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大日乃光






大日乃光

2024年09月17日大日乃光第2412号
信仰に於ける智慧と慈悲、厳しさと優しさを両立させよう

処暑の末に秋空の兆しを感じて 信者の皆さん、今日もようこそお参りでした。お参りの前に気温を見ると、今日は三十度を切っていて、ひたひたと秋が近づいているのを実感します。

貫主堂の北側に朴の木が植えてありますが、今、その実の表面が少し割れ、中のまっ赤な種が見えて来ている所です。あとひと月もすると種がポロポロと落ちてきます。その前に採取して、皆様にお配りしたいと思っています。

朴の木越しに空を見上げると、少し柔らかな雲が掛かっています。それはもう夏雲ではなく、秋らしい澄んだ気配を実感します。 本誌が皆さんの手元に届く頃、秋のお彼岸を迎えています。

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、昼と夜の長さが等しくなるその頃、ちょうど良い有難い気候となっている事を、皆さんと共にしみじみ感じてみたいと思っております。

メダリスト達の感謝の言葉 さて、今そこに「優」という文字が書かれています。優秀などの「優れた」という意味と、「優しい」と両方に読めます。優秀な人が、必ずしも優しい人というわけではないかもしれません。

この夏に開催されたパリオリンピックと、パラリンピックで活躍された日本のメダリスト達のインタビューを見て、さすが超一流のアスリートは「文武両道」を兼ね備えておられると感じ入りました。 特に、彼らが皆共通して語っていた言葉があります。それは周囲の人々への感謝の気持ちです。メダルを獲得して、これまで支えてくれた人達へのご恩返しが出来ましたと口々に語っていました。これは日本人が古来から大切にしてきた、ご先祖様を大事に思い、感謝する文化がその根底にあるからだと確信しています。

世界を舞台に優れた成績を収めるためには、周囲からの温かな支えが必要で、そこには心の通う優しさがあり、選手の側にもその思いを深く汲み取れる優しさがあったのです。これを佛教的に表せば、まさに智慧と慈悲の実践の一つと言う事が出来るでしょう。 この「優」という言葉にまつわる佛教的な教えや、世間一般の様々な考え方を少し加味しながらお話ししてみたいと思います。

心に響いたチャンドラーの格言 私が三十代の頃から、何度も心の中で味わってきた言葉があります。「人は強くなければ生きられない。しかし優しくなければ生きる資格がない」これはレイモンド・チャンドラーというアメリカの人気作家による言葉です。最初にどこでこれを知ったのか、今では明確には思い出せません。

競争社会の中では、強くなければ生きられない。では強くさえあればいいのか?…否。強いだけでは生きる資格がない、といった意味です。当時、非常に鮮烈な言葉として、私の心の底にピシッと衝き刺さりました。 それ以来、その言葉の重みをずっと味わい感じながら、自分の生き方の一つの指針として、自らを省みる言葉として抱いて来ました。

確かに生き馬の目を抜く厳しい競争社会にあっては、強くならなければ生き残れなかった、そんな側面もあるでしょう。 しかし今日では、強く生きられない人達であっても、そういった人々を支える仕組みが出来ています。競争から落ちこぼれた人であるとか、たまたま親を早くに亡くして困っている人など、そういった中で辛い立場にあっても、必死に生きている人達が沢山おられます。 現在は、そういった人達を支えるセーフティーネット、社会福祉的な様々な仕組みが社会に用意されています。

しかしこの仕組みは日本に経済的に強固な土台があり、人々の暮らしが豊かで、心に余裕のある社会である事が前提条件です。 民を憂えた仁徳天皇の伝説 さて、「優」という文字は、人偏に憂うと書きます。目の前の人を憂う。社会を憂う。 余裕のある人や社会が、弱者の事を憂う。

日本には、古墳時代の四世紀頃に、民の事を真剣に憂えた偉大な天皇が居られました。 大阪府堺市にある巨大な前方後円墳で有名な、仁徳天皇です。伝説的な仁政を行われた事で、後に「聖帝(ひじりのみかど)」と讃えられた仁徳天皇には、「民の竈」という有名な逸話があります。

ある時、仁徳天皇が小高い丘に登り、国を見渡してみると、人々の住む家屋から飯を炊く竈の煙がほとんど出ていませんでした。これを見て、民が大変苦しい境遇にあると悟られた仁徳天皇は、三年間、課税と労役を免除する詔を発せられました。そして自らは、当時大阪の難波にあった宮の屋根が壊れ、雨漏りするようになっても、修繕されませんでした。

それから三年後、再び丘の上から国を遠望されると、家々から煙が立ち上るようになっていました。諸国からも課税再開の声が上がって来ましたが、仁徳天皇はさらに三年間、税の免除を延長されました。

やがて免税によって窮乏を脱し、豊かになった人々は、荒れ果てた宮の有り様を見かねて、自発的に修繕を申し出るなど上下一体となって国のために尽くし、さらに国全体が豊かになって行ったという逸話です。

それ以来、この日本という国は、民あっての国、民こそがまさに「国の宝」という考え方が伝統として連綿と受け継がれているのです。この「民の竈」の逸話は現代の日本社会を振り返る上で、今一度よく考えるべき示唆に富む内容を含んでいると思います。

「中道」を説いた古代インドの説話 インドに、こんな古い民話があります。ある大木の根本に大蛇が住んでいました。そこに人が立ち寄ると、皆毒牙に咬まれると怖れられ、誰も近寄りませんでした。

それを知った、ある高僧が、敢えてその大きな木の根元で瞑想を始められました。すると案の定、大蛇が出てきて、高僧に牙を向けました。ところが高僧は落ち着いて、大蛇との対話を始めました。

「そなた、何故そのような恐ろしい形相で毒牙を向けてくるのじゃ。拙僧はそなたをそこなうつもりは全く持たぬ。拙僧を殺しても何の得にもならぬぞ」と。 それを聞いて大蛇は気付きました。 吾はこれまで人を毒牙に掛けてきたが、それは己が傷つけらるる事を怖れたからに過ぎぬと。己の攻撃的で乱暴な振舞いも、内なる恐怖心の裏返しだったという事に、大蛇は気付いたのです。

これまでこの毒牙で人を殺め、沢山の人に危害を与えて来た。このままではますます人に恨まれ、恐怖心を煽るに違いないと。大蛇は高僧と出会い、ついに改心したのです。そして一切、人を咬まなくなりました。 すると人々が少しずつ大蛇に近づいて、積年の恨みを晴らすかのように石を投げたり枝でつついてくるようになりました。今度は大蛇の方が弱りきってしまいました。

そこに高僧がまた立ち寄りました。大蛇曰く「吾は何故一方的に危害を被るのか?」と。 高僧応えて曰く「そなた自身は他人を害する気持ちを一切なくしたが、他人からの攻撃は甘んじて受けてきた。それは間違いじゃ。己の身は己自身で守り、その態度を明確に示さねばならぬのじゃ」と。

この千数百年前のインドの昔話の教訓としては、何事も両極端であるよりも、バランスのとれた状態が最も良いという所でしょう。大蛇が実際に毒牙で殺傷する事は全く良くありませんが、無条件に相手に優しくしたり譲歩するばかりでは、良い結果に結び付くとは限らないのです。最低限の威嚇があって始めてお互いに安全な距離を保ち、共存共栄が成り立つ関係も、世の中にはあるという事を教えてくれます。

このように、両極端を避けて、やじろべえのように左右のバランスのとれた状態を最良とする考え方や生き方を、佛教では「中道」と言い伝え、大切にして来ました。 親しき仲にも毅然とした態度を この説話を読み、家族の間においても、夫婦や恋人同士の間であっても、何もかも相手の言う事を聞いてあげるばかりではなく、言うべき時には毅然として正す事が、真の優しさではないかとつくづく思い至ります。

「これは約束と違います」とか、「それはあなたらしくありません」等と、互いに尊重しつつも、きちんと言葉で伝えるという事がいかに大切かという事です。 しかしそれは、今の日本社会では全体的に少なくなっているように感じられます。

特に最近は地縁が薄らぎ、近所付き合いというものも失われつつあります。かつて、近所で子供のために良かれと厳しく叱ってくれた大人達も、今では見かける事がほとんどありません。 信者の皆さんにとっては幾度も救って頂いた慈愛に満ちた御本尊、皇円大菩薩様も、実は優しいばかりの佛様ではありません。

この上もなく温かく包んで頂けると同時に、時に突き放される事は幾度もありました。お怒りを被ったと思う時もありました。それは父や祖父から叱られた時よりも、遥かに遥かに厳しいものでした。そのように厳しさのない愛はありえません。慈悲のない厳しさも、また無いのです。 智慧と慈悲を両立させよう この智慧と慈悲、父性と母性、強さと優しさの両立。どちらにも偏らず、両極端ではない中道を歩む事の大切さ。そういう事を皆さんもぜひ家族の中で、或いはご近所付き合いの中で、知恵を絞って実践してみて下さい。

その上での一つのヒントは、厳しさをまず自分自身に向けた上で、他人には優しく接しているかどうかにあります。

子供に対しても、本当にその子の将来を考えた時、その子を憂うる気持ちのない優しさでは意味がありません。智慧だけでもなく、慈悲だけでもない中道を目指す。

先のパリオリンピック・パラリンピックの感動の中で、日頃の己に対する厳しい切磋琢磨と、それを温かく支える周囲の人々の思い遣りの中に、厳しさと優しさの理想的な共存を、私達は感謝の言葉としてしっかり記憶しました。

智慧と慈悲の両立、優しさと厳しさのバランスのとれた中道は、決して私達の手の届かない遠い理想では無いという事を、皆さんと共にしみじみ実感した次第であります。

秋彼岸にご先祖様に感謝しよう 以前からお伝えしてきたように、信者さん達も「感謝の達人」です。皆さんは信仰の世界に於ける金メダリストばかりであると、自信を以て断言します。ですから厳しさと優しさ、智慧と慈悲を両立する、佛様の御心に適う生き方が必ずや実践出来ると確信しています。

日本の素晴らしい伝統行事、秋のお彼岸を前に、一人でも多くの信者の皆さんが、ご先祖様を感謝の気持ちで供養して頂きたいと思います。お佛壇へのお参りやお墓参りを家庭の伝統行事として行って頂き、その功徳を次の世代にしっかりと引き継ぎ、ご利益を頂かれますようにと念じております。

既にお伝えしておりますように、当山の霊園、蓮華院御廟において、来たる二十三日、全体供養を厳修致します。全体供養の後、ミニコンサートも催します。事情の許す方はご一緒にお参り頂きますよう願っております。合掌




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