方便でもあるのです。
 
更に身近な事では、佛様に向かってお経を読む事も、お唱えする言葉も実は方便なのです。さらには様々な御祈祷も、私が今お話ししている法話も、まさに方便なのです。
 
御加護を頂いて終わりではない!
 
ここまでは佛様の側からのお話です。では私達衆生の側から『大日経』の「三句の法門」を見てみましょう。
 
これを非常に分かりやすく噛み砕き、より身近な言葉にしたのが当山の「三信条」なのです。
 
最初に「自分はこれでいいんだろうか?」と「反省」があります。これは「もっと向上したい」「もっと人間性を高めたい」といった「菩提心の発露」であります。そして「もっと幸せになりたい」という願いは生きて行く力、エネルギーやパワーの源にもなります。最初の出発点は、「これじゃいかん!今の現状に満足してはいかん!!」という気持ちなのです。
 
そして「では何が足りないのか?」「何が欠けているのだろうか?」「自分は何を為すべきなのか?」と、自らを省みます。その中で「自分はこれほど恵まれている。佛様の慈悲を沢山頂いているじゃないか。何と有り難いのだ」と気付きます。
 
「三信条」における次の「感謝」です。
日々の生活の中で、より身近に有り難さを実感し、ひいては佛様の大慈大悲を、御加護を頂いている事に感謝する気持ち。「有り難い!」「もったいない!」となります。
 
そしてそこで終わりではありません。今度は自分自身が小さな鏡となって佛様の光を反射していく、或いは小さな灯となって周囲を照らす、そういう事が求められるわけです。
 
向上心と慈悲の心が菩提の種
 
菩提心(向上心)には大きく二通りの要素があります。
 
根本の前の「因」です。「因」とは何かと言えば、自分自身が少しでも成長しようと思う気持です。それと共に、人びとを良い方に引っ張り上げたいと思う気持ちを同時に持つ事。
自分が恵まれていると気付いたら、それを人様にも分け与え、応援して行こうとする気持ちを同時に持つ事。
 
右手に向上心、左手に慈悲の気持ちで、他人の痛みを感じたら、何か手助けせずにはいられないという気持ちを持つ事です。
 
佛様の「方便」が、救済のための具体的な手立てであるとするならば、私達は日々それを自分の心や体に受けて、「有り難いなー」と思った時に、同時に何か周りのために少しでも良くなることをしようと思う気持ち。そういう気持ちを持つ事がとても大事であるという事です。
 
『大日経』はとても難しいお経ですが、そういった事がその中に書いてあるのです。また、このお経では、最終的に人びとが本当に幸せになり、また究極の悟りは何かについて次のように説いています。
 
それは、ありのままの自分をそのままに受け入れて、今のその姿をそのまま理解して、「あー自分はこういう人間なのだ」ということを本当に理解する事。自分にはつまらない所がいっぱいあるけれども、御加護を頂いて、今こうして生かされている。これを有り難い事と、心から理解する事。
 
「三信条」の「反省」「感謝」「奉仕」を循環して行く中で、自分自身の中に佛様の「種」とも言える慈悲の心、慈しみの心を頂いていると理解する事が出来ます。
 
佛様との魂の交流が幸せへの道筋
 
私達はこれを普段感じる事が出来なくても、例えば無心にお参りする時、自分自身が佛様と魂の交流をする中で、佛様と自分自身の区別を感じなくなる、恍惚と言うか一体感を感じることが時にあります。
 
そういう境地を少しでも味わって、「あっ自分は今、佛様の分身として生きている、生かされているんだ」という実感を持てるかどうか、そこに懸かって来るのです。
 
「自分は恵まれている」「有り難いなー」と思って生活するのと、「沢山不満がある」と思って生活するのでは、全く同じ条件であっても幸福感が大きく違います。自分はまだ十分にお恵みを受けていないと感じていても、それでも「有り難い」と思い、その気持ちを具体的に周りに出して行けるか行けないか。そこにその人の幸せの一番大事なポイント、転換点があるのです。
 
そういった意味で『大日経』の「菩提を因と為し、大悲をもって根と為し、方便をもって究竟と為す」は、皆さん達には身近な言葉ではないかもしれませんが、蓮華院の「三信条」の大元の原点なのです。
 
この事を理解した上で、より一層「三信条」に即した生き方を深めて頂きたいと、心より念じております。
合掌




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