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大日乃光






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2024年07月12日大日乃光第2406号
社会や家庭での役割を通じて一隅を照らす灯し火になろうう

佛様の境地を願うならば
 
私は今日の法話のために、久々にダライ・ラマ法王猊下の書物を読み返しました。
この本は過去二回熟読して、色々線を引いたりしていましたが、三回線を引いている所があります。そこにはこう書かれています。
 
佛陀の境涯に住したくば、大いなる慈悲心を起こすべし。
次いで慈悲から生まれる菩提心を起こすべし。
この二つを補完する重要な要素は、空性を理解する智慧である。
これは龍樹(ナーガールジュナ)という人の『宝行王正論』という書物から引用されています。
 
龍樹は『中論』という著書の中で大乗佛教の根本理念である「空」の思想を大成し、この人を経由しなければ、日本佛教の全ての宗派が存在し得ないとまで讃えられる程の偉大な祖師のお一人なのです。
 
さて、先の引用を解説しましょう。
佛様のような境地になりたいと願う者は、大いなる慈悲心を起こしなさい。
次いで慈悲心から菩提心を起こしなさい。菩提心とは悟りを求める心の事です。
そしてこの二つを補う大切な要素が、空を理解する智慧である、といった内容です。
 
心を綺麗にするのが信仰
 
法話の中で、様々な佛教の教えを説いてきましたが、とりわけ智慧と慈悲については最もよくお伝えして来たと思います。
 
智慧と慈悲が両方備わって、初めて佛様の輝きや佛様の心持ちが出て来るのです。
しかしこの智慧と慈悲は、中々日頃は感じにくい、難しい事でもあります。
皆さんがお参りの中で必ずお唱えする『般若心経』の内容は、まさに空についての智慧が書かれているのです。
 
全てのモノが移ろい行く。
固定的な実体は何も無い。
今ある自分も、一時の泡沫(うたかた)のようなモノでしかない。

そういった認識から、ではお互いが泡沫同志、短い命同志だからこそ、お互いに助け合いましょう。お互いに、少しでも相手の為になる事を致しましょう。
それが慈悲の心です。
 
このように、智慧と慈悲が二つ合わさって、初めて人間の本当の姿を知る事が出来る。
本当の深い深い智慧に至って、本当の人生の意味を悟る。
 
では皆さんにとって信仰とは何なのか?
先程、皆さんとお参りの前に『龍神の説法』の映画を観ましたね。
その中で、開山上人様が信仰や修行の目的を、「自分自身の心を綺麗にするため」と仰っておられました。
 
「三信条」が佛様に近づく道筋
 

蓮華院で長年続けている「内観」も、心を綺麗にするための一種の修行とも言えます。
蓮華院の基本方針は「反省」・「感謝」・「奉仕」の「三信条」です。
 
「三信条」は、「反省に始まり、感謝を経て、奉仕に至る」と説きます。
反省に始まるという事は、自分自身がこれで良かったのかと、自分を別の方向から見つめ直す、一つの新しい視点を持つ事です。
 
お父さん・お母さんに今までどれだけお世話になったかを具体的に振り返ってみる事、これは「内観」そのものです。日頃、感じた事のなかった自分の心の奥底に沈む両親との思い出を深く掘り下げて振り返り、深い反省を何度も繰り返す。
 
その中で、言わば自分以外の目線で自分を省みて、自分はこういう人間だったのかという気付きを得る。そして、こんな人間でもこうして生かして頂いている。こうして助けて頂いている。こうしてまともに生活させて頂いている。
 
有難い…と、そこから感謝が生まれる。ここで感謝が慈悲へと、同時に転化して行くのです。
有難さに気付いた自分には、何の恩返しが出来るだろうかと、何か恩返しをせずにはいられなくなる。そして、自分に出来る事から始めようと、菩提心の芽生えに至る。
 
これが「反省に始まり、感謝を経て、奉仕に至る」という蓮華院の三信条です。
こういった事を、日々実践していく事が佛様に近づいて行く事なのであります。
 
有難い、有難いのその先に
 
皇円大菩薩様はこの大慈悲心と大菩提心と大智慧をまさに兼ね備えておられて、私達の様々な願い事を叶えて頂いているのです。本当によく聞いて頂いて、叶えて頂いていると日々実感します。
 
それに対して、私達はただ有難い有難いと思うだけでなく、有難いと思ったら、その気持ちをどこに振り向けるべきでしょうか?
例えば、毎日ご飯が食べられて、有難いと思う。このご飯を食べるまでを内観の実習のように遡って考えてみましょう。
 
無数の営みの有難い連鎖
 
まず農家の方が汗水流して稲を育ててくれて、刈り入れたお米を精米して頂き、それを流通を通して誰かがお店に運んで頂いて、お店の人に販売して頂いて、家の者がお店で購入したお米をご飯に炊いて頂いている。
 
炊くための炊飯器も、工場で誰かが作った物が今台所にある。お米を研ぎ、炊くための水も、誰かが綺麗にして下さっている。電気もそうです。
 
稲作の道具や機械にしても、流通手段にしても、実に多くの方々がその製造運営に関わって頂いている事で初めて成り立っています。
 
こうして一々考えると、実に沢山の人々のお陰様であると、ここまでは智慧とまでは言わずとも、普通の知恵でも充分分ります。
 
日々の暮らしを通じたご恩返し
 
そこまで思い至ったら、次にそれらに対して、一体、自分にはどんなご恩返しが出来るかを考えてみましょう。
 
それは皆それぞれ、何か必ず出来る事があるのです。どうしてか?
皆、仕事をしているからです。或いは仕事をしていなくとも何らかの形で、社会の中で、家庭の生活の中で、例えば会話を通じて人に関わっています。
仕事をしている人は、仕事を通じて社会の一部分を照らす事が出来るのです。
同じ仕事をするにしても、それぞれが自分の仕事に誇りと感謝の気持ちを込めて、今ある仕事に誠心誠意、心を籠める事が出来ます。
 
それは家庭の中でも同じ事です。
それぞれが自分の役割を、真心を込めて務める事が、そのまま他の全ての人に対するご恩返しになるのです。
 
こうして自分に出来る事を考えついたら、次に一歩行動へと踏み出すか、踏み出さないか。その違いが重要なのです。
 
佛様の智慧に基づいて、慈悲心を伴った行動へと一歩踏み出す。
これが実は、日本人が古来から実践してきた、仕事を通じた人生修行なのです。
 
資本主義を支える職業倫理
 
日本人は日々の仕事を通じて修行をしてきたのです。
日々の仕事を修行と捉える民族は、日本人以外にあまりありません。
敢えて言えば、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で著した、プロテスタンティズムの職業倫理(天職観念)に近いものがあると言えます。
 
この本によれば、人々は元々神から与えられた使命としての仕事に対し、禁欲的に(時間を無駄にせず正直・誠実・勤勉に)務める事で、この世に神の栄光を現す事が出来、同時に救いへの確信を持つ事が出来るようになったという事です。
 
そしてそれは、それまで否定されて来た利潤の追求と矛盾するものではなくなり、社会における様々なサービスも「隣人愛」の一環として再認識され、近代資本主義社会を推進する原動力となっていったという事です。
 
明治時代に日本が西洋列強を範として、一刻も早い近代化を目指していた頃、実は全ての日本人がすでに仕事に対する勤勉さなど、同じような価値観を基に日々の生活を営んでいたのです。その事は渋沢栄一の『論語と算盤』の内容に、象徴的に表われています。
ですからあのようにスムーズに、急激な近代化を成し遂げられたのです。
 
生きてさえいれば修行は出来る
 
仕事の上でお世話になった相手に対し、心を込めて「有難うございます」と、感謝の気持ちを伝えましょう。
 
たとえ言葉の出ない人であっても、笑顔で気持ちを表し、周囲を明るく出来ます。
生きてさえいれば、このように奉仕という修行はどんな形でも出来るのです。
どうかその事を日々の生活の中で心に留めて、人のために役に立つ事を考え、気持ちの良い言葉で温かい心を伝えて行きましょう。
 
今日、願い事に「世界平和」と書かれた護摩木をたくさん炉に投じました。そう願われた方がこの中にたくさんおられます。
これはたいへん素晴らしい事と、嬉しく思いました。
そのように具体的に、今の自分の生活の中で、実行する事が出来るのです。
極端な言い方をすれば、それが日々の修行であり、自分自身を佛様に近づける事に繋がるのです。
 
「三信条」で一隅を照らそう
 
自分自身を佛様に向かわせるとても大事な「反省」、「感謝」、「奉仕」のこの三つを、どうか皆さん日々の生活の中で実践して下さい。
そして、それを行動に表して、自分の身の周りから、社会を明るく照らして行かれる事を切に念じております。
 
伝教大師最澄上人様は、
 一灯照隅 万灯照国
という言葉を残しておられます。
一人一人が片隅を照らせば、万人の灯で国全体を照らす事が出来るという意味です。皇円大菩薩様も比叡山でご修行中、この言葉を必ず耳にされたはずです。

皇円大菩薩様を信仰する私達一人一人が、各自の生活の持ち場で「一灯照隅」を実践致しましょう。合掌




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