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2023年06月29日大日乃光第2373号
御宝号で病魔から這い上がり見つめ直した蓮華院信仰の核心

御宝号で病魔から這い上がり見つめ直した蓮華院信仰の核心
 
「参詣の証」に信者との絆を喜ぶ
 
皆さんようこそ遠い所から、近い所からもお参りなさいました。
「参詣の証」を拝みながら、東京から、名古屋から、大阪からもと…、
「あっ、この方もお参りに見えている」と思いながら、とても嬉しく思いました。
 
今日はまず、皆さん方にご心配をかけている現在の私の状況からお伝えします。
毎日の朝の御祈祷と「お尋ね」は、病気になってから入院中も病室で続け、また退院してお寺に戻ってからも一日も欠かした事はありません。ここだけは私が自負してきた所で、自信を持って皆さん方にお伝え致します。
 
これも偏に皇円大菩薩様の絶大なる御霊力のお力添えを頂いての事と、まさに毎日の生活の中で実感しております。
 
毎日の御宝号念誦で大病から奇跡の回復を果たす
 
少し前の話になりますが、今から四年前の二〇一九年、令和に入ってから急に体調が悪化しました。地元でかかりつけの病院や大きな病院で色々調べても分からず、医師から「熊大病院で調べましょうか」と勧められました。その熊大病院では三回目の検査で局部から細胞を採って調べる事になり、一日入院しました。
 
そしてお寺に帰り、朝のお参りが終わってから突然大量の下血が始まりました。それはびっくりする程の量が出て、救急車で運ばれる途中で意識を失い、そのまま入院となりました。
 
それから四、五日経っても出血が止まらず、宗務長と奥之院院代の啓照の二人が呼ばれて、医師から「このまま出血が止まらなければ愈々難しい」と告げられたそうです。それが最初の難関でした。入院中、毎日御宝号を唱え、多い時には三万から五万遍唱え続けてようやく出血が止まりました。
 
医師によれば非常に難しい病気で、百人中一人か二人しか助からない癌でした。先生の表現を借りれば、「とても人相の悪い癌」との事でした。後から聞いた話ですが、北海道を演奏旅行中だった長女が「公演が終わってからでは間に合わないかもしれない…。これっきりお父さんには会えないかもしれない」と、そこまで心配してくれたという事です。
 
それから治療に入り、十一月下旬には退院出来ました。それから毎月、長女の付き添いで通院を続けました。
 
現在は癌の数値が殆どゼロに近く、半年以上その状態を維持して来ましたので、もうこれで危うくなる事はない状態に回復しています。
 
病の底で生きる希望と確信した最愛の人への感謝の気持ち
 
それまで命が本当に危うい時には弱音も出ました。正直に申し上げれば「このまま死んでもいいか」と、どこかに覚めた諦めのような心境もあったのです。
 
なぜかと言えば、先代が亡くなって後を継いで以来、先代が用意された青森ヒバの丸太を組み五重塔を落慶しました。先代の念願であった南大門も建立し、四天王も顕現出来ました。最後の仕事と思っていた多宝塔も落慶し、八百五十年大法要を無魔成満し、皆さんと盛大にお祝いしました。
 
その後から体重が減り、みるみる体調が悪化していったのです。
原因が分かって治療している最中には、「これも!あれも!させてもらった!!もう死んでもいいか…」と、どこかにそんな弱気があったのです。もう存分にやらせてもらったと。
 
ところがそんな心境の底で、家内を残して先に逝ってしまっては彼女が可哀そうだ、という思いだけは残りました。
 
本当に有難い事に、彼女にとっては、言わば私が生き甲斐なのです。苦労を沢山掛けて決して良い夫とは言えない私なのに、私の事を大事に大事に思ってくれているのです。顔を合わせるといつもニコリと微笑んでくれるのです。
 
この人を残して死ぬのだけは忍びない。最後の最後にそれだけが生きる希望、生きる目標と言っても言い過ぎではない心境でした。
 
そういう中で毎日御宝号を二万遍ずつ唱え続け、今朝方で三千四百八万遍。五千万遍まで行くには、あと二年以上かかるかなと思っております。
 
互いへの切磋琢磨となった佛像建立をめぐる魂の交流
 
私と同じ時期に、同じように病気に罹った人が今日、ここに二人居られます。
一人は凖教師の伊藤祐真さんです。あのコロナ禍の中を国際協力でインドにも赴かれていて、私よりも気力が充実しています。もう一人は皆さんもよくご存知の今村九十九大佛師です。
 
昨日も色んなお話をしました。今村先生は人生の集大成として、これまで造られた佛像を一冊の本にまとめて後世に残したいと仰いました。そして私にその本の序文を依頼されたのです。
 
数えてみれば、蓮華院では全部で二十三体木彫を依頼しました。二十三体にもう一体、倶利伽羅龍王。それも佛像に数えるなら二十四体になります。
 
先生との会話の中で、特に南大門の四天王の時には、一体当り十回とは言わないぐらい京都の工房、白門造佛所に足を運び、ディスカッションを積み重ねました。一体の佛像を彫るに当たり、願主のご住職様がそこまでされた事は今までありませんでしたと言われました。
互いに話をする中で色んな考え方が生まれ、その中で自分の能力を大きく開花させて頂いたという実感を持っておられるそうです。
 
その今村先生も、私と同じ時期に同じような病気を患われたのです。そこまで付き合って頂かなくても良いのにと思った次第です(一同笑い)。今村先生ご自身も、一心に信仰しておられます。
 
私も毎朝の御祈祷の中で伊藤先生の回復と、今村九十九大佛師の回復を祈っています。
もちろん皆さん方の様々な祈願祈祷に際しても、同じように一心に拝んでおります。
 
これだけは、この三十一年間一日も欠かした事が無く、出血が止まらない時でさえ、多くの祈願札と今村先生に彫って頂いた皇円大菩薩様の御分霊を病院に持ち込んで拝んでいました。この事は私が最も自負している所であります。
 
輪廻転生を選ばれなかった弘法大師様と皇円大菩薩様
 
さて、今日は皇円大菩薩様の御入定八百五十五年目に当り、計算すると八百五十五年と九十六年という事で、御生誕九百五十年でもあります。これは本当に有難い事です。
 
皇円大菩薩様の御誕生日は今の所、残念ながら解っていません。比叡山が焼き討ちに遭い、資料が明らかでないのです。
 
実は明後日の六月十五日で、千二百五十歳になる方が居られます。弘法大師、空海上人様です。
 
真言宗のお寺では弘法大師様をお祀りしますが、蓮華院では特別に皇円大菩薩様を御本尊様としてお祀りしています。
 
蓮華院の様々な御祈祷の方法であるとか、作法のあり方、様々な考え方や生き方などの殆どは、弘法大師様が残して下さった素晴らしい佛教の教学が元なのです。日本で護摩を本格的に焚かれたのも、弘法大師様が初めてなのです。
 
片や弘法大師様の千二百五十歳、こなた皇円大菩薩様の九百五十歳と…、このお二方には実は共通点があります。現世での生を終わり、来世への生まれ変わりをなさらなかった事です。
 
そういった事を含めて、今広島大学で特別に国費に依る三年間の研究に従事している私の息子、藤井英仁君がここにいます。彼はお寺の息子であります。近々私の母校でもある高野山大学に呼ばれて研究発表をする事になっています。
 
胸中に灯された開山上人様最晩年の薫陶
 
本来なら私も学問の道を目指していたのですが、開山上人様から「帰って来い」の鶴の一声が掛かり、従わざるを得ませんでした。
 
当時、私が師事していた先生からは、「川原君、あなたは大学院に来なさい」と勧められていましたが、開山上人様からの絶対的な御命令に従ったのです。
 
しかし今となってはそれが最善の道でした。なぜかと言えば、私が帰ってから約一年と九ヶ月後に、開山上人様が御入定されたからです。もし御命令に背いていたら、開山上人様から直接の御指導を受ける機会が永久に失われていた事でしょう。
 
開山上人様からは、まさに最晩年に様々な事を教えて頂きました。奥之院には銀杏(公孫樹=イチョウ)の木がたくさん植えてあります。銀杏が実るためにはエネルギーのある台木に、早く大きく実らせる性質の良い木を接ぎ木します。当時、私はこの銀杏を約二千本接ぐ作業に従事していました。
 
その最中、佛様と一体になる事が何と言っても一番大事なのだと教えて頂いたのです。
「今、お前は銀杏の接ぎ木をしているのだろう。それと同じように佛様とキッチリ一体になりさえすれば、後は佛様からお力を頂いて、お前が持っている良い素質を発揮しなさい。
それを五十年前に私が実行した結果が今の蓮華院であり、奥之院なのだ」と言われたのです。
 
だから佛様と一体になることさえ出来れば、後は何も心配はいらない。そう仰られたお言葉は、現在まで脈々と私の中に生きております。
 
四十七年前の信者への誓い
 
弘法大師様は今でも高野山金剛峰寺の奥之院の御廟に生き続けて居られるという信仰が、全国の大師信仰の中に脈々と息づいています。
 
その信仰の姿を、私は目の当たりにした事があります。昭和四十八年二月十日の深夜、弘法大師様の御廟の御前での事です。深夜の一時でも二時でも、三時でも四時でも誰かが来て蝋燭を点し、お線香を焚いて一心に拝む人が居られるのです。一番寒い時期にも関わらず、誰かが来て入れ替わり立ち代わりお参りされる。その結果、一晩中、蝋燭の灯火も線香の煙も絶えなかった。
 
そのような大師信仰の深遠を目の当たりにした私は、蓮華院の信仰も高野山と同じように香煙絶ゆる事無き霊場になるよう、これからの人生を懸けて精一杯、皇円大菩薩様にお仕え致しますという決意を、昭和五十一年六月十三日のこの本堂で、皆様方にお約束しました。
 
もう五十年近くも昔の事になります。その時の使命感と、佛様と一体になるのだという気持ちを、その時以来ずっと持ち続けて今日まで来ました。(つづく)




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