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2023年09月08日大日乃光第2380号
欲を離れ、悩みを解消する

介護の悩み
 
義母の介護でとても悩んだ女性の方が、Eメール内観で次のように気づかれました。
 
義母に認知症の症状が出た時に、うまく受け入れられず、義母との言い争いが増え、傷つく言葉を投げて不安にさせ、一年目に義母の言葉に耐えきれず、家を飛び出して一時実家に帰りました。
 
当時は自分の境遇をすごく不幸がり、被害者のような気持ちで毎日家族や、特に義母を責めていました。
 
義母の認知症と向き合うのが辛く悲しくて仕方がなかったのですが、今思うと義母が嫌なのではなく、私がして差し上げた事を忘れてしまうという事が耐え難く辛かったのです。
介護への見返り、感謝を求めていた事に気づきました。
 
この承認欲求が義母にだけじゃなく、私の人生でいつもつまずくポイントだったように感じています。
 
自己顕示欲
 
このように人の悩みは尽きないものですが、悩みの根本原因はどこから来るのでしょうか?それは人間の持っている「欲」からだと思います。
 
欲には良い欲もあれば、悪い欲もあります。真言宗では「大欲」「大楽」と言って、世の為人の為に自分の欲望を良い方へ使いなさいと教えています。
 
しかし逆に、悪魔に魂を売ったかのように悪い方へ使う人々もいます。同じ欲望でも何故真逆になってしまうのでしょうか?それは人間が本来持っている「自己承認欲求」に原因するのではないかと思います。
 
ただ生きるだけではなく「人に認められたい」という本能的な欲求が人にはあります。
家族だけでなく、会社や友達や隣近所や地域社会に、いいにせよ悪いにせよ認められたい、褒められたいという承認欲求があり、認められると人は満足し安心します。
 
ところがこの承認欲求が満たされず、ストレス発散が出来なくなると暴発して、最悪の場合、無差別殺人を起こすなどの問題を起こしてしまう場合があります。あるいは、お酒やギャンブルや薬物やインターネットなど、現状の不満や悩みをそういった方に向けて病的な発散をする人々もいます。
 
また、自己承認欲は自己顕示欲につながります。この自己顕示欲こそが悪魔の罠であり、色々な宗教の御開祖たちが厳に戒めてきたものなのです。
 
キリスト様も砂漠の中での修行の時、悪魔が現れ、魔力を授けるからこの世の王になれと誘惑されたのですが、「悪魔よ去れ」と言って退けました。千日回峰行の行者も「修行が終わったら修行を忘れよ」と言われています。
 
この自己顕示欲こそ、宗教者のみならず多くの人々が身を滅ぼす原因なのです。ですから昔から、「実る程頭を垂れる稲穂かな」と言ってきたのです。
 
そして、欲の病的な発散が食事に向かうのが、「摂食障害(Eating Disorder 食事の病的乱れ)」という心の病です。
 
なかなかやっかいな病気ですが、長年この病気に悩み苦しみ、複数の病院にかかられた女性が、「Eメール内観」を自宅で一ヶ月間、毎日一回約三十分を合計三十回されて、非常に改善されました。
 
その方の内観感想文を次にご紹介いたしますので、皆様方も参考にして頂ければ有難いと思います。
 
食事の乱れ
 
私は二十代前半より摂食障害となり、過食嘔吐を止めることが出来ずに、苦しい日々を過ごしてきました。三十才で嘔吐は止めることが出来ましたが、今でも過食には悩まされています。
 
自分の生い立ちについては、あまり恵まれていないという気持ちが強かったのですが、内観を通して、自分の考え違いだったことに気付かされました。自分の考え方で、思い出は良くも悪くもなるのだと思います。
 
母はずっとそばで見守ってくれていましたし、今も変わらず見守ってくれています。
父はこの内観を始める前に残念ながら他界してしまいましたが、母と同様にいつも優しく見守ってくれていました。夢をかなえるため、病気を克服するため、多額のお金を含め様々な援助をしてくれていました。
 
両親は、愛を十分に与えてくれていたのです。それなのに自己顕示欲が強く、欲張りで傲慢な私は、それでは足りずにもっと多くを望み続け、愛に飢えていたのです。
 
病気になった私は、自分だけが不幸を背負っている気がして、優しい両親に甘え、いつも辛く当たっていました。
 
苦しいのは自分だけではなく、私を愛する両親の方がもっと苦しかったかもしれません。どれだけ、自分のことしか考えることが出来ていなかったのかが解りました。それでも両親は私を愛し続けてくれました。私はとても恵まれていたのです。
 
内観を通して、過去の楽しい記憶も思い出すことができ、家族の目線で考えることも出来ました。
 
また自分の身体や食物についての内観も行い、自分がいかに身体を苛め抜き、食物を無駄にしてきたかを振り返ることが出来ました。
 
可愛がられ、愛されていた自分がいたという事実が大きな救いとなりました。自分は「ありのままで愛される価値のある人間だった」という大きな気付きを得ることが出来ました。
 
また、完璧を求めすぎるために、自己否定感、劣等感が強くなり、そんな自分を赦すことが出来ずに、自分を苛めてしまっていることが分かりました。出来ない自分を怨んでしまっていたのです。自分を怨むことで、大切な人を嫌いになり、誰も大切にすることが出来なくなってしまっていました。
 
内観を終えてからは、過去のこだわりが減弱した気がします。欲張りで傲慢な過去の自分にとらわれなくなったのかもしれません。
 
自分を赦すことはとても勇気のいることですが、これからの人生を考え思いきりました。
自分を大切に思うことにより、前向きに現実を生きることが出来るようになっています。
 
また、他者視点で物事を考えることで、考え方にも柔軟性が出てきているかもしれません。
自分の身体を大切に思いやることで、過食の衝動も少し抑えることが出来ています。
我慢することはとても大変ですが、過食で自分の身体も心も辛くなることを考え、グッと我慢しています。我慢できたことで満足感を得ることができ、自己肯定感が上がります。日々、このような成功体験を増やすことで、自分の身体を苛める悪循環を断ち切っていこうと思います。
 
内観中、苦しい時期の記憶を思い出すことは、とても辛い作業でした。先生に辛さを訴えると、自分の心の中の鬼に向き合うことになるから辛いのだと教えていただきました。淡々と内観を継続することで心の鬼は消えていくと助言をいただき、淡々と最後まで継続することが出来ました。先生のご支援がなければ、途中で止めていたと思います。
 
今後は、暗闇にいて光が見えずに悩んでいる方々の支えになっていくこと、それが私の夢です。その過程は、今よりもさらに困難だと思いますが、諸先輩方より学びながら、新たな希望を見出していければと思います。
 
自分の悪い部分は数えきれないほどあげられますが、これからは良い部分をさがしていこうと思います。また過去の自分を赦し、新たな自分に出会っていければと思います。
 
過去も絶望ばかりではないと思えたことが希望となっています。これからは、今を一生懸命に生き、明るい未来を作っていこうと思います。このような貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました。
 
目の前の出来る事からやっていく
 
皆様方も自分の欲望をどのようにコントロールしていくか、工夫してみて下さい。
「全ては受け止め方次第。生かし方次第」
「感謝する事と赦す事が幸せへの入り口」
「憎む事、恨む事は不幸への入り口」です。
 
毎日色々あるけれど、それらは横に置いといて、今日出来る事、やるべき事をやって少しずつそのまま前進していかれて下さい。今日の目の前の出来る事をひとつずつ片づけていって下さい。
 
これはそのまま、大きなプレッシャーに打ち勝つ方法でもあり、心の安定のために一流のスポーツ選手や俳優の方が実行している方法でもあります。
 
そして、大きな志を持つ人は、世間での成功やメダルや人に勝つ事よりも「無限の蒼空や大楽」を目指してみて下さい。
 
皆様も「今日一日を生きる」を是非少しずつ実行して、幸せになって下さい。合掌




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