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2022年10月20日大日乃光第2352号
皇円大菩薩様と一体になる奥之院大祭 柴燈大護摩祈祷

皇円大菩薩様と一体になる奥之院大祭 柴燈大護摩祈祷
 
いよいよ奥之院大祭の十一月三日が迫ってまいりました。大祭では真言密教秘法、柴燈大護摩祈祷を修して、皆さん達と一緒にお参りを致します。
 
柴燈護摩を修すれば広大無辺の御利益を受けられる。罪障消滅、悪い事を全て焼き尽くして、佛様から幸せを頂く有難いお参りです。
 
今年もコロナ対策で安全安心にお参り頂き、柴燈護摩札と添え護摩を当日のお参りにお供えできるように、十月二十八日必着でお申し込み頂くよう寺務所から案内しています。御祈祷済みのお札は、全て四日以降に郵送致します。
 
祈願のお申込みがまだの方は、早めにお申し込み下さい。
 
柴燈護摩と採燈護摩
 
さて、柴燈護摩には実は二通りの書き方があり、ネットで検索しても二種類出てきます。
一般に真言宗系の寺院では「柴」燈護摩、天台宗では「採」燈護摩と書かれています(「燈」は「灯」と同じ文字)。
 
この「さい」の字の違いには、一説では次のような意味があると言われています。
奈良吉野の金峯山を拠点に、京都伏見の醍醐寺三宝院を本寺とする真言宗系修験道の一派(当山派)では、八月に奈良の大峯山に登って柴燈護摩供を修します。山の中での修行ですから、正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたことから「柴」の字が使われたという事です。
 
一方、和歌山の熊野三山を拠点に、京都の聖護院を本寺とする天台宗系の修験道の一派(本山派)では、九月に大峯山に入られるそうです。この時、真言宗で焚かれた護摩から火を採取して修行が行われたので、「採」の字が当てられるようになったという説があります。
 
両者には平安時代から江戸時代に至る長い歴史がありましたが、明治政府の修験道廃止令による厳しい弾圧を越えて、このように今日まで伝わっているという事です。
 
柴燈護摩の開祖、理源大師
 
さて、柴燈護摩は弘法大師空海上人様の孫弟子に当たられる、聖宝理源大師様が最初に始められたと言われています。皇族の出身で、また醍醐寺の開祖でもあられます。
 
日本には佛教が伝わる前から、土着のアニミズム、自然崇拝の信仰がありました。今で言う神道の原型があったわけです。
 
佛教伝来と同じ頃の飛鳥時代に、役小角(役行者)が日本独自の山岳信仰である修験道を創められ、深山幽谷を霊場として、山伏(修験者)達が峰々を巡拝しながら厳しい艱難苦行を始めていました。
 
理源大師は吉野の金峯山寺を中心に、役小角以後、一時衰退していた修験道を再興されたと言われています。
 
当時は真言密教自身もまだ始まったばかりの頃で、俗世を離れた山中で修験者と真言行者は互いに交流し、影響を与え合い、山伏の修行形態の影響を受け、真言宗の修行者の中にも山伏装束になって峰々を巡拝し、修行する人達が現れるようになりました。
 
山伏と言えば、一般の方は天狗の装束を思い浮かべる事でしょう。皇円大菩薩様も山中で厳しい修行を遂げられ、江戸中期の『天狗経』に唯一実在の人物として「肥後阿闍梨」の名が記されるほど、大天狗としての伝説が各地に残り、親しまれています。
 
さて、理源大師には宇多天皇より大峯山の大蛇退治という勅命を直々に受けて山に入り、法具の代わりに山中の柴薪を使って法要を修されたという伝説があり、これが柴燈護摩の起源とされています。
 
以来、柴燈護摩は次第に密教の重要な法要として位置づけられ、今日では寺院での落慶法要や大祭などの祝賀行事として修されながら、受け継がれています。
 
「観念」に従って佛様と一体になる
 
柴燈護摩道場では周囲に結界の綱を張り、一定の間隔で御幣を下げます。そして中央に白、四方の柱には黄・赤・青・黒の大御幣を立てます。
 
道場の中央の柴燈護摩壇には、御本尊様に顕現して頂きますので、その天蓋として中央御幣を立てます。
 
四方の御幣は実方、実際の方角に合わせた飾り方をする作法もあります。ほとんどのお寺では南から北に向かってお参りすると決まっているので、護摩壇もそういう造りになっていて、前が北、右が東、左が西に定まります。
 
しかし、深い山の中で方角が分からなくても、どこにいても自分は南から北に向かって佛様をお参りしていると観念し、瞑想をしてお参りをする作法もあります。
 
奥之院の柴燈護摩道場でも、五色の大御幣は「観念」上の方位に従って、常に決まった方位に祀るようにしています。
 
奥之院の柴燈護摩道場では、予め護摩壇の正面に御本尊皇円大菩薩様をお祀りしていますが、山に分け入って、道場を伐り拓いて修する時には御本尊様を持って入れない場合があります。
 
そのような時にも観念で、築いた壇のここに佛様が居られると思ってお参りをする。または、山全体を御本尊の佛様と観念します。そのために山全体、七里四方を結界するのです。
 
いま一つには修行者自身が佛様と一体になる「入我我入」と言って、修行者が護摩を焚く時の観念では、自分が佛様と一緒になり、自分が佛様になれるのです。
 
このように観念で佛様を道場にお招きする。または山全体が佛様になる。さらには自分自身が佛様と一体になる。
 
いつでしたか、柴燈大護摩の煙の写真に、実際にお不動さんのお姿が現れていました。そのように、佛様が護摩の炎の中に顕現して頂くものなのです。
 
七里結界、山全体の魔を祓う柴燈大護摩祈祷の作法
 
奥之院大祭の柴燈大護摩祈祷では、最初に九字切りで結界を解き、道場に入ります。その後、令和元年以来、神佛習合の一貫として西浦荒神社(総社宮)様の神職さん二人にお越し頂いて、最初にお祓いを務めて頂きます。
 
その後、密教の儀式に戻り、法斧・法弓・法剣、閼伽、願文、点火と続きます。これは山中で護摩を焚く時の作法に由来しています。
 
まず法斧、斧で山を伐り拓いて平坦なお参りが出来る場所、道場を作ります。この時、「南山修行の宝斧先達、御祈念候え」「承って候」と言った問答があります。
 
奥之院を一つの修行道場として、「先達」の僧侶は、本来よそから来られます。「南山修行」の南山とは高野山の事で、そこから法会に馳せ参じられたという意味ですが、私を含めて実際に高野山で修行を積んだ僧侶衆も参集されています。
 
そして法螺貝が鳴り響きますが、そういった一つ一つの持ち物や装束、行いの全てが、佛教の教えに由来しています。法螺貝の音には魔を祓い、場を浄める意味もあります。現代的な感覚では、野生の猪や熊等の危険を避けるためという意味もあります。
 
次に法弓ですが、四方と中央に矢を放ち、道場の魔を祓う儀式です。その中に「七里結界」という言葉があります。一里は約四キロですから、二十八キロ四方と、実に山全体を結界しようとするわけです。
 
法剣では、刀で「光」という文字を描き、最後に「バン!!」と唱えて場を清めます。
 
昔、最初に奥之院に柴燈護摩を伝授して下さった森田龍宝先生は、「床堅」という作法も修されました。法斧の斧で伐り拓いた後、三十センチ程の丸い木の棒二本で、地面を平らに固めるという作法でした。
 
他にも法槍という槍を使う作法もあります。昔は武具には魔を祓う威力があると思われていたのです。
 
そして次が「閼伽作法」です。「閼伽」とは清浄という意味です。修行道場の中に「閼伽井戸」があり、そこから毎朝「閼伽水」を汲んでお供えします。洒水にも、この閼伽水を使います。その閼伽水で護摩壇を清めます。
 
その後、貫主大僧正様が朗々と、佛様にこの功徳を広めて下さい与えて下さいといった願文を唱えられて、護摩壇に点火します。点火の後、皆さんが祈願された護摩木を炎に投じます。
 
「入我我入」の境地でお参り
 
皆さん方も、来たる奥之院大祭で一緒にお参りされる時に、燃え盛る護摩の炎の中に佛様が居られると思い、その佛様と修行者が一体になっていると思い、さらに佛様と修行者とご自分の三者が一体になってお参りしていると思って、ぜひお参りしてみて下さい。
 
そうすると「入我我入」、佛様と自分が一体になり、佛様が自分に入って下さる。佛様と一緒になる。中々難しい事ですけれども、有難い境地が得られるに違いありません。
 
ぜひ、今年も皆さんご一緒にお参り頂き、共に佛様のお恵みを頂きたいと念じております。合掌




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