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2024年10月08日大日乃光第2414号
「上求菩提、下化衆生」を日々の暮らしの中で実践しよう

信者の皆さん、ようこそお参りでした。

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、今朝は秋の空気に変わり、空も高く澄み渡りました。 これからしばらくは、暑くもなく寒くもない凌ぎやすい気候になる事でしょう。

「上求菩提、下化衆生」を憶えよう

さて、今日はそこに板書してあります「上求菩提、下化衆生」という言葉について、お伝えしたいと思います。この言葉は今まで何回もお伝えして来ましたが、まだ憶えていないという方がもしおられたら、ぜひ憶えて下さい。

この言葉は『摩訶止観』『唯識大意』などの経典に説かれていて、まさに大乗佛教の核心を衝く基本的な生き方を表しています。 意味としては、大乗佛教の菩薩様は、自らは覚りの境地を求めて上に向かって修行を積み、同時に身の周りで悩み苦しんでいる人々のために、利他行を実践されているという事です。

私達大乗佛教の僧侶にとっては生涯を通じて実践に努めるべき大きな指針が、この「上求菩提、下化衆生」と言えます。 当山の御本尊、皇円大菩薩様は、まさにこの教えを徹底されている尊い菩薩様なのです。

そのご生涯を辿ってみると、比叡山で学問と修行に励んでおられた頃が「上求菩提」の期間であり、浄土宗の開祖、法然上人をはじめ、数多の弟子僧侶達を訓育されていた頃が「下化衆生」の時代と言えます。

そして九十六歳までの人間としての生涯を終えられて、嘉応元年六月十三日に静岡県の桜ヶ池に龍身入定されて、再び「上求菩提」のご修行に入られました。それから七百六十年後に長い「上求菩提」のご修行を終えられて、昭和四年十二月十日に、開山上人様に御霊告と共にその絶大なる功徳を授けられました。

皇円大菩薩様は、開山上人様を始め蓮華院の歴代貫主の御祈祷力を通じて、下の句たる「下化衆生」のために、今も日々邁進し続けておられるのです。

梵天に佛教伝道を請われたお釈迦様

「上求菩提、下化衆生」の教えは、何も大乗佛教に限りません。例えばお釈迦様は、二千五百年前にそれこそ骨と皮ばかりになる程の厳しい苦行を行じておられました。しかし、そういった苦行三昧では真の覚りは得られないと悟られました。

その時、スジャーターという少女が差し出したお粥、乳粥だったそうですが、それをお釈迦様が頂かれた事が、苦行を捨てて中道を歩むという佛教の大きな核心の一つに至るきっかけになったと伝わっています。

その後、お釈迦様は菩提樹の下に座し「覚りを開くまではここから立たない」と誓いを立て、三日、四日、五日と瞑想を続けられました。その座所を「金剛座」と呼びます。

瞑想を続けられたお釈迦様は、まさに暁の明星がきらっと射して、その光を感じた瞬間に覚りを開かれたとも伝えられています。 お釈迦様は人類史上、最初に覚りを開かれた方です。これを「成道」とも言います。

その時、お釈迦様はその深淵なる覚りの内容をじっくり味わっておられました。そしてこの覚りの境地や真理は、執着や貪り、瞋りなどの煩悩にまみれた世間の人々にどんなに必死に伝えても、決して理解される事は無いだろうと思われました。そこでお釈迦様は自分の命が尽きて、そのまま死んでも構わないと思われていたという事です。

その時、古代インドの最高神である梵天が現れ、お釈迦様に対し「世尊よ、どうか教えを人々に説いて下さい」と勧めた事が記されています。この事を「梵天勧請」と言います。お釈迦様は梵天の要請を受けて、漸く人々に真理を説く道を歩み始められたのです。

梵天を日本の神様に例えるならば、天照大神に比肩すると言えるかもしれません。その民族が信仰し崇め奉ってきた最高神に請われて、お釈迦様は金剛座から立ち上がり、それから四十五年もの間、佛法を伝えるという、言わば「下化衆生」の説法の旅を続けられたのでした。

神道と共に日本を支えた佛教

ここでインドの古い民族信仰の最高神が、お釈迦様に教えを説く事を請われたというのは一体どういう事なのか、私はずっと考えてきました。これを日本に置き換えると、日本の神々が佛法を讃え、国中への伝道を請われたという形になります。

実際に聖徳太子の時代に、当時まだ入って間もない佛教が、十七条の憲法に明記されて国是として据えられました。それ以来、国家の祭祀たる神道を主る歴代天皇陛下が、同時に佛教に篤く帰依され、神道と共に佛教を鎮護国家の大きな柱として据えられたのです。

私は佛教には、色んな地域の民族宗教に受容され、民族の教えの中に取り込まれ、互いに活かし活かされるという、そういう性質が元からあったのではないかと推測しています。そしてそれが最も上手くいったのが、日本ではなかったかと。日本ほど佛教と民族固有の宗教(神道)が上手く融合した例は他にないのではないかと思っています。

最も倫理道徳の行き届いた国とは

今、世界の色んな所に分断があり、諍いがあり、戦争があります。民族紛争もあり、なかなか収まる気配も見えません。一方で、かつて日本ではあまり争う事なく佛教が受容されました。神道と佛教は共に人々の心を和ませ、発展させてきました。そういう点で、日本の宗教や信仰は、世界でも稀に見る進化を遂げた教えではないかという見方も出来ます。

ですから日本社会の精神的支柱と見做されて、神道や武士道、或いは茶道等の日本の伝統文化に世界から高い関心が払われています。しかし神道と共に、佛教も対になってそれらを支え合ってきたのです。 そういった意味で、佛教も和の精神を共に育んで来たと言えるのは間違いありません。

本来、宗教の役割は、民族の融和や発展に貢献する事です。そのために、普通は、宗教には様々な戒律があります。ところが日本の宗教には、厳しい戒律が殆どありません。 一日に五回も礼拝するイスラム教の国や、毎週日曜日に教会でお説教を聞くキリスト教を信仰する国の、国民の生活の安定や治安などを日本と比較するとどうでしょうか?実態は日本の方が世界で最も犯罪の少ない国なのです。重い罪を犯す人が極端に少なく、アメリカの十分の一以下です。 そういった倫理や道徳的な意味で、本来宗教が希求してきた目的を、現在最も達成しているのが、実は我が日本なのです。

これは私の実体験ですが、財布を五回も落とした事がありますが、その内、何と四回も私に返ってきたのです(一同笑)。こんな国は他にありません。

自然体で信仰の生きる精神的風土

宗教の目的は何なのでしょう?その一つは、人間一人びとりを立派にする事です。佛教的な生き方の事を「佛道」と言います。私達は日々の勤行の最後に廻向文で、「願わくは、この功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に〝佛道〟を成ぜん」と唱えています。

「佛法遥かに非ず。心中にして即ち近し」弘法大師のこの言葉は、佛様の教えは遥か遠くにあるのではなく、心の中にあるという意味でした。 この感覚に最も近いのは、この国に暮らす私達日本人の精神性だと思います。敢えて佛法や佛道という言葉を使わなくても、既にかなりの部分で自然に佛法の教え、佛道を歩んでいると言えると思います。

菩薩様の「上求菩提」的な智慧に育まれた生き方を、皆が自然に歩んでいる状態。色んな戒律がなくても、人に迷惑をかけないとか、何か人のために役に立つ事を、皆自然に実行しています。 どんな職業に就いていても、人のために役立つ事、社会のために役立つ事を目指して働いています。これはまさに「下化衆生」の実践であると言えます。殊更に難しい言葉を使わなくとも、佛様の慈悲や救済の一部を、私達は家庭や職場で、自分の責任を果たす事を通じて実践しているのです。

自然災害の時に最も象徴的に、そういった人々の様子が表面に表れて来ますが、これは本当に立派な事なのです。それはまさに神道と佛教が融合した形で、日々の生活に深く浸透し馴染んでいるからと言えます。これは民族的な智慧とも言えます。長い長い年月を経て、ご先祖様達が育んで下さった、私達の生き様です。

日本人の自己への過小評価を憂う

日本を訪れた外国人の多くから、SNSに「こんな素晴らしい国は世界中を見渡しても、他にありません」といった声がたくさん投稿されています。日本人にとっては自然で当たり前の事が、外国人の目には美点に映る事の裏返しとして、私達自身はそれが実践出来ている事を殆ど自己評価しませんし、そもそも普段は自覚すらしていません。

マスメディアも同じように、記事や番組に取り上げるのは「事件」として記事になる悪い事ばかりになり、それを連日受け取る私達視聴者は、厳しく自己評価を下げてしまい、過剰な過小評価に陥っているのです。この様な現状は、日本の衰退に繋がるのではないかと危機感を持っています。

この国の形を一度見直してみよう

今、世界で日本の精神文化や生活文化、日本人の日々の生活の送り方が注目されていますが、それを根底で支えているのは、実は神佛融合の精神性である事を伝えてきました。 これは今問題になっている地球環境問題に対しても同様で、殊更に自然を大切にしようと声に出して言わなくても、昔から日本人は自然を大切にして来ました。

自然の移ろいゆく姿を文学的に表現したり、具体的な行動で自然を壊さないようにする自然との共生を、日本人は太古の昔から、言ってみれば縄文時代からずっと続けてきたわけです。 この敢えて声に出す必要のなかった日本人の隠れた美点を、これからは改めて、教育現場などで子供達にしっかり伝えていくべきではないかと思います。

それは即ち日本がどういう国なのかを伝える事に繋がり、ご先祖様から受け継がれてきた家族や地域社会の中で、日本文化を明確な形にして後世に伝える事にもなるのです。

佛様の智慧と慈悲を周りに伝えよう

私達日本人の多くは、佛教の智慧と慈悲を自然に活かしながら日常生活を送っています。

そこで皆さん達には、「上求菩提、下化衆生」の生きる指針をもっと明確に、意識的に活かして頂きたいと思います。 一遍でも多く御宝号をお唱えして「皇円大菩薩様の深い慈悲に触れよう」とか、「慈悲の御心を少しでも自分の中に活かし、人々のために役に立つ自分を育てて行こう」などと、そういう気持ちを皆さん方に持って頂きたいと思い、様々な話をしました。

皆さん達も家庭や地域社会で、佛様の慈悲や教えの素晴らしさを少しでも人に伝えていこうと、ぜひ努めて頂きたいと思います。どうかこの秋の良き日を有意義に活かして頂きたいと切に祈っております。合掌




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