2023年12月18日大日乃光第2389号
皇円大菩薩様へのご縁を深め暮らしの中に幸せの種を見つけよう
皇円大菩薩様へのご縁を深め暮らしの中に幸せの種を見つけよう
いよいよ令和五年もあと数日となりました。
今年はコロナによる行動制限が大幅に緩和されて、六月大祭や十一月大祭など、去年に比べて多くの信者さんや一般参詣の方にお参り頂きました。その中には久々にお会いする方もおられて、とても嬉しく思いました。
今、お寺では年末年始に向けて準備に忙しく働いております。そんな中、今回はお寺にお参りされた方のご利益談をお話ししたいと思います。
佛様のお陰に気付いた幸せ
一つ目のご利益談は、ご夫婦でお参りされている方のお話です。その方は、ご夫婦でスーパーを経営されていたそうです。仕事をされていた頃は、忙しくて何事も辛く、色々と悪い事ばかり考えて、良い事や幸せな出来事に気付く余裕もなかったそうです。そして、年齢などの事情によりスーパーを閉める事になったそうです。
その時は「本当に辞めて大丈夫かなぁ」と不安に思われていたそうですが、「今思えばコロナ前にスムーズにスーパーを閉める事が出来て良かったなぁ」「そのまま続けていたら借金を抱えていたかもしれない」と仰られました。
そして、「今の幸せがあるのも、こうして佛様にご縁を頂いたお陰と、しみじみ感じています」と仰られました。また「佛様の有難みを感じる事が出来ると、何事にも感謝するようになり、日頃の朝のお散歩の時にも、小さなお花など何気ない事に気づき、有難いと思えるようになりました。
それから何事にも感謝の気持ちが持てるようになり、以前仕事でお世話になった方々への恩返しとして、自分達で作った野菜をお配りしたりしています」と今の心境を語られました。
そのお話を伺って、この方は蓮華院の三信条の中の「感謝」と「奉仕」を自然に実践しておられるのだと思いました。
病を得て良い事の種に気付いた
またご主人のお話では、「最近お腹がたるんできたと思い、ジムに通い出して腹筋を鍛えていました。ところが脱腸を患ってしまい、病院で手術をする事になりました。その検査の時に大腸も調べてみると大きい癌が見つかって、大腸を三十センチも切って、一時的に人工肛門になりました。癌の発見があと少し遅ければ、他に転移していたり、もう少し下部で見つかったら一生人工肛門だったかもしれません。それが本当に有難い事に、今では何事もなく生活出来ています。これも佛様にご縁が繋がったお陰だと感じています」と仰いました。
その上で、「何事もなってみなければ分からない事もあります」とも話されました。それまでは病気になる事もなく、健康に気を遣った事が殆どなかったそうです。今回初めて病気が見つかって手術を受けて、改めて健康な体の有難みを実感しましたと。
また幸いにも一時的な人工肛門で済みましたが、この辛い経験の中にも良い点を見つけると、「下のお世話で看護師さんに拭かれるのが恥ずかしいとか、拭くのは大変だろうと気遣う必要はありませんでした」と、何事も悪い事ばかりとは限らないと思えたそうです。
話を伺って、稼業を辞めなければならなくなったお話や、病気になってたいへんな手術を受けられたお話など、普通なら心が沈み、悪い方向に受け止めてしまうような境遇にあっても、このご夫婦のように、そういう中にも「良い事の種になる気付き」というものを見つけられる人は素晴らしいと感じました。これから先、このご夫婦は良い方向にどんどん進んで行かれると思っております。
百万分の一のご利益を招くには
二人目は、六十代ぐらいの男性の方のお話です。少し前までは年に数回程とあまり熱心にはお参りされていませんでしたが、この頃は少しお参りが増えてお会いする機会が多くなり、「どうしてご参詣が増えたのですか?」と尋ねてみました。
すると「蓮華院様にお参りして祈願をすると、公共事業の入札がとれますので」と仰られました。それを伺いながら「あぁ、やはり蓮華院(皇円大菩薩様のお膝下)に熱心にお参りしたり、至心に祈願をされると、皇円大菩薩様に願いが通じるのでしょう」と実感しました。
それから一、二週間の間に何回かお参りに来られたので、また話を伺いました。すると公共事業の入札が、何と三回連続でとれたと仰られました。入札がとれる確立は、その地域では大体百分の一位なのだそうです。それが三回連続という事は、百分の一×百分の一×百分の一となり、百万分の一の確率になるわけです。
また「最近では、ただ祈願をするだけでは駄目で、お礼参りが大事だという事に気付いて、お礼参りも欠かさずするようになって、また運が広がった気がします」と言われました。
やはりお礼参りは大事な事だとしみじみと感じた次第でした。
お礼参りの大事とは
皇円大菩薩がご修行なされていた比叡山を開かれた、伝教大師最澄上人様の伝記には次のような事が記されています。
当時世界で最も文化の進んでいた唐の国(中国)に、時の桓武天皇直々の勅令(ご命令)によって「入唐求法」(国費留学)される前に、最澄様は大宰府(福岡県)の竈門山寺にお参りされて、四隻の遣唐使船の渡航の無事を祈念するために、薬師如来像を四体彫って納められ、『法華経』や『涅槃経』などの大乗経典を唱えて祈願をされました。
当時の海外への渡航は文字通り命懸けでしたので、このように願いを懸けられたのです。
翌年、最澄様は無事に日本に帰国されました。朝廷でのご多忙が一段落した後、渡航の祈願達成のお礼参りのために、再び福岡に赴かれて千手観音菩薩像と『大般若経』『法華経』を奉納されました。このように願い事が成就したら、お礼参りをするという形は、日本佛教の偉大な祖師様や先師様方も為されていたのです。
私達も、やはり皇円大菩薩様にお願い事を叶えて欲しいと祈願をし、成就する事は大事ですが、お願い事が叶えばそれで良いというわけではありません。願い事を叶えて頂いたら、その後にそのお礼参りをする事で佛様とのご縁がさらに深まり、ご利益が続いて行くのだと思います。
真剣なお参りに命を救われる
三人目は、四十代の男性の方のお話です。その方は鹿児島で外仕事を終えて、ジュースでも飲んで熊本に帰ろうとしていたそうです。しかし帰ってからのビールの事を思い、結局ジュースは飲まずに帰られたそうです。
家に帰り着くと「何か足の調子が変だな」と感じて、「少しむくんだだけかな?」と思いながら一応病院に行かれて、お医者さんからは「肉離れかもしれません」と、湿布だけをもらって帰ったそうです。
そして皇円大菩薩様に帰宅のご挨拶でお参りしていると、何か気配を感じて、また違う病院にも行かなければという思いにかられたそうです。
別の病院で検査をしてみると、看護師さんが慌てて来られて「車椅子に乗って下さい」と言われ、そして「即入院して下さい」と言われたそうです。男性は「着替えぐらい取りに帰っていいですか?」と看護師さんに尋ねられたそうですが、「ダメです!誰かに持ってきてもらって下さい」と言われたそうです。
実は男性の足のむくみは肉離れなどではなく、エコノミー症候群によって足に血栓が出来ていたのだそうです。その為、不用意に歩いたり動けば血栓が脳や肺に飛んで、いつ死んでもおかしくない状態だったそうです。ですから動かないように車椅子に乗って即入院して下さいとの事でした。
退院後、その男性はお元気になられて、今ではお参りやお手伝いでお寺によく来られていますが、異変を感じた後、最初の病院の処方のまま、ただ湿布を貼るだけでしたら、最悪の結果を招いてしまったかもしれません。
しかしご自宅の皇円大菩薩様にお参りされている時に、もう一度違う病院に行くようにとのお導きがあり、それを信じて行動に移された事によって、その男性は命が助かったのだと思います。皇円大菩薩様に真剣にお参りを続けていると、そのお陰を頂けるのだと思います。
自分へのご利益あっての利他行
今回、いろいろな方のご利益談を話させて頂きましたが、この様に日頃から皆さんのお話を伺うだけでも、私達僧侶には大変勉強になります。
三信条の実践であったり、蓮華院に足を運ぶ事の大切さやお礼参りの大切さ、真剣にお参りする事の大切さなど、皆さん方にとっても、何か信仰の学びとなれば有難いと思います。やはり信仰というものは、人生をより豊かに幸せにするものであると実感致します。
しかし現代の日本で幸せというものを考える時、日本人特有の気質もあって「自分だけが幸せでは駄目で、他の人も幸せでなければならない」と、他の人の幸せのためにと自分を過度に追い詰めて、頑張り過ぎて心を病んでしまう場合も多いと聴き及んでおります。これはある意味で大乗佛教の「利他」の精神が、日本社会の隅々にまで行き渡っている証とも考える事が出来るでしょう。
しかし、真言宗を開かれた弘法大師空海上人様の御遺誡の中には「二利円満」というお言葉があります。それは、自利(自分の利益)と利他(他人の利益)の二利を共に円満せよという意味です。弘法大師様が誡められたように、私達は自分の幸せも、他人の幸せも同じように大事にしなければなりません。
今日本で「自分の幸せ」と言えば、「自分の事だけ」とか「自己中心的」などと言われたり、考えてしまうかもしれませんが、まず自分自身の幸せが実感出来なければ、他人の幸せを願う行動にはなかなか移れないと思います。
コップの水に喩えると、中の水が少しなら自分の喉の乾きも癒せませんが、満杯だったり溢れていたら、それを他の人にも分け与える事が出来ます。それと一緒で、自分の幸せが少しのままで他人に分け与えていると、やがて心が疲弊してしまって、中には病んでしまう人も出てきてしまいます。
皆さんも、まずは自分の幸せを考えて、小さな事柄の中にも良い所を一つずつ見つけて行く事が出来れば、心がどんどん満たされて、周りに幸せや功徳を分け与える事も出来るでしょう。
そして良い事ばかりの人も、それが普通になると、ただ普通の日常が続くだけになり、良い事があっても気付かなくなってしまいます。そこで一日に一つでも良い事探しをして行く事で、日々良い方向に自分の心を導いて行く事が出来ます。
逆に悪い事が多いと思う方は、一日中悪い事にとらわれて、悪い方に悪い方にと自分を引っ張ってしまいます。ですから悪い事が多いと思う人も、その中で良い事の種を自分で探してみて下さい。それが幸せの近道になって、最終的には幸福へと辿り着けると思います。
子や孫達と幸せの種を見つけよう
それから次世代の人の為に、子供さんやお孫さん達には、毎日「今日仕事や学校、保育園などで楽しい事はあった?」と尋ねてみて下さい。最初は「何もないよ」とか、「別に~」と答えてくるかもしれません。
しかし根気よく続けていると、毎日聞かれる事によって、子供達も少しずつ楽しかった事を無意識に普段の日常から探すようになるのです。
そうする事で幸せの種を自分で見つけられるような子供達に育っていく事でしょう。良かったら、これを今日からでも実践してみて下さい。合掌
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