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御利益体験談

第8集 福岡県MY
驚くほどの霊験 全快した小児麻痺と川崎病 

平成元年6月

手にしたチラシ

皆様今晩は、私は北九州からまいりました。これまでの御利益をいただきながら今日に至りました。今夜は数々あるおかげのなかから、私に入信のきっかけを与えてくれた息子の病気全快とその長女のことをお話しさせて頂きます。

蓮華院様に御縁をいただきましたのは、随分昔になります。昭和三十四年頃ではなかったと思います。

当時二才だった息子が突然熱を出し、びっくりして病院へつれて行きましたところ、あの恐ろしい小児麻痺と診断されたのです。即刻入院しなさいといい渡され途方にくれていたその時、偶然にも御開山大僧正様とめぐり会うことが出来たのです。

それは直方の商工会議所にご巡錫(じゅんしゃく)の折のことでした。「難病救われる」との新聞チラシ一枚を手に会場へ向いました。お尋ねが自分の番にまわってまいりました、おひげをはやしたやさしいお顔のお坊様の前で、私は緊張しました。

息子の病気のことを申し上げお尋ね致しましたところ、「息子さんは、成仏していないで苦しんでおられる御先祖様がすがっておられます。これが病気を起こしている原因です。二十五日間の供養が必要です。」との御霊示を頂戴しました。

そんなことがあるのかしらと心の中でつぶやき、また「この供養をして息子が全快するのかしら?」と自問自答したものでした。しかし息子の小児麻痺がよくなるのならと思い直し、御開山大僧正様のお言葉を信じお願いしてまいりました。


あの川崎病

ところがどうでしょうか、今迄動かなかった左足が少しづつ動き始めたのではありませんか。病院の先生も「何で?」「こんな不思議な事が!」と驚かれていました。そしてあの小児麻痺の大病からたった二週間で帰ることが出来たのでした。

後は通院だけで済みまして、わずか半年で立派に歩くことが出来たのです。今ではまったく普通と変わらないようになりました。「おかげなのだ」「御祈祷のおかげなのだ」と思わず涙があふれんばかりに叫びたくなる程でした。

皇円大菩薩様・御開山大僧正様に御縁がなかったならば、今の様な幸せはなかったと思います。嬉しくて嬉しくて私は皇円大菩薩様のお陰に心からお礼申し上げました。その息子も今は三十八才、元気に大阪の方で働いております。


回復の早さに驚き

また、最近のことでは、平成五年九月のことです。先程の長男の長女、つまり私の孫に当たりますが、息子が大病した年頃と余り変わらぬ二才半の時に高熱を出しました。医師の診断では川崎病という難病であることが大阪の息子から電話がございました。電話の向こうで心配している様子が手に取るようにわかるのです。

早速蓮華院様にお尋ね致しましたところ、「御先祖様がすがっておられます。二座の供養と引き続いて全快護摩祈祷が必要です」との貫主様の御霊示でした。私はすぐにご祈祷をお願い致しました。

その間、幾度となく熱が出た時にはお電話でお願いさせて頂きました。貫主様には大変お世話様になりましたが、お陰様で孫も息子と同じようにお医者様も「不思議だ」と首をかしげられる程に快復して行きました。

後遺症を心配しましたが日増しに元気を取り戻し、二ヶ月位で退院することが出来ました。この上ない喜びでございました。何回も検査にもまいりましたが、異常は見られないとの医師のお言葉に、皇円大菩薩様のお力は限りなく無限で有ることをつくづく実感いたしました。

毎年五月の大祭には、家族で御礼参りのために大阪から帰って来ます。そして来年はお稚児さんに出たいと張り切っておりました。


語り尽くせぬお加護

付け加えてもう一つ、これは娘の方の長女のことです。その子も今は中学生になっております。その子が一才半のときのことでした。バイクにひかれて下敷きになりました。

泣き叫ぶ様子に驚いて病院に走りました。大ケガをしたと思っていましたが、医師の診断は異常なしとのこと。少々足のすじを痛めてるから、一週間位歩かせない位ですみ、娘と手を合わせました。

何時も蓮華院様の御守さんを付けているお蔭だと、唯々有難いの一語につきます。入信以来短い時間では語り尽くせない程の数限りない御利益とお蔭を頂きながら、今日迄まいりました。

こうして多勢の信者さん方と一緒にお参りしておりますと、信仰の有難さが身にしみ、これからもみ仏様のみ心に叶うよう精進してまいりたいと思います。今夜は発表の機会を与えて頂きまして、本当に有難うございました。合掌