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2023年02月22日大日乃光第2362号
皇円大菩薩様の御利益を一人でも多く「分福」しよう

皇円大菩薩様の御利益を一人でも多く「分福」しよう
 
奥之院で功徳行と開運豆まき
 
今日はこの後、本堂で豆まきを行いますが、先の二月五日も奥之院で午前と午後の二回、開運豆まきを執行しました。途中、初めての五名の方をお迎えしての「功徳行」を修しましたので、慌ただしい一日でした。
 
今年は「丙(ひのえ・南南東やや南)」が歳徳神の、福の来る「恵方」です。しかしまだ肌寒い中で、少しでも日当たりの良い五重塔側に人が集まって来られましたので、恵方には必ずしも拘らずに、鐘楼堂から五重塔側に向かって豆まきを致しました。
 
近年はコンビニでよく宣伝していますから、恵方については皆さんよく分かっておられます。二月三日の節分で、南南東に向かってワハハと笑いながら恵方巻を食べた人いらっしゃいますか?これは笑って福を招き入れようという事ですから太い恵方巻が良くて、細いと口を大きく開けませんからかっぱ巻き位では駄目なんですね。(笑)
 
さて、豆まきの時に、私はよく「阿蘇の熊牧場のクマにならない様に」という話をします。奥之院でもそう話をしましたが、参加された方がどうしても「こっち!こっち!」とエサをねだるクマを思わせるような仕草をされるので、私は複雑な気持ちになりました。
 
心の中の『三毒』を祓う
 
「節分」というのは本当は年に四回あるそうです。その内、二月の節分だけが豆まきなどで世間によく知られていて、全国の神社佛閣では一年間の運勢の区切り、分かれ目とされています。その意味で言えば、二月三日の「節分」が大晦日に当たり、その翌日の「立春」から新しい運勢の一年が始まるわけです。
 
春のお彼岸と秋のお彼岸は二十四節気の春分の日、秋分の日を中日とする七日間の事で、これは雑節の一つに当たります。二十四節気の中にはその他に「大寒」など様々なものがありますが、運勢の変わり目の今の時期が、特に厄祓いをするのに最も相応しい時期なのです。
 
蓮華院で豆まきをする時、いつも貫主大僧正様が「では鬼はどこにいるんですか?」と話されます。鬼には赤鬼・青鬼などがいると言いますが、佛教ではそれを「貪・瞋・痴」の鬼と言います。
 
自分のものではないのに欲しがる貪りの心(貪)、不必要で理不尽な怒りの心(瞋)、そして物事の道理の分からない無知な心(痴)。
 
この「貪・瞋・痴」を『三毒』とも言って、この代表的な悪い心が鬼なのです。そして自分の心の中に居るこの三つの鬼を抑え、戒めるのが節分です。
 
ですから厄除けの意味でも、今日、十三日御縁日の豆まきでは、皆さん一度、自分の体に豆を当ててから拾うように心掛けましょう。
 
奥之院でも年々節分でお参りされる方が増えてきています。またこの豆まきに、以前から繰り返し参加されている方がおられるようです。「この福豆は隣に拾えない人がいたら分けてあげて下さい」また「持って帰られたら『これは福豆ですよ』と近所の人に分けてあげて下さい」とお伝えしています。これを「分福」と申します。
 
幸運を大切に活かす「惜福」
 
明治の文豪、幸田露伴は『努力論』という書物の中で、「惜福」「分福」「植福」という福に対する三つの心掛けを述べた「幸福三説」を唱えられました。
 
まず最初の「惜福(セキフク)」とは、自らに与えられた福を取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、「天に預けておく」ということです。そしてその心掛けが、再度幸運にめぐり合う確率を高くする、と説かれています。また恵まれた幸運を使い尽くさずに、大切に惜しみながら使う事によって、その恵みを存分に活かす事が出来るのです。
 
例えば二人の兄弟がいたとして、同じ様に新しい服を親に買って貰ったとします。兄の方はその服を気に入ったので、いつもいつも着ていました。すると大切な時に着ようとしても、傷んでしまって晴れ着としては着られません。
 
一方、弟も同じ様に新品の服を買って貰いましたが、大切にしまって、日頃は古い服で我慢していました。その内に晴れ着を着るべき時に、大事にしまっておいた新品の様な服を着る事が出来たというお話です。
 
私達の世代は、正月になると服や靴を親から買って頂き、とても嬉しかった思い出があります。そういった意味で、この「惜福」の例え話は実感としてよくわかります。
 
布施の心で分かち合う「分福」
 
次が先に述べた「分福(ブンプク)」です。「分福」とは、幸福を人に分け与えることです。自分ひとりの幸福はありえない。周囲を幸福にすることが、即ち自分の幸福につながるという心掛けが説かれています。これは「恩送り」や「情けは人のためならず」に近い考え方と言えます。
 
露伴は、「すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、左へ動いた丈は右に動くもの。自分から福を分ち与えれば、人もまた自分に福を分ち与えるものだ」
と述べています。
 
お盆の時期にお伝えして来た目連尊者とそのお母様の佛教説話のように、恵まれた幸運を自分だけや、身内のためだけに独り占めするのではなく、他の人にもお分かちする心掛けが大事なのです。
 
福は「がじめ」たらいかんのです。「がじめる」は熊本弁かな?要するに欲張って、何でも自分で独り占めする事が「がじめる」です。
 
呼吸をするでしょ?呼吸の呼は息を吐くという意味です。そして吸うと書きます。吐かないと入りません。全部吐くと全部入るのですが、半分しか吐かないと半分しか入らないわけです。
 
福も人に分け与えるほど、巡り巡って自分の所に帰って来るのです。皆さんも出来るだけ「分福」に心掛けて下さい。手始めに、今日の福豆をぜひ分けて下さい。まずご家族に。そして隣近所、会社関係の人、もっと広い地域の人。最終的には全世界、地球上の人々に福を分け与える。
 
この様な「布施」の心で周りの人々と分かち合うことが「分福」であり、「惜福」からさらに一歩踏み出して、人が幸せを実感し、広く周りを幸福にする方法なのです。
 
見返りを求めない「植福」
 
そしてその「分福」からさらに進めた幸福への道が、「植福(ショクフク)」なのです。
「植福」とは、将来に亘って幸せであり続けるように、自分自身が今から幸福の種を蒔いておく事、精進(正しい努力)し続ける心掛けの事です。
 
過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を形作っています。過去を書き替えることは出来ませんが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来ると、露伴は説いています。
 
「幸福三説」で説かれた三つの心掛けの中でも、露伴は「植福」が最も優れていると述べています。『木を植えた人』という有名な外国の本があります。見返りを求めず、ただ一人、荒れ地に木の実を植え続け、ついには森を蘇らせた老農夫の物語です。
 
たとえ自分ではその成果を味わえなくても後世のために良き種を蒔き、苗を植えて行く。
良き習慣を家庭の中に定着させて行くなど、未来を照らす長い視点で人々を幸福に導く究極の道が、この「植福」と言ってもいいでしょう。
 
認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(アルティック)が色んな形で活動をしているのも一つの「分福」であり「植福」なのです。
自分の陰徳を積むため、自分の徳を積むために福を分けるとなると、これは少し違いますが、要するにお布施というのは惜しんではいけないのです。そして見栄を張ってもいけないのです。
 
それと同じように、人に福を分け与える時は自分が嬉しいから分ける。もらってくれる人が有難うございますと言う。その笑顔と言葉を聞いて、自分が「やってよかったな」となる。
そこで初めて「分福」、福を分けるという事が成り立つのです。
 
先の二月三日の準御縁日も、本来の節分の日でしたから、お参りの信者さん方への豆まきをこの本堂で執り行いました。その時に、寺内の女性職員に残った豆を分け与えました。
 
後で聞いた話ですが、その女性職員は私の「分福」の話を以前から知っておりましたので、部署に戻り次第、他の職員全員に豆を配ったという事でした。その女性職員にも、決してたくさん分け与えた訳ではありませんでした。それでも独り占めせずに、福を人と分かち合うという「分福」を実践してくれたのです。
 
御本尊様の御心に適うために自分を磨いて分福に努めよう
 
何も節分の豆に終わらずに、皆さんも皇円大菩薩様の御遺徳を、自分が中心になって周りの人達に少しでも知らしめ、御利益の福を周囲に分け与えるように努めて頂きたいと思います。
 
そのためにはまず、自分自身が周りから信頼されるような人になって下さい。その上で周囲の人から尊敬され、愛される様な人間になるよう精進して下さい。その上で他の人に「分福」、福を分け与えて頂ければ有難いと思います。
 
それでは今日は私も「分福」の福豆まきを執り行います。皆さん、まず福豆を体で受け止めてから拾って下さい。そして家に持ち帰ったら、周囲の人達にぜひ笑顔でお分かちして、「分福」を実践して頂きますよう祈念致しております。合掌        



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