ホーム > 大日乃光 > 大日乃光一覧

大日乃光






大日乃光

2024年12月26日大日乃光第2421号B
明るく希望に満ちた新年に当り 小欲を大欲に転じて精進しよう

挫折に挫けない人が伸びる年

全国の信者の皆様、そして本誌をご購読頂いている有縁の皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年、令和七年は乙巳(きのとみ)という年です。これはどういう意味かと言えば、一般的には初夏の草花にも例えられて、明るく華やかな年という風に言われています。どちらかと言えば明るく前向きな印象を与えるような年になるというのが、この乙巳の年です。

六十年前の乙巳の年(昭和四十年)は、昭和二十九年頃の〝神武景気〟以来の好景気と言われた年だったのです。そういう具合に非常に伸び栄えて行く、まさに乙巳にふさわしい年だったわけです。 さて、今年はどういう年になるかという事で、私なりに前向きに積極的に解釈して予想してみると、元気で希望にあふれる前向きな人物や組織が注目される年、色んな意味でスポットライトを浴びる年という風になると私は感じています。

そして、挫折をしてもそれに挫けずに立ち向かっていく、そういう人が大きく伸び栄えて行く年であるという風に感じております。世間では暗い話題を多く目にしますが、私はなるべく明るく前向きな話をしたいと思っています。

日本発の画期的発明とは

そこで話は変わりますが、日本人が編み出した画期的な事柄について、つらつら考えてみたのです。 日本人が発明し、世界に先駆けて成し遂げたその第一には、一万六千年前から一万年以上続いたとされている縄文時代の出土品が挙げられます。

我々の世代が学校で習った説明では、縄目文様の土器が出土したから縄文時代と呼ばれているといった程度の知識でしたけれども、今や世界中の文化人類学者や考古学者達から注目されている時代なのです。 それは縄文時代には、一万三千年もの間、大きな争いがほとんどなかったらしいという事が解ってきたからです。

現在二万点を超える縄文式土器が出土していますが、その倍以上はまだ未発見、未発掘の物があるだろうと言われています。 縄文式土器と言えば、皆さんすぐに頭に思い浮かべられるような最も代表的な火焔型土器は、その造形が素晴らしい表現力で、岡本太郎さんをはじめ、現代のアーティスト達にも大きな影響を与えています。

また非常に特徴的なのが土偶です。とりわけ遮光器土偶と呼ばれている土偶は最も有名で、創造力豊かで、全身に装飾がたくさん施されています。縄文時代には大きな争いがなかった事から、創造力に富む人達が時間をかけて芸術的な作業に費やすゆとりがあったのかもしれません。

また縄文式土器の発明は、芸術以外にも、人々の食生活に煮炊きという大革命を引き起こしました。食べ物を煮炊きする事によって、それまで食べられなかったものを食べられるようになった。そしてそれを保存する技術も発明された。人々の栄養状態、健康状態が劇的に改善されたのです。煮炊きで調理する事は、今日では当たり前の様に思いますが、それ以前と以後の人々の暮らしを大きく変えたのです。

古墳造りは公共事業の一環

それから随分時代が下りますが、大阪に仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があります。これは墳丘長だけで五百メートル以上もあり、世界最大級の陵墓の一つです。 これほど大規模なお墓の造営に、一体どれほどのコストが掛かったかと、昭和六十年にある大手ゼネコンが試算してみたそうです。 すると重機を使わない古墳時代の工法で試算して、のべ六百八十万人以上、一日平均千二百人程働いて、工期は十五年八ヶ月、総工費が昭和六十年の時価で約七百九十六億円掛かるとの見積りでした。

しかし最近になって、エジプトのピラミッドの建設が公共事業であったという説が有力視されてきたのと同様に、古代の日本における古墳造りも公共事業として行われていたと考える説が出されるようになりました。

当時の国造りとして、農閑期の労働力を駆使して土地を開墾し、用水路など灌漑施設を整備して水田を作り、河川に堤防を築いて水害を防ぐために山や丘を削るといった土木事業が推進されました。すると余剰の土砂が沢山出ます。その残土を積み上げて、大掛かりな古墳にしたのではないかという一説です。 着実に受け継がれる民を憂う心 その世界最大級の陵墓に埋葬された仁徳天皇は、記紀に遺された「民の竈」の逸話で知られています。

「聖の帝」と讃えられる程の仁政を布かれた事から、その治世に由来しての「仁徳」という諡号なのです。 戦前は学校教育の中で「民の竈」の話を全ての日本人が習いました。しかし今はほとんど知られていません。

どういう話かと言うと、ある時仁徳天皇が小高い丘に登り、国を見渡してみると、人々の住む家屋から飯を炊く竈の煙がほとんど出ていませんでした。 これを見て、民が大変苦しい境遇にあると悟られた仁徳天皇は、三年間、課税と労役を免除する詔を発せられました。 そして自らは、当時大阪の難波にあった宮の屋根が壊れ、雨漏りするようになっても、修繕されませんでした。

それから三年後、再び丘の上から国を遠望されると、家々から煙が立ち上るようになっていました。 諸国からも課税再開の声が上がって来ましたが、仁徳天皇はさらに三年間、税の免除を延長されました。 やがて免税によって窮乏を脱し、豊かになった人々は、荒れ果てた宮の有り様を見かねて、自発的に営繕を申し出るなど上下一体となって国のために尽くし、さらに国全体が豊かになって行ったという逸話です。

それ以来、この日本という国は、民あっての国、民こそがまさに国の宝という考え方が伝統として連綿と受け継がれているのです。 この「民の竈」の逸話は現代の日本社会を語る上で、今一度よく振り返るべき示唆に富む内容を含んでいると思います。

また、この「民の竈」の逸話に関連して、現在の今上陛下の第一皇女、愛子内親王殿下が二年前に成人となられた時のエピソードを思い起こします。 皇族の女性は成人の日を迎えるに当たり、公式の場で着用するためのティアラを新調されるのが慣例ですが、それには大凡三千万円程かかるそうです。 それが当時、コロナ禍に人々が疲弊している状況を鑑みて、敢えて叔母の黒田清子様のティアラを借りて儀式に臨まれました。

実は雅子皇后陛下も、即位の際に美智子上皇后陛下のティアラを引き継がれています。 これはまさに、仁徳天皇の「民の竈」の故事をその精神のままに、現代に継承しておられる事を象徴する、非常に素晴らしい皇室の在り方だと思いました。

外国人が驚く「神佛習合」の偉業

さて、日本人の発明した物事に話を戻します。次は「神佛習合」です。 これは日本古来の宗教である神道と佛教を、平和裏に融合させたという事です。 このように二つの宗教を争いもなく融合できた例は世界にありません。

なぜそれがすごい事なのかと言えば、現在の世界の紛争の多くが、宗教的な対立に起因していると言われているからです。 しかし日本では、歴史的に宗教間の対立による戦争があまりありませんでした。 これも世界に誇り得る出来事なのです。

「本地垂迹説」と言って、密教で最高の佛様の大日如来が、日本では神道の最高神である天照大神として現れたとする。このようにして神様と佛様を同列に位置付けました。 そして神社の中に神宮寺というお寺を造り、またお寺の中に鎮守社を造りました。

奈良時代に東大寺の大佛が造営された時、同時に境内に宇佐八幡の分社が建てられ、今も現存しています。 これを私達は特別な事とは感じませんが、外国の人が見ると驚かれます。 そういう日本人の和の精神で宗教を融合して行くという智慧や民族性。 そういったものが、私達には今でも脈々と伝わっているのです。

未来に期待される日本人の特性

一部の先進的な国際政治学者や経済学者達が、「次は日本人の時代だ」と言われています。 令和七年という新たな年を迎えるにあたって、私達は日本民族が紡いできた輝かしい精神文化、伝統文化をもう一度見つめ直す必要があると思っています。

現代、日本が世界で最先端と言われている先進的な科学技術があります。 「和魂洋才」という言葉がありますが、日本では昔から、外から入ってきた文化を受け入れ、日本流に改良し、発展進化させてきた文化的風土の上に成り立つ賜物なのです。

かつて神佛を融合させた様に、海外発の法律や社会制度、教育制度なども、日本流に作り替えて活用していく。 このような日本の特性から、最先端の科学者や経済学者達が、「これからは日本の出番だ」とこう言っているわけです。

三つの生活習慣を心掛けよう

さて、そういう中にあって、では私達は具体的に人としてどうあるべきなのかという話をこれから致します。毎年、お正月には必ずお伝えしてきた事です。

子供にとっては、親の正しい生活態度が最良の躾となります。 私達の生き方や日々の生活習慣、そういったものを子供達はしっかり見ています。 夫婦がお互いに睦み合い、夫が奥さんを大切にし、奥さんは夫を大切にする。お互いに尊重し合う。そういう姿を子供に見せ続ける事。それこそが子供や孫達への最大の躾であるという事です。

こういった考え方に基づいて、毎年お正月には三つの事をお伝えしています。
一つ目は、家庭の中でお互いに朝の挨拶をしましょう。ご先祖様にもご挨拶しましょう。佛壇にも神棚にもご挨拶しましょう。

二つ目は、ご飯を食べる時には「いただきます」と言いましょう。 食事の前に「いただきます」と口に出して言う生活習慣には、世界の人達がその精神性の深さや、伝統文化としての価値を賞賛しています。

キリスト教文化圏では「天にまします我らの神よ。あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます。ここに用意されたものを祝福し、私達の心と体を支える糧として下さい」と神様に感謝をします。

日本では目の前にある食べ物を通して全ての生き物に感謝し、食事を作った人や運んだ人など、食物にまつわる全ての人々や食事そのものに感謝をして手を合わせます。 外国から日本に来られた人は、この考え方を素晴らしい精神文化だと称えているのです。 この良き家庭の習慣を、ぜひ着実に実践して頂きたいと切に念じております。

三つ目は、履物を揃える事。 そんな事は大した事ではないと思われるかもしれませんが、玄関に入った時にきちんと履物が揃っている家庭は、それだけで感動します。そんな家庭では、トイレのスリッパもきちんと揃えてある。 これは立ち止まって足元を見つめるという事に通じます。これも私達日本人が代々受け継いできた良き生活習慣の一つにほかなりません。

外国では履物を履いたままで室内に入る家庭が多いかもしれません。 これは生活環境の違いから来る文化的多様性や生活習慣の違いによるものですが、たとえ神聖な教会や礼拝所であっても土足のままとなると、日本人には受け入れにくい風習と言えるかもしれません。 履物をきちんと揃えて脱いだり履いたりする習慣があるのが、日本の文化の一つの現れと言えます。

こういった一つ一つの事を大事に続け、伝えて行く中で私達日本人の感性が育まれ、他の様々な良き習慣と共に、今に伝わる伝統文化を形作って来たのです。

欲望を肯定的に捉えた真言密教

ここで以上の三つの良き生活習慣に、今回は少し新しい内容を加えてお伝え致します。 「小欲知足」など、佛教をはじめ様々な宗教では、またあらゆる倫理道徳や哲学などでは、人間の欲望を抑えて減らしたり、無くしていく方法を教えたり伝えてきました。 節分豆まきなどで度々お伝えしている「貪・瞋・痴」の三毒の中の「貪」は欲へのむさぼりという煩悩の事です。

しかしここで、逆転の発想で「大欲は無欲に似たり」という言葉を掲げてみたいと思います。 この言葉は、「大望を抱く者は、小さな利益などを顧みないから一見無欲のように見える」とか「欲深い者は、欲に目がくらんで損を招きやすく、結局無欲と同じ結果になる」というのが本来の意味です。

しかしここで「大欲」を世の中全体、社会全体、世界全体がより良くなりますように、平和でありますようにという意味の大きな欲として解釈します。 この場合、自分のためだけの願い事は「小欲」であり「大欲」には入りません。 周りが良くなれば良い。どうか隣近所が幸せでありますように、とか、この地域が発展しますようにという願いも大欲になります。 自分だけが良くなるようにとか、そういう小さな欲はそこにはありません。

先の奥之院大祭での柴燈大護摩祈祷でも、 「願はくは、ここに集いし善男子善女人よ!己れ一人の為の祈りを越えた祈りに心を致したまえ。その祈りの和合の力によって、広くは地域社会、国家社会、国際社会に及ぶまで、等しく利益のあらん事を祈りたまえ」 と奏上し、皆さん達と祈りを結集しました。 これは自分自身が無欲になる事に通じるのです。これが佛教が編み出した究極の「無我の行」です。

大欲を胸に新たな年を迎えよう

大晦日の除夜の鐘で百八回鐘を撞くのは、人間には百八の煩悩があるからとお伝えしています。鐘を撞く事で百八の煩悩を滅する事が、佛教の究極的な悟りへの道筋だと教え導いています。

しかし密教になると、それを大転換するのです。 小さな欲を一つ一つ滅して、全ての欲を無くして、良くなる事で悟りに近づく。 しかしこのような言わば消去法ばかりでは、ともすると人を萎縮させ、心の中の本来の佛性をも埋もれさせてしまいます。

そうではなくて、自分をより良くするには、逆に大きな欲を持つ事。これは我欲に基づかない大きな欲という事になります。 それをしっかりと信念に持ちながら、家庭を明るくするために、自分自身が明るくしようとしたり、そのために自分から挨拶をする。 これが大欲に基づく行動の一例です。

人よりも金持ちになろうなどというのは小欲です。また「あの人は欲深い」と言う場合の欲は、それは小さな欲の塊でしかないのです。 このように人の欲というものに対して、必ずしもマイナスなイメージばかりあるのではないと、発想を大転換させたのが真言密教の新面目なのです。

これは現代にも通じる考え方ではないかと思います。 皆さんも小欲と大欲の違いをしっかりと見極めて、ご先祖様を大事にし、家庭の中をしっかりと整え、夫婦仲良く、兄弟仲良く、親子睦み合うという事。これが生活の基盤です。ぜひ実行して下さい。

子や孫達の未来の幸せのためにも、自分自身の後ろ姿や生き方を通じて次の世代へ、また次の世代へと、善き日本の文化、世界に誇れる日本の文化を伝えて行って頂きたいと、新年に当たり、切に願っております。 合掌



お申し込みはこちら 大日新聞(月3回発行)を購読されたい方は、
右の「お申し込みはこちら」からお申し込みいただくか、
郵送料(年1,500円)を添えて下記宛お申し込みください。
お問い合わせ 〒865-8533 熊本県玉名市築地玉名局私書箱第5号蓮華院誕生寺
TEL:0968-72-3300