2025年02月25日大日の光第2426号
小欲を大欲へと転化して一日一日、人生を充実させよう
皆さん、ようこそお参りでした。 こちら玉名では、寒波のピークを少し越えた所です。まだまだ寒い日が続きます。皆さんどうか風邪などひかないよう元気にお過ごし下さい。
嬉しい限りの『大日乃光』感想文
さて、数日前に、もう三十年以上お付き合いのある東京の友人から電話がありました。 その方は、私の体調が悪い時に東京から四回もお見舞いに来られた、非常に有難い友人です。若い時に自分で会社を立ち上げられて、今は会長として御子息のサポートに徹しておられます。
その人から『大日乃光』について、 「いや、今度の『大日乃光』は良かった。本当に背筋がしゃんと伸びるような話で、いつもいつも有難う。楽しみにしているよ」 という風に感想を言われたのです。 そういう事を直接伝えてくれる人はなかなかいませんので、嬉しく思いました。
これまでも、寺務所宛に頂戴したお礼のお手紙や、大祭などの感想文は、本誌に掲載し、皆さん方のお気持ちを有難く拝読して来ました。 そんな中、つい最近も左枠に掲げたお手紙を寺務所に頂きました。 私の言葉や度々の法話に対して、このように率直に意見を書いて下さって、非常に有難く、嬉しい限りでした。人は誰しも褒められると嬉しくなるものです。
唯一「大欲」を唱えた真言宗
さて今日は、欲をいかに良く活かすかというお話を致します。欲の善用といった話です。
普通は「欲」と聞けば、あまり良くない印象が頭に浮かぶと思います。 「欲ばり過ぎるな」とか「欲に溺れるな」といった言い回しのように、何だかとても悪い事のように皆さん思われると思います。
しかし世界の数多の宗教の中で、また日本の佛教の中でも、例外的に「欲」の意味合いを大転換して肯定しているのが真言宗なのです。 「ええっ!?」と驚かれるかもしれませんが、実際ほとんどの宗教指導者は、各宗教の始祖や宗派の宗祖が遺された「無欲こそ人生最大の目標である」とか、「無欲が最も安らかな生活への近道である」等といった言葉を引用し、伝えてきました。
ところが真言宗では大きな欲と書く「大欲」を、全面的に肯定しています。 小さな欲の一つ一つは、確かにマイナスになります。しかし大きな欲はプラスになると説いてきたのです。
マズローの「欲求五段階説」
若い頃の研修で、アメリカの心理学者アブラハム・マズロー博士が唱えた「欲求五段階説」を学んだ事がありました。
よくピラミッド状の階層で図示されますが、マズローは「人間は自己実現に向けて絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を五段階の階層で理論化したもので、「自己実現理論」とも呼ばれています。
その三角形の底辺に置かれる最も原初的な欲を「生理的欲求」と言って、生命維持のための本能的な欲求の事です。例えば食欲は、動物であれば全てが持っています。他にも睡眠欲や性欲など、生き物として必然的な最低限の欲求の事です。
その次の下から二段目が「安全・安心の欲求」です。危険を察知したら本能的に避けたり逃げたりします。これも動物なら当たり前の欲求です。 また人間社会に於ける経済的な安定や、良好な生活水準、健康状態の維持、事故の防止や将来に対する不安感の解消などへの欲求もここに含みます。
三段目に来るのが「社会的欲求」です。 例えば会社に所属する事で安心する。町内会の仲間と一緒に過ごす。仲間や組織などに所属したり、自分の周りを取り巻く人達に同調する形で満たされる欲求です。 周囲から必要とされたり、役割が与えられる事で満足したり、他者に受け入れられ、所属する事で得られる安定への欲求と言えます。
四段目は「承認(尊重)の欲求」です。 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重される事を求める欲求です。 今回の冒頭で、私は二人の方に『大日乃光』の内容を褒められ認められました。それによって承認欲求が満たされました。
この欲求には二つのレベルがあり、低レベルの欲求は他者からの尊敬を渇望し、社会的名声や地位などで満たされます。 レベルの高い欲求になると、技術や能力の習得による自信や自立心や自己肯定感で、他者に依らない自分自身の満足によって満たされます。
そして最後の五段目は「自己実現の欲求」です。 自分の能力や可能性を最大限に発揮したい、そしてそれを具現化して、自分が成り得るものになりたいという欲求です。 たとえ先の四段階の欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に最も適した事をしていない限り、やがて新しい不満が生じて落ち着かなくなって行きます。
人生は思い通りには行きませんが、もしこの欲求を満たす事が出来れば、その人は「自己実現者」であるという事です。 またこの最終段階は、佛教で言う「悟りを開く」といった側面も含んでいます。
今、この本堂でご縁日のお参りをして私の話を聴かれている皆さん達は、不安も心配事も御本尊様にお預けして、完全に安心して満ち足りたお気持ちで「今日もお参り有難かったなぁ…」と独り言を呟かれたとしたら、その時の精神状態は自己実現の欲求が満たされている状態と言う事が出来るのではないかと思います。
欲は必ずしもマイナス要因ではない
さて、以上でマズローの欲求五段階説を簡単に紹介しましたが、果たしてその五段階の欲求の中に、本質的に悪い欲と言えるものがあったでしょうか? 生理的欲求と安全の欲求は、自然界では善悪以前の話になるでしょう。
ところが人間なら誰でも分かる事ですが、生理的欲求の一つである食欲を満たそうと、例えば三人いる所で一個のパンを独り占めするのは良い行いではありません。 このように人間社会の中では、他者との関係性が善悪の基準となって行きます。
さらに社会的欲求や承認欲求では、例えばPTAの会長に選ばれて、大変だけど有難い、認めてもらって名誉な事だと思うのは、悪い事やマイナス要因と言えるでしょうか。 もちろん、地位や名声に驕り昂って他人を見下したり、思い上がるのは良くありませんが、嬉しさを糧にして、人がもっと喜ぶようにと、さらに人に認められたいと願う事は決して悪い事ではないと思います。
また社会のために役立つような事をしようという段階になると、これは自己実現の欲求の段階に入っていくわけです。 マズローの説では、上から三段目以上は、それなりに何らかの努力をしなければ満たす事が出来ません。
例えば人から認められたいという承認欲求も、一般的な無欲である事を尊ぶ教えの中ではマイナス要因として、否定されるかもしれません。 しかしその人が承認欲求を満たされる事によって、さらに精進するとしたら?他者が喜ぶような事を、他者に褒められる事によって、さらに頑張って行くようであれば、最初のきっかけが何であれ、それは結果的により良き欲求と言えるのです。
このように、欲と言っても必ずしも悪い事ばかりではなくて、五つの段階があって、それぞれに当然の道理があり、当然の意味合いがあり、そして価値があるという事です。
ですから「欲をかくな」と言っても、確かに「小さい欲」ではよろしくありません。 自分のためだけだったり、身内のためだけ。 そういう小さい欲はプラスにはならない。
それをぐるっと方向転換して、出会う人に対して笑顔で接する。励ましの言葉をかける。そういう事を繰り返してずっと続けて行けば、やがてその人の人格や個性になって行きます。 そういう時に、この人はいつも明るい人だとか、いつも人の事を考えて下さって有難いという風に、人から認めてもらえる。承認欲求が満たされる事で、良い影響が連鎖的に周囲に広がるのです。
死をも乗り越えた境地
ところで先のお手紙の中に、最近、貫主大僧正様の言葉が心に沁みるようになった、遅ればせながら意味が分かるようになった、それは信者には気づかれない更なる変化が最近貫主大僧正様にあったからではないか、と書いてありました。
これは何の事を書かれているのか、私なりに考えてみました。 端的に言って、それは六年前に大病を患い、死の淵から奇跡的に生還した体験が、私にもたらした変化だと思います。 前号の最後の節「乗り越えられない試練はない」の中に、「腹を据える、腹を括る事が肝心です」とお伝えしました。 今の私は、自分の過去の人生や、未来に必ず訪れる死に対して腹を据えています。
もちろん蓮華院の住職として、信者の皆さん達の必死の願いを御本尊、皇円大菩薩様にお繋ぎする使命がある以上、いつ死んでも良いなどと軽々しく言うわけにはまいりません。 しかし個人的な感覚としては、先代真如大僧正様が亡くなられたのと同じ年令で大病を患った時に、蓮華院中興における自分の役割は充分に果たしたという心境でもあったのです。
それは中興第三世として、直ちに真如大僧正様の遺志を受け継いだ五重塔建立に始まり、南大門、多宝塔と、普通ならどんな高僧であっても一代の内にはなかなか成し得ないような伽藍建立事業でありました。
それもこれも、信者の皆さん方の篤く篤く尊い信仰が基となり、地域の有縁の人々からの有形無形の支援、弟の宗務長をはじめ教師・凖教師さん達、寺内の全職員や家族達に支えられたお陰であります。本当に有難い事です。
過去の行が今の充実を支えている
ちょうど昨日の事ですが、大病から欠かさずお唱えしてきた御宝号が、四千七百万遍に達しました。 今にして思えば、こういった習慣は、思いがけない先代の御遷化によって蓮華院の住職を拝命した時に心に決めて始めた二つの行、「求聞持法」と「八千枚護摩行」を年々修して来た事の賜物と言う事が出来ます。
当初は、四十歳という若さでお寺の大任に就いた責任への不安や、重圧に立ち向かう為でもありました。 そういう行を通じての鍛錬と言うか習慣という下地があったからこそ、病院で闘病生活を送りながらも、寺内にいる時と全く同様に、多くの信者さん達が日々苦難の中におられるその苦しみに寄り添い、苦悩に向き合いながら心を込めて真剣に、毎朝の祈願祈祷を拝み続けて来られたのです。
そしてそれから五年が経ち、六年目に入る中での御宝号四千七百万遍と。 かなり大雑把な事しか挙げていませんが、過去の出来事の全てが今に繋がり、支えてくれているという実感があります。
一日一日、精進を重ねて行こう
どうか皆さん方も、毎日悔いが残らないような充実した日々を送って下さい。 「あー、今日も一日燃え尽きたなぁ」 「今日も一日頑張ったなぁ」 「何人の人達に笑顔で挨拶できたなぁ」 「有難うと何回言ったなぁ」などと、日々眠る前に振り返ってみて下さい。
そして、「明日あの人に会えたら、もっと元気付けてあげよう」とか。 何事も小さな積み重ねが肝心です。 私自身は一日に二万遍ずつですけれども、御宝号を唱え続けて四千七百万遍を超えて、今年中には五千万遍を超えると思います。
皆さん方も一日に百遍でも千遍でも御宝号をお唱えして下さい。それを少しずつ積み重ねて行く事が、「大欲」へと繋がる小さな第一歩となると確信致しております。 寒い日々ですが、皆さんお元気にお過ごし下さい。合掌

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