2024年05月16日大日乃光第2402号
一回でも多く御宝号をお唱えし一人でも多く信仰を広めよう
四十八年前の初心を振り返る
今から四十八年前の昭和五十一年三月十六日の午前四時頃に、私は高野山から蓮華院に帰って来ました。その時、開山上人様と何をお話したか、未だによく憶えています。「今日から新しい弟子としてお仕えさせて頂きます。宜しくお願い致します」と。開山上人様は「うん、そうか」と一言でした。
それから約三ヶ月後の六月十三日の大祭で、全国の信者の皆さん達に何をお話したか、今でもはっきり憶えています。専修学院と大学四年間と、合わせて五年間修行をする中で、私は大師信仰の奥深さをまざまざと体験して来ました。
昭和四十九年の一月二十一日から二月十日にかけて、大学二年生だった私は高野山奥之院の玉川で水行をしました。最後の二月十日は弘法大師様の御廟の前で一晩過ごしました。すると夜八時を過ぎても、十時でも二時でも三時でも四時でも、灯明が消えかかると必ず誰かが来てお供えして蝋燭と線香を灯されるので、一晩中香煙絶える事が無かったのです。
大師信仰というものは全国に満ち満ちています。そういう中でも、一年で一番寒い酷寒の深夜でさえもあの様に必ず誰かが訪れてお参りされている。「千二百年の伝統というものは凄いものだ」と感動しました。
ですから私は帰山のご挨拶で、「私はこれから蓮華院と奥之院が、高野山の奥之院のように香煙絶えることのない信仰の道場となるよう一生を捧げて努力したいと思います」と、皆さんにお伝えしました。
齢六十七の数奇な巡りあわせ
それから十六年後の平成四年七月八日、先代が六十七才で御遷化されました。今から五年前に癌による大量の下血で人事不省に陥ったのも、先代と同じ六十七才の時でした。これも何かの因縁か、廻り合わせかと思いました。
先代が御遷化なさると私が後を継ぎましたが、正直に申し上げると不安でした。「私位の力ではどうにもならない」と、少しでも佛様に近づかなければと思い、早速、凄い先輩をお招きして、八千枚護摩を伝授して頂きました。
八千枚護摩では二十日間前行をして、その間「菜食」と言って食事も制限します。それを毎年ずっと行じて来ました。
三年目になって、それと同時に求聞持法を修するようになりました。
『三教指帰』に魅せられて
弘法大師空海上人様が書かれた『三教指帰』を、私も専修学院の時に読みました。
天朗なるときは則ち象を垂れ
人感ずるときには則ち筆を含む
『鱗卦』『聘篇』『周詩』『楚賦』
中に動いて紙に書す
爰に一人の沙門有り
余に「虚空蔵求聞持法」を呈す
阿国大瀧の嶽に擧じ躋り
土州室戸の崎に勤念す
谷響を惜しまず
明星来影す
意味は、
天は晴れ渡った時には吉凶を表す。人も何かを感じた時には筆を採って文字に残す。様々な古典も心の動きを紙にしたためて作られたのです。ここに一人の僧侶が居て、私に「虚空蔵菩薩求聞持法」を授けて下さった。私はその修行を徳島県の大瀧の嶽によじ登って行じた。そして高知県の室戸岬でも修行した。すると修行に感応して天地がゴーッと響いた、という意味です。
室戸岬には洞窟があり、私もそこを訪れました。洞窟から外を見ると、まさに空と海しか見えません。何日籠られたかは分かりませんが、そこで修行をされた時に、「谷、響を惜しまず。明星来影す」と書かれた。十八の時にその文に触れて、「凄い」とたいへんな感動をしたのです。しかし真言宗の僧侶で、この「求聞持法」を修した人はそれ程多くないと思います。
『求聞持法』結願の日の感動
私がお寺を継いだ時は四十才で、三年間は御霊告に従い修法専一に努め、お寺を一歩も出ずに籠山すると決めていました。その間、三年続けて「八千枚護摩行」を修して、その三回目の後、平成七年の七月に初めて「求聞持法」を修しました。
最初に「求聞持法」を百日掛りで修した時は、大きな感動がありました。まず信者の皆さんの為の毎朝の御祈祷を修し、日々の「お尋ね」などの務めを終えて、夕刻に奥之院で求聞持堂に籠り、六時頃に寝りにつきます。深夜十二時には起床して一日の行を修し、四時までにはまた本院に下るという毎日でした。
一日に一万遍ずつ、虚空蔵菩薩の御真言、「ノーボーアキャシャ・キャラバヤ、オンアリ・キャマリボリ・ソワカ」と唱えます。時間にして「南無皇円大菩薩」の倍以上は掛ります。色んな作法があって、御真言を一万遍唱え、そして最後にまた作法があって、本院に下りてくる。そして朝のご祈祷。そういう生活を始めたのでした。
そういう中で、いよいよ今日これで行が終るという結願の時、百万遍の御真言を唱え終わるその時、「谷響を惜しまず、明星来影す」と弘法大師様が記された事を追体験したのです。
その時の感動は一生忘れられません。宇宙船が来たのかと思うような、上空からの「ウォーンウォーンウォンウォンウォンウォンウォン…」という響きが聴こえたのです。
そして二回目の求聞持法は月食に合わせて修しました。求聞持堂は座した時に東の空が見えるように設計し、窓を造っています。その時は、まさに明星が大きな波動とともにぶつかって通り過ぎていくような、背筋から上の方に突き上げるような感覚でした。これをヨガの言葉で言えば「チャクラが開いた」という事になるのでしょう。そういう経験を三回の求聞持法の内にさせて頂いた。
『皇円大菩薩求聞持法』の御利益
四回目からは虚空蔵菩薩様の御真言に代えて、「南無皇円大菩薩」の御宝号で修しました。そしてこれを二人の弟子に伝授しました。一人は甥の啓照で、彼は既に二、三回修しております。
もう一人、今広島大学に在籍している藤井英仁君にも伝授しています。彼は一度受験に失敗した後、浪人中に私の勧めで修しました。その結果、或いは大きなきっかけになったのか、それ以来彼は大学で常にトップの成績を納め、卒業論文も歴代で最も優秀と称賛された程で、そのまま大学院に進学するよう勧められました。
大学院の修士課程が終わった時、休学して一年間高野山の専修学院に行く事を勧め、真言宗の最低限の修行を終えて復学し、三十二才で博士論文を書いて文学博士になりました。
文学博士というのは、私が高野山にいた頃も三人しかおられなかった程、狭き門なのです。これも彼が若い時に皇円大菩薩求聞持法を修したお陰と私は思っています。
修行を経て感得出来た安心
いよいよ三代目を継いで住職になって、信者さんの特別指導がある、時々刻々の「お尋ね」もある、その前に毎日の御祈祷がある。そういった住職としての責務と本当に必死に向き合いましたが、内心、非常に不安でした。「こんなのでいいのだろうか」という思いがずっとありました。
そういう中で八千枚護摩を二十七回、皇円大菩薩求聞持法を六回、その前の虚空蔵菩薩求聞持法と合わせると九回修して、その間に少しずつ少しずつ肩の力が抜けて行くのがわかりました。と同時に行の最中は佛様に抱かれているような、すっぽりと包まれているような感覚になりました。そうすると皇円大菩薩様から、「そんなに肩に力を入れなくてもちゃんと包んでいるから心配するな」と言われているようでした。
開山上人様からも「お前はお前なりに、自分のやり方でやりなさい。私と同じ事をしなくても善いのだ」と、実際、御生前にそう言われました。
そういった事も思い出しながら「自分は蓮華院の住職をやらせてもらえるんだ」と有り難く思えるようになり、佛様からも「お前は今のままで、そのまましっかり行きない」と励まされている思いに成れました。これは修行を通じて私自身が直に体験した話です。
貫主として悔いの無い人生
皆さん達もここに来てお参りされる時には、全員、皇円大菩薩様に真剣に祈っておられる筈です。
八千枚護摩を修したとか、求聞持法を修したとか、そういう特別な修行ではなくて、日々のお参りの中にも真剣な祈りの力がある筈です。その真剣な祈りによって佛様にお力を出して頂いた、或いは佛様に包んで頂いた、そういった境地を体験された人は、この中にたくさんおられます。
癌などの重い病気に罹った時にも、ちゃんと守って頂けるんです。私自身、癌と分かった時に少しも動じませんでした。「あーそうなんだ。先代と同じなんだな」と淡々と思いました。
先代が亡くなる十日程前に、私と宗務長に日々の御祈祷の作法などを伝授して下さった時、こう仰ったんです。
「私も十四年の間に色々させて頂いた。大梵鐘の打ち初め式も、また一年後の奥之院の落慶法要もさせてもらった。奥之院の庭園造りも、大佛様も造らせてもらった。七曲参道もちゃんと舗装させてもらった。広い駐車場も造らせてもらった。護摩堂も造らせてもらった。国際協力もさせてもらった。これらはもう自分の人生にしては出来過ぎなんだ。こんなに沢山させてもらうなんて…私はいつ死んでも悔いはない」とはっきり仰ったんです。これは母も聞いておりました。その言葉が私の中には無意識にあるんです。
そして同じ歳で同じ病気に罹り、「自分はこれで死ぬのか。私も色々させてもらった。五重塔の落慶から、南大門を造り、多宝塔を造り、奥之院の庭造りを完成させ、国際協力はもっと発展させた。そう考えると、自分も次に渡す時期が来たのだろうな」と正直思いました。ですから全然怖くもなく、ジタバタするでもなかったのです。淡々と、末期癌ではないけれども、余命四、五年という所だと、普通ならそうだと言われた言葉を素直に受け入れていました。
偏に信者のために生き続ける
けれどもそんな中にも有り難い事に、私を通じて皇円大菩薩様に救いを求めてこられる全国の信者の皆さん達のために生きなければならないと、そう思いました。そういう思いがあって、入院以来、御宝号を唱えるようになりました。
皆さんも、ぜひ御宝号を一日に一万遍ずつ唱えて、それを百日間続けてみて下さい。私はもう達人ですから一万遍でしたら二時間ちょっとで唱えられます。毎日三時間位唱えています。先の四月十四日には、遂に四千万遍を超えています。
いつも御宝号を唱えていると、まるで佛様にすっぽりと包まれて、自分自身が佛様の一部になると言ったら言い過ぎかもしれませんが、それに近い気持ちになれるのです。そうすると願い事が不可能ではなくなり、自然と道が開けてくるのです。
そういう気持ちを体験している方が、この中にはおそらく何人もおられると思います。その気持ちを忘れないためにお唱えする。その状態を保ち続けるために、御宝号を唱え続ける。
一人でも多く信仰を広げよう
皆さんもそういう気持ちでこれからもしっかりと、信心に励んで頂きたい。時には三歩進んで二歩下がってもいいんです。そんな時もあります。波もあります。但しそれだけでは充分ではないのです。自分の家族や友人までも率いて引っ張って行く、信仰を勧めて行く事が大切です。
皇円大菩薩様もご自身の成道だけで良ければ、こうしてまたここに戻られる必要は無かったのです。ご自分は極楽浄土どころか永遠の素晴らしい涅槃に行く力を持っておられた。
お釈迦様も悟りを開かれた直後、自分はこのまま死んでもいいかと思われました。すると梵天と帝釈天が現れて「あなた自身が悟った法を一人でも二人でも日々伝え続けなさい」と諭されたのだそうです。
それと同じ事を今日皆さんにお伝えしたいと思います。皆さん達が少しでも信仰を有難いと思われたら、一人でも二人でも周りの人に伝えてください。そしてまずは家族の中で、佛様と一体になる域に達するよう、努力して頂きたいと切に念じております。合掌
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