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大日乃光






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2024年05月31日大日乃光第2403号
八百五十六年御恩忌法要で御心に適う祈りを捧げよう

皆さん今日は。今日もようこそお参りされました。数日前、今日は稀に見る大雨の予報でしたが、昨日一日だけ雨が降り、今日はたいして降りませんでした。これも皆様の日頃の精進のお陰であります。本当に有難い事です。
 
「誠の道」とは何かを探究する
 
今日は先程光照君に板書してもらった、「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らむ」という菅原道真公が詠まれたと伝わる和歌を元にお話し致します。
 
これは普通よりも少し鋭い感性で注意深く読まなければ、誤解してしまうと思います。
「心掛けさえ誠の道に適っていれば、ことさらに祈らずとも、神様は守って下さる」
と解釈するのが普通の感覚だと思います。
 
この和歌の本質は、前段の「誠の道に適う」という部分にあります。「誠の道に適っているか、いないか」という点が、神佛の御加護を受けるための条件という事になります。物事には必要条件と十分条件がありますが、願い事が叶うためには、この両方共に揃う事が大切で、両者が揃った時に、初めて祈りが完全に成就するのです。
 
ここで一つ、必要条件である「誠の道とは何か?」という事を考えてみましょう。
 
日本人にとっての「誠の道」とは
 
まず日本人にとっての「誠の道」とは、例えば「お天道様に恥じない生き方」に近い事だと思います。
 
その時に、いくつかの条件があります。一つには「人に迷惑をかけないようにする」。
他にも「困っている人を見掛けたら、出来る範囲でお助けしましょう」というのもあります。
 
さらに言えば、「受けたご恩は必ず返すように心掛けよう」というのもあると思います。
「約束を必ず守る事」、「社会のルールを守る事」等々、そういった事が「誠の道」に近いと思います。これを倫理道徳と言い換える事も出来ます。
 
一筋縄には行かない宗教的倫理観
 
そこに宗教的な倫理観を持ち込むと、話がかなりややこしくなって行きます。ある宗教では「豚の肉を絶対に食べてはいけません」と説き、ある宗教では「牛の肉を食べてはいけません」と説きます。両者の説く「誠の道」は明らかに違います。
 
「この神様だけを信仰し、祈りを捧げなさい。他は偽物です」とある宗教では説きます。
しかし、その神様だけが正しいと主張するのは、果たして他の民族にとって、或いは人類全体にとっての「誠の道」と言えるのだろうかという疑問がわきます。
 
「誠の道」に対する捉え方がそれぞれの文化や宗教によって異なるから、お互いへの不信感や憎しみを生み、争いや軋轢、果ては戦争の原因にまでなってきた、という歴史が人類にはあるわけです。そのように考えると、この「誠の道」とは一体どのようであるべきなのでしょうか?
 
日本は「誠の道」に適う国!!
 
このように考えてみた時に、例えば今現在、世界中で日本ほど治安の良い国はありません。
たとえ財布を落としても、中身に手を付けずに本人に返って来るような国。こういう国は世界中で他にありません。この一点だけで見ても、日本人の心が「誠の道」に適っていると言っても、過言ではないと思われます。
 
この道真公の和歌に詠まれた「誠の道」は、私達に連綿と受け継がれ、倫理観や道徳観として今も守られているのです。他国でみられるような宗教による厳格な戒めに頼らなくても、それだけでも社会を円満に円滑に営んで行ける事を、日本が示しているのです。
 
日本は女性差別の国か?
 
毎年、ジェンダーギャップ指数と言って、各国毎の男女間の格差指数が報告されています。それによれば、日本は世界百四十六ヶ国中、何と百二十五位という格差のある社会、女性の地位が低いと報告されているのです。確かに世界には、信仰に熱心なあまり、女性を差別や迫害している国や地域があり、今国際的な議論の的になっているほどです。
 
ところが日本にはそういう宗教的な厳格さはありません。格差指数とは裏腹に、非常におおらか、緩やかで穏やかな社会です。
 
伝統的な日本の家庭では、その八割以上で奥さんが大蔵大臣と厚生大臣、教育大臣を兼ねていたと思います。当たり前のように男性は外で働き稼ぎ、女性が財布の紐を管理しました。夫婦が互いに信頼し合い、協力して来たわけです。私の家庭もその一つでした。
 
また、両親は仲が良いのが当たり前で、夫婦喧嘩をしていても、せめて子供の前では仲の良いふりをして来ました。子供の精神衛生にはとても大事な事だからです。
 
例えば夫婦で議論をしたら、脳の構造から言っても、女性の方が言葉が達者で男は絶対に敵いません。ですから本当に賢い女性ほど大目に見て自分から折れたり、大らかに接してあげたり、労い上手、束ね上手なのです。
 
夫婦間の協力による労働と家事の分業と、男女が互いに労りあう家族像というものは、今の尺度では確かに測り難いものだったでしょう。ですから日本人自身は、海外からの批判に対してもどこ吹く風でいられたのです。
 
海外から賞賛される日本社会
 
しかし昨今の急激な社会の変化、雇用環境の変化と家族関係の変質、LGBT(性的マイノリティー)の許容などによって、伝統的な日本の家族像が大きく変わりつつあります。そうなると、確かに西洋的な尺度による男女格差も認められるかもしれません。
 
明治維新の頃は、日本では西洋文化の方が何もかも優れていると勘違いして、必死で学び、追いかけてきました。しかし最近では外国人が日本を旅行して、特に交通機関の素晴らしさや、人々のルールへの配慮、そして日本人が大変親切である事などに驚く姿がSNSなどでよく観られます。そこに、日本が「誠の道」に適う社会である事が表れているのではないでしょうか。
 
時刻表から五分でも遅れたら、鉄道会社が「申し訳ありません。五分遅刻しました」と必ず謝ります。世界中を探しても、そんな国は他にありません。日本の社会がいかに安定して、お互いを労りあい、助け合う。そんな暗黙のルールがちゃんと出来ているという事です。
 
先端科学とも対話の出来る佛教
 
さて、ここからは願いが叶う十分条件の事になります。
後段の「祈らずとても神や守らむ」ですが、ここを読めば、特に信仰などしなくても良いという事に、果たしてなるのでしょうか。
まず「誠の道」…本当の道に適っているかを追及するのは、数ある宗教の中でも佛教だけと言えるのではないでしょうか?
 
佛教の説く「空」の哲学が、現在科学の最先端分野と強い親和性を持つ事は、昨年の六月大祭で、田坂広志博士の『死は存在しない』を元にお伝え致しました。
 
現にダライ・ラマ十四世法王猊下も、最先端の科学者達との対話を熱心に続けておられます。
他の宗教では、創始者や祖師達の時代における世界観を元に、唯一絶対の神の言葉として作られた聖書やコーランなどの聖典類に全てを依拠しています。その結果社会や文化、文明の進歩との間に未だに葛藤があります。
 
それに対して佛教では、そもそも「絶対というものはありえない」というのが前提なのです。
そういった意味で、すべての人類に普遍的であり得るのが、佛教的な発想であるとも言われています。
 
一方で、科学が万能でもありません。科学の進歩には終わりがありません。常に追求し、修正し続けているのが科学です。ですから今の、或いは未来のある時点での科学であっても絶対ではない。これが事実です。
 
しかしそういう具合に進化し、修正し続ける科学とも柔軟に対話が出来るのは、世界三大宗教の中でも佛教だけなのです。
 
民族の対立を乗り超える普遍性
 
つい百年前までは人種的な偏見による差別が当たり前で、西欧人から見て、有色人種は同じ人間として扱われなかったほどでした。また同じ人種、同じ言語を話す民族同士であっても、極めて排他的な階級社会が国家として当たり前の姿でありました。
 
今、世界で自由と民主主義を謳い、国際社会を主導している一部の国々が掲げている「正義」というものも、果たしてその全てが本当に普遍性のある、時代が下っても絶対的な正義であり続けるのでしょうか。
 
かつて、こんな話を聞いた事があります。学生時代に京都の高山寺で研修を受けた時、そこのご住職を兼務されていたのが、故葉上照澄大阿闍梨様でした。葉上師は元々天台宗の僧侶で、史上三十九人目の千日回峰行大行満者であられました。
 
昭和五十四年にキャンプ・デービット合意に基づき、当時の世界の懸案であった中東和平が実現された時に、葉上師は超宗派使節団長としてイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の三教合同礼拝式を主導し、その後も世界宗教サミットの開催に尽力されました。
 
葉上師から直接伺ったか、師のご著書を読んだのか記憶が定かではありませんが、世界の紛争を仲裁するには佛教的な考え方が最適だったという話です。日本では強い宗教的な信念や情念、厳しい規則や戒律がなくとも、社会が円満に安定して営まれています。これは日本人一人一人の道徳心が高いという事の表われなのです。
 
 
「誠の道」とは「佛様の御心」
 
さて、後段の「祈らずとても神や守らむ」の上でさらに祈ったら?「誠の道」に適った上で真剣に祈ったらどうなるか?
 
皆さんは日頃から「誠の道」に適うように、人に笑顔で接しています。優しい言葉をかけています。そして他人に迷惑をかけないように慎ましく暮らしています。
 
その上で、「こんなことに苦しんでいます。どうかお助け下さい」と毎月三回も本院にお参りされて、自宅でも一所懸命お参りされています。
 
この「誠の道に適う」というのは、実は「佛様の御心に適う」という事でもあるのです。
 
無心に淡々と、真剣に祈ろう
 
「願い事が叶うためには、佛様の御心に適う事が最も大切です」と、『龍神の説法』の映画の中で開山上人様が仰っておられます。「誠の道」に適った上で真剣に祈れば、願い事が叶う。最もご利益があるという事です。
 
けれども、祈る時の心持ちは、見返りを求めずに、無心に淡々と、真剣だけども淡々と祈ることが肝要です。
 
願い事に必死になって祈るのは、あまり良くありません。どちらかと言えば、自分の我欲や執着する心が出てきますから、誠の道に適わなくなってしまいます。自分の事しか考えない祈りというのは叶いにくいと思って下さい。
 
一人でも多く、六月大祭にお参りを
 
六月大祭まであと一ヶ月となりました。皆さんお一人お一人が家族や友人や知人に「一緒にお参りしましょう」と声を掛けて、一人でも多くの人を誘って下さい。
 
これも佛様の御心に適う事であるに違いありません。どうか来月の六月大祭には、この十倍位の方々がお参りされる事を切に祈っております。合掌




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