第13集 佐賀県TK
私・娘・病・信仰
平成14年6月
私が蓮華院様に初めてお詣りさせて頂きましたのは、四十数年も前の事でございます。まだその頃は独身で、全然信仰心がなく、お寺に連れて来て下さったのは姉婿でした。何故かと申しますと、六人姉妹で最後まで家に残り、婚期の遅れを心配してお寺にお尋ねしたのでした。 そんな事とは露知らず、後で聞いて知ったわけですが、私に御先祖様のさわりがあり、そのため婚期が遅れているので、もうお願いしたから大丈夫と、お寺にお礼詣りに連れて行ったとの事でした。
姉の家は八代支部で、亡き吉永先生が毎月巡回され、私もお詣りし吉永先生は存じておりました。吉永先生の口利きで縁談がとんとん拍子に進み、鹿島支部の信者さんの長男の方とお寺でお見合いし、あっという間に結婚の運びとなり、熊本より鹿島に嫁いだ次第でございます。
ここで全くさわりから解放され、ご利益を頂き順調に玉の輿に乗った気分で、感謝の日々を過ごしました。
姑さんは、非常に熱心に鹿島支部に毎月お詣りされておりましたが、私はまだ信仰心もなく、そのうちすぐ長女を出産、この出産が私を信仰に導くきっかっけとなったのでございます。
夜中陣痛が始まり、明け方からかかりつけの病院へ参りました所、臍帯脱出(さいたいだっしゅつ)と言って、臍(へそ)の緒から先に出てお産が始まっているので、普通のお産は絶対無理で、すぐ帝王切開して子供を出さないと助からないと言われ、嬉野の国立病院に担ぎ込まれた次第です。
陣痛から何時間か経っており、子供は九分九厘助からないけど、親の命を助けるという選択で帝王切開。結果は奇跡的に、子供も助かったのです。二千二百グラムの未熟児で保育器に入り、お乳もあまり飲めず、すぐ吐いたり突然発作が起きて痙攣(けいれん)し、何度病院にかつぎ込んだ事かわかりません。
あまり言葉も出ず、二才になっても歩けず、ようやく歩ける様になって九大に診察してもらった結果、異状出産による脳の酸素不足で、知的障害の恐れがあると診断されました。
その時、初めて私の中に蓮華院様にお尋ねしようという気持ちが湧き上がって来たのです。早速、先々代の是信大僧正様にお尋ねしました所、長女は遠山家と松田家との両方の因縁を背負って生まれて来た子供だとお告げになりました。そして、段々大きくなるに従って良くなって行くとおっしゃいました。
私は、その時初めて今までの自分自身の生き方を反省しました。信仰心もなく、お経をあげたこともなかったので、吉永先生にお願いしてお詣りの心得を頂き、一生懸命お経を覚えました。
そして、朝夕佛壇に手を合わせ、私も鹿島支部へお詣りする様になったのでございます。小さい長女の手を引き、四十分位かかっても歩いてお詣りし、少しでも言葉が出る様にと、一心にお祈り致しました。
そして長女も少しずつ成長し、お陰様で言葉も単語を言える様になり、本当に皇円上人様・大僧正様の御霊力のお陰と感謝致しました。子供の悩みに気を取られ、この頃家運は相当傾いている等、知る由もありませんでした。
姑は、次女の出産と同時に心労のあまり、あっという間に他界、商売はマーケット等の出来始めで、雑貨店の売り上げは減少、農家相手の売り上げもうまくいかず、借金は増すばかりで、色々と商売替えをしても失敗ばかりで、もう破産寸前でした。
私も働きに出ようと、長女と知的障害児の施設に身を切られる思いで入所させました。そして、とうとう主人は他の土地に行って会社勤めをして借金を返すと言い出し、この事でまだ姑が生きている時から何度話し合ったかわからないのですが、結局私も吉永先生に御相談しました。そして、遂に離婚を決意して、五才の次女を連れ、多久市の障害者の施設に住み込みで働くことになりました。佐賀市の施設にいる長女を見守りたい気持ちが一杯で、熊本の実家には帰らなかったのです。
鹿島を離れる時、鹿島支部の池田智穂様は、「必ずあなたは、また鹿島に連れ戻すと姑さんが言っておられるよ」と言われたことが耳に残りました。
そして、施設での務めが始まり、必ず宿直をしなければならず、五才の次女を他人の家に預かってもらい、一週間に一度の宿直を本当に血の滲む思いで頑張りました。まさに、どん底の生活から世の中の荒波に放り出されたのです。
しかし、私は皇円大菩薩様を信じ、一生懸命信仰致しました。時代は高度成長の波に乗って、福祉関係も非常に優遇される時代となり、それに伴って資格の必要性も要求され、その資格を取るために昼間の務めと夜の勉強で資格を修得した矢先、思いも寄らぬ病気が発生したのです。
五十六才の時でした。ある日突然、少量の出血があり、閉経していたのが又始まったのかと軽い気持ちで婦人科に受診しますと、精密検査の結果、子宮癌の初期ということでした。その時は、決してその様には言われず、ただ「腫瘍が出来ているので、このままにして先で癌になったらいけないので、この際子宮を取ってしまいましょう」と、いとも簡易におっしゃるのです。
仕方なく入院手続きをし、もうびっくりしてしまって、早速蓮華院様にお尋ねをしました所先代の真如大僧正様の御霊示は「他人のさわり」とのことでした。すぐお願い致しました。入院まで三ヶ月位かかり、その間大出血等して、病状はどうも進行しているのではと、気を揉みながら手術の日となりました。
最初、非常に簡単に考えられていて、下半身麻酔で手術が始まったのですが、蓋を開けてびっくりだったのでしょう。全身麻酔に切り替えられ、朝八時に手術室に入って、六時間という大手術となり、子宮から卵巣・リンパ腺まで切除され、意識が戻った時は夜の八時でした。
体中に管が差し込まれ、身動きも出来ません。あゝ助かったのだと、その時初めて実感しました。そして翌朝は、お粥をペロリとたいらげ、「あゝ美味しかった」と言ったのをお隣の患者さんが聞いて、「あなたはお元気ね。私はまだ何も食べたくないのに」とおっしゃるのです。
もう四日目には、起きて荷物を持ち、個室に歩いて行っても傷跡が全く痛まないのです。その間蓮華院様には、ずっと御祈祷をお願いしておりましたので、今更ながらその御霊力の大きさに涙が出る程嬉しく、感謝の念で一杯でございました。
あれから十五年以上経ちますが、今だかつて再発したことはありません。不思議な事に、長女を出産した時帝王切開し、手術後傷が痛くて歩けなかったことを覚えています。御祈祷して頂いての手術と、そうでない手術とではこんなに違うものかと、本当に身を以て体験致しました。おまけに、帝王切開の後ケロイド状態の傷跡が残っておりましたが、その上を又切って今度は綺麗に修復され、傷跡もほとんどわかりません。本当にこれこそ二度のご利益です。
この大病の後、無事定年まで勤めることが出来、更に長女を預けている施設に六十五才まで勤務させて頂きました。そして、また不思議なことに池田智穂様が予言なさった通り、鹿島の離婚した主人の土地に退職金で家を建て、この建てる時もお尋ねしました所、非常によろしいと鹿島に帰って来まして十一年になります。
そして、鹿島支部へお詣りする様になり、次女の結婚、孫の誕生。何よりも長女の年三回の帰省には、皆家族揃って楽しい一刻を過ごさせて頂いております。
現在、支部の方々の熱心な信仰に刺激され、いつもたくさんのご利益を頂いたお話しを聞いて、特に池田正子様には毎月の様に色々気易くお尋ねの時等お願いし、本当にお世話をかけ感謝致しております。
信仰のきっかけが障害の子供を持った事から始まり、皇円上人様を信じ、歴代の大僧正様の御霊力のお陰でいつも守り支えられ、現在とても幸に夢と希望を持って暮らしております。御静聴有り難うございました。合掌