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2025年02月07日大日乃光第2424号
昭和百年・戦後八十年を機に歴史認識を前向きに改めよう

大統領就任演説の第一印象

皆さん、寒い中ようこそお参りでした。 今年は昭和百年、戦後八十年の年です。 一方、去る一月二十一日、アメリカ時間で二十日に第二次トランプ政権が発足しました。 本誌が皆さんのお手元に届く頃には、トランプ大統領の政策が今よりもっと具体的に現れている事と思います。

皆さん「トランプ大統領になって良かった」と思う人は手を揚げて(約五分の一が挙手)。「困った」と思っている人(残る五分の四)。ハイこれが実態です。 どうしてこうなっているのかは、日本のマスコミ報道が偏っているからです。

私は彼の大統領就任演説を聴き、後で読み返しました。 その最初の方で彼はこう発言しました。 「我が国の教育制度は、自らを恥じるよう子供達に教え、多くの場合、我が国を憎むように教えている。我々が必死で彼らに愛を注ごうとしているにも関わらずだ。これらすべては今日から変わり始め、非常に速やかに変わるだろう」と。この発言は素晴らしいとは思いませんか?

今から十八年前の平成十八年、第一次安倍内閣の発足後、当時の安倍総理はまず、教育基本法の改正に取り組みました。 そこには「わが国と郷土を愛する態度を養う」という、愛国心が盛り込まれていました。 このように日本国内で国を愛する教育を行う大きなきっかけを作ったのは、トランプ大統領の盟友でもあった故安倍元総理でした。

教育の荒廃に挑んだ安倍総理

当時学校教育の現場ではいじめ問題が深刻化していて、その根本的な解決策として、自己肯定感の持てる児童や生徒を育てる事が教育目標として急務とされていたのです。そのためにも根拠の不明瞭な従軍慰安婦問題の記述等が是正されて、いわゆる歴史教科書の「自虐史観」からの脱却が図られたのです。

世界中を見渡して、自国に対する悪印象を教えるような国が一体どれだけあるでしょうか? 故郷やご先祖様達の歴史には誇るべきものが何もないと、そんな事を教える学校で、子供達は自己肯定感が持てるでしょうか?

故安倍総理は、十年前の戦後七十年談話で、 「日本では戦後生まれの世代が、今や人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない私達の子や孫、そしてその先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」 と述べました。

どの国や民族にも、人と同じように長所となる個性もあれば、短所もあります。 過去の出来事は覆す事が出来ません。しかし私達は過去に過度に囚われずに、未来に向けて進むべきなのです。

豊臣秀吉時代の独立存亡の危機

一方で、日本が歴史的に独立を維持する為にどれほど苦労して来たかという話もあまり伝えられていません。

例えば大河ドラマなどで皆さんよくご存知の豊臣秀吉が、最晩年に朝鮮出兵をした事について。同様にバテレン追放令を出して、キリスト教徒達を弾圧した事について…。 秀吉が世界征服の野望を露わにしたとか、病気や耄碌して見境がなくなって、信教の自由を奪ったなどと戦後の歴史観で面白可笑しく描かれた映像を観たり、教わったりしたと思います。

これは全くの誤解で、日本は当時から、後の幕末のように非常に危機的な世界情勢の中で、独立国としての瀬戸際にあったという事が、最近明らかにされつつあるのです。 当時、スペインやポルトガルをはじめとする西欧列強が世界中で侵略戦争を仕掛け、植民地を拡大しているという情報を、秀吉や後の徳川家康もかなり正確に把握していたというのが実情だったのです。

そもそもイエズス会の宣教師達が、神の崇高なミッションと信じていても、事実上は侵略国の手先として働いていたのです。 つまり秀吉の朝鮮出兵にしてもバテレン追放令にしても、実際には西欧列強のアジア侵略を阻止するという意図があったのです。

実際に秀吉は九州征伐の折、多数の日本人が奴隷としてポルトガル商人達に人身売買されている所を目撃し、イエズス会宣教師達を問い詰め、ついにバテレン追放令を断行したのでした。

その後も徳川幕府が秀吉の対外政策を踏襲し、遂に鎖国政策を行ったお陰で、日本は約二百六十年間の太平を享受出来たのです。 しかしその間に世界はどうなっていったのか。世界中でタイと日本以外、全てのアジアの国々が西欧諸国の植民地になるか、半植民地状態でした。 これが百五十年程前の現実だったのです。

快活で積極的な戦勝国の常識

先ほど述べたように、トランプさんは教育上、先祖の歴史に泥を塗る様な、歴史の陰の部分だけを教える事はしないと宣言しました。 多くの白人系アメリカ人にとっては、西部開拓時代のフロンティアスピリッツが彼らの精神的支柱であり、旺盛な冒険心や起業精神の元であり、果ては宇宙開発を後押しするような国柄と言っても過言ではありません。

しかし東部十三州の狭いイギリス領植民地から独立後、ネイティブアメリカ人達の住む広大な領域へと繰り返し侵略を続けて土地を奪い、そのために圧倒的な軍事力を行使し、時には信義に悖るような事もやってきた、という建国の歴史でもあるのです。

どの国や民族の歴史にも、例外なく良い面もあれば悪い面もあるのです。それは同じ一つの出来事が、立場が違えば全く逆の意味を持つという事なのです。 アメリカは第二次世界大戦の戦勝国ですから、全般的には過去の戦争を恥じる事もなく、一貫して自国の正義を肯定する立場でいます。

日本としてはその正義に全く問題が無かったとは認められませんが、そこが戦勝国と敗戦国の大きな差と言えます。 そして南北戦争以来、国に命を捧げて亡くなられた戦没者を慰霊するために造られたアーリントン墓地に、政治家が慰霊のために足を運ぶ事で、他国への遠慮は一切無用です。 それが普通の国の常識であり、いつまでも過去に囚われ続ける事を強いられている日本とは大きな隔たりがあります。

アメリカでは公的な初・中等教育において国民共通の知識を教えるのに、星条旗や愛国心や国歌を掲げようと、一切ためらう必要がありません。 その上で、自由や法の支配の精神などのアメリカ的な価値観を、肯定的に前向きに世界に広め、世界中を平和にしようと積極果敢に挑んでいるのです。

世界を変えた日本の功績

戦前戦中に日本が行った事にも良い面があれば悪い面もあったでしょう。しかしアメリカをはじめ、他の参戦国と比較して、日本はそんなに悪い国だったのでしょうか。 もっと極端な事を言えば、八十年前のあの戦争がなかったら、世界は未だに人種隔離政策です。これは間違いありません。

帝国主義の二十世紀初頭、有色人種の国として日本がはじめて立ち上がり、ロシアの南下政策を阻止しました。その日露戦争の結果、植民地支配されていたアジア地域のリーダー達は歓喜の声を挙げて日本の勝利を祝福しました。そして彼らに抵抗や独立への勇気をもたらしたのです。

その後三十六年の紆余曲折を経て、日本は再度、アメリカはじめ列強国と戦う事になりました。 戦後、数多くの評価の中で、日本の開戦前と同じような情況に陥れば、たとえモナコ公国やルクセンブルクのような小国であっても、武器を取って立ち上がるだろうという意見もあります。

当時の世界では、講和の話し合いの前に、日本が決して受け入れられない有色人種の国への偏見と差別があったのです。

敗戦が及ぼした深い心的外傷

先ほど言ったように、今の現実のアメリカでは国を愛する事は当然とされています。また国のために命を捧げて戦い、亡くなられた兵士には、社会全体でその名誉を尊重し、遺族の尊厳を大切に守ります。 これは戦前戦中までは、日本でも当たり前の事で、戦死者を蔑む事の方が人として恥ずべき悪い言動でした。 ところが戦後、本来当たり前の常識が、教育やマスコミなどによる洗脳で百八十度捻じ曲がり、完全に失われてしまったのです。

同様に、本来人にとっての精神的支柱となるべき自分の国や故郷への誇りや愛着、そこに暮らしてきた両親や祖父母、ご先祖様達への愛情や尊敬の念を一旦否定されてしまったのです。 そして学校教育の中で、或いは映像や報道において、あなた達の先祖は悪い事をしたと教えられ、伝えられて来たのです。

人として最も原初的な心情であり、最も素朴な宗教や信仰心の発露であるはずの、身近な人の死への悼みや哀しみの気持ち、人の死の厳粛な尊厳を尊重する感情が「戦死は無駄死に」などと言って蔑まれ、禁じられてしまったのです。

これでは人に勇気や覇気を与えたり、前向きな心を起こさせる事は到底叶いません。 十年前に故安倍総理が、このような事は終わらせると談話で発表しましたが、その安倍さんが凶弾に斃れ、じわじわと戦後長年の土下座外交が再び政治の場面に滲み出てきているのが、残念ながら現状のようです。

「火の国平和記念館」構想の出会い

さて、そういう中で、私と同年代の方がお一人、電話連絡の上、訪ねて来られました。 その方は、今年は戦後八十年という記念すべき節目の年に当たるので「火の国平和記念館」(仮称)という企画を実現させたいという願いを持って、携えた資料を披露されました。

先の戦争に於ける熊本県民の戦死者数は約六万四千人だそうです。 そういう人達も含め、明治時代の神風連の乱や西南の役までも含めて、戦争で亡くなられた熊本県民の慰霊と追悼のためにも、写真や遺品などを一ヶ所に集めて常設展示する記念館を造りたいと。 ついては建設費を捻出するための募金活動をするので、ぜひあなたにも発起人に名を連ねて頂きたいというお話でした。 それを聞いて私は即座に快諾しました。

その後も色々話をする中で、その方の年令が私と非常に近く、学年が一つしか違わない事が分かりました。 さらに父親の軍歴を尋ねてみると、鹿屋で訓練をしていましたと、私の父、真如大僧正様と同じ海軍飛行予備学生の十五期生である事が分かりました。当時、同じ頃に学徒出陣として大学を繰り上げ卒業し、軍に入った人が沢山おられたのです。

一五会同期生の不思議な巡り遇わせ

この十五期生の間で戦後、一五会という会が設立されました。十五期生地方会と言って、父を含め毎年同窓会を続けておられたのです。 その会の存在を父が知った特別な経緯があります。

それは奥之院の仁王門に祀る大仁王尊像を彫って頂いた松久朋林という佛師さんとの交流の中での事でした。そのお付きの秘書の方に岡本太郎という人がおられて、有名な芸術家と同姓同名でしたから岡本章(アキラ)と名乗っておられました。

このお二人に、父と私の四人で境内を散策していた時の事でした。父は松久師と話をして、やがて岡本氏にも話を向けられました。 すると父と同じ海軍飛行予備学生の十五期生で、終戦時には茨城県の土浦におられた事が分かり、父はすっかり喜んで松久先生そっちのけで熱心に話し込んでおられたのをはっきりと憶えています。

それをきっかけに、その翌年か翌々年には奥之院で一五会の例会を催行しました。かつての軍帽をかぶって皆で行進される姿を見て、明日は死ぬかもしれないという特攻隊に志願された方達の若い頃に思いを馳せた事が思い出されます。

家庭の中で歴史を伝えて行こう

「火の国平和記念館」の構想を伺う中で、私の父と全く同じ時期に青春時代を送り、国や家族や故郷のために命を捧げられた父親を持つ、この発起人の方のお話を聴いて、父の同期会の昔話に思い致ったわけです。

全国的には靖国神社がありますが、熊本県内にもこのような施設が建立され、戦争で亡くなられた人々の死を真摯に厳粛に受け止め、その尊厳を尊重し、そして喧しい政治的主張の道具となる事なく静かにお参りして学び、供養する場となりますよう切に念願しております。

後々きちっとまとめて、『大日之光』で皆さんに募金を呼びかけたいと思っております。 それは蓮華院からも出しますけれども、「蓮華院誕生寺信者一同」としても一緒に出して行きたいと願っております。

トランプ大統領の話からこのような話になりましたが、私達が自分の国や故郷の輝かしい歴史を知るという事がいかに大事な事か。 そこには負の歴史もあるでしょうが、欠点だけではなくバランスよく、その地域の素晴らしい歴史や伝統文化を、ぜひ各家庭で伝えていって頂きたいと切に念じております。合掌




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