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御利益体験談

第33集 御利益に導かれ家族で歩む蓮華院信仰の道
生まれる時から守られた! 

開山大僧正様の御霊示に導かれた公務員への進路
 
私は熊本市からのお参りです。現在、熊本市内で税理士事務所を開業しています。

私はこの土地「築地」で生まれ、高校卒業まで住んでいました。私が今の仕事に巡り合えたのも、実は「皇円大菩薩様」の御教えがあったからと、社会人になる時に知らされました。


私の実家は築地で農業を営んでいました。祖父はこの地でビニールハウスによる野菜の促成栽培や、菊等の生花の栽培を始めました。当時、温室栽培による農業経営は、地域でも少なかったようでした。当時「築地農園」と呼ばれていました。その後、父が後継者となりました。

将来的には私が父の後を継ぐものと思っていましたので、農学部園芸学科のある大学への入学を目指して、受験勉強をしていました。

昭和四十一年の夏頃に、祖父から、「安徳、税務署職員の採用試験を受けてみないか…」と、突然言われました。
その時は特に深く考えずに、人生何事にも経験が必要だと思い、「試験を受ける位なら良いのでは」と、軽い気持で願書を取り寄せました。

一次試験に合格し、二次試験の面接と作文に臨みました。結果、合格の通知がありました。すると祖父が、「安徳は、公務員になった方がよいのでは…」と言いました。私は、祖父が始めた園芸農業を引き継ぐものと思っていましたから、突然の祖父の言葉にびっくりしました。。

実はこの受験に際して、祖父は事前に「開山大僧正様」にご相談していたようです。このことは、合格した後で知らされました。その時、祖父は私の性格を知った上で、「安徳は、園芸農業をやるには向いていない」と祖父なりに考えていて「開山大僧正様」に相談していたようです。

私も家業のことを心配しました。当時、税務署の職員がどのような仕事をするのかは知りませんでした。しかし当時は、祖父の考えには間違いはないと思い、祖父の言葉通り公務員の世界に進みました。
 
出生前より結ばれた御縁
 

実は私の「皇円大菩薩様」との御縁は、今のお話より以前にありました。私が母親の胎内にいた時からの御縁であります。

母は出産前に、開山大僧正様から、「臍の緒が首に三重に巻いているから気をつけるように」と言われたそうです。実際その通り、仮死状態で生まれてきたそうです。

しかし事前に解っていて、助産師さんにも伝えていたために、無事に生まれたそうです。昭和二十三年八月でした。開山大僧正様に教えて頂かなければ、私はこの世に居なかったかも知れません。勿論、この場にも居ないことになります。
 
母に手を引かれお参りした幼少の記憶
 
私は幼少の頃から(多分物心が付いた五歳~六歳の頃だった思いますが)、夜、母に連れられて、度々本院にお参りをしていたと記憶しています。

その当時は大願堂にお参りしていました。大願堂の建物の外観は、現在の本堂とは一見して異なっており、全体的にどっしりと重量感があり、そして荘厳でありました。建物の内部は百畳敷きと言われていたことを記憶しています。

その当時、子供心の感想ではありますが、畳に正座して壇上を見上げると、最上壇の付近が何か不思議で神秘的であり、そして近寄り難い雰囲気が漂っていたと記憶しています。

何度もお参りする内に、母が『般若心経』を唱えている間、母の傍らで木魚を叩きながら『般若心経』の所々を口ずさんでいたことを記憶しています。 その頃から「南無皇円大菩薩」の御法号が自然と体に染み込んでおり、私の人生と共に歩んできたと思っています。

私にとって「南無皇円大菩薩」をお唱えすることは、日常の生活上においては、至極自然に発している言葉であり、又精神的な「お守り」そのものなのです。何か事あるごとに、知らず知らずの内に「南無皇円大菩薩」を数回唱えている自分があります。
御法号を唱えることによって、不思議に心が落ち着いてきます。
 
皇円大菩薩様を信じ、切り開かれた生涯の使命
 
さて、仕事に関して体験した事です。税理士事務所を開業して八ケ月余りの頃です。仕事がほとんどなく、これから先の展望が全く見えてこなかった時であり、また収入面においても、これから先の生活に対して不安を抱えていた時でした。

そんな矢先に、妻が昔勤務していた会社の社長から、突然電話がありました。
「今までお世話になっていた税理士さんが亡くなり、困っているので、後を引き受けて頂けませんか」とのことでした。

しかし迷いました。何故ならば、この顧問先の仕事は法人税に関する業務でありました。公務員として四十二年間税務署に勤務してきましたが、法人税の実務は全く経験していませんでした。

私は仏壇の前に座って、「今、私は税理士の一員として、この世界に身を置いているが、その事には何か意義があるはずだ。いつかは税理士としてなすべき事があるはずだ。それが今なのかどうか。しかし反面、本当に責任ある仕事ができるのだろうか不安でもある」等と、朝のお参りの中で何回も自問自答しました。過去から現在に至るまでの、自分が歩んできた道をよくよく振り返って考えました。

大きな責任が伴う仕事です。しかし時は待ってくれません。その時、妻は「無理しなくても良いよ」と言ってくれました。その言葉で少し、ホッとしました。結果的には何かに後押しされたような感覚で、顧問の仕事を受ける決断に至っていました。

それは、「皇円大菩薩様」が私をこの世界に導いて下さったからだと思いました。
困難に遭遇した時には自分を信じ、そして「皇円大菩薩様」を信じれば、道は切り開けるものだと思う事にしました。

不安を抱えたままでの顧問としての初仕事でありましたが、その後は順風満帆とまではいきませんが、その顧問先とはより良い信頼関係を構築し、三年目を迎えることができました。

また新たな顧問先も進んで開拓することもなく増やすことが出来ました。昨今の厳しい経済環境の下に於いて、税理士の世界でも顧問先がなく苦労されている方がおられます。しかし私はそれなりに、順調に仕事を頂いていると思っています。これも「皇円大菩薩様」の御利益を頂いているからだと思っています。

皇円大菩薩様に見守られ、人生を全うした義母と祖父
 
話は変わりますが、平成五年六月に家内の母が交通事故に遭い、意識不明の大怪我を受けました。救急車で病院に搬送され、最初は医師の話では、「脳挫傷で助かる見込みはない。手術もできない」とのことでした。

すぐさま蓮華院様に御祈祷をお願いしました。その後、医師から連絡があり、「手術をしてみましょう。但し、助かっても植物状態を覚悟してください」との言葉でした。妻の父は、医師の判断の変わりように驚いていました。

手術は成功しました。その後、奇跡的に会話もできるようになり、また、補助があれば歩ける状態にまで回復しました。

家内の母は平成十九年の一月に亡くなるまで、約十三年半、入退院を繰り返しながらも、夫の献身的な介護の元、生活することができました。これも、ひとえに「皇円大菩薩様」の御利益を頂いたからだと思っております。

「皇円大菩薩様」からは、人生の苦難に接した時、また、命の危険と隣り合わせの状態に遭遇した時等において、其の度に幾度となく、数えきれない程お加護をいただきました。

祖父が「皇円大菩薩様」を信仰する思いは計り知ることができません。祖父は家業においても何事においても、「是信大僧正様」からの御教えを頂き、実践し、常に感謝の気持ちを忘れず、自分の人生を全うした人だったと聞かされています。
この事も、「皇円大菩薩様」のお陰によりお助け頂いたと思っています。
 
大惨事を退けた念珠の御加護
 
それからこれは最近の出来事です。五月四日、孫を小倉まで送った帰りの高速道路上でのことでした。

時速九〇キロ位で走行中、前の車がウインカーを出してインター出口方面へ車線変更したと思った直後、急に走行車線に戻ってきました。私の車との距離は二十メートルもなく、私は慌てて警笛を鳴らし続け、警告しましたが、そのまま私の前に入り込んで来ました。

私は後方を見る余裕もなく、進入しようとした車との衝突を避けるため、とっさに、追い越し車線にハンドルを切り難を逃れました。その時、追い越し車線を後方から来る車両がなかったため、大事に至らないで済みました。

その間は本当に数秒間でしたが、瞬間的に無我夢中で取った行動であり、危険を回避した直後に恐怖を覚えました。心臓の動悸が正常に戻るまで、やや時間を要しました。進入してきた車は普通車のセダンであり、四十代の女性がドライバーでした。

私はその時、右手には腕念珠を掛けていました。またセカンドバックには、常に数珠を入れていました。車には交通安全のお守りを提げていました。思わず「南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩」とお唱えし、「皇円大菩薩様、お助け頂いて有難うございました」と感謝していました。

今お話しさせて頂いた事以外にも、数知れない程御利益を頂いています。

現在では私の子供たちも、事あるごとに蓮華院様に御尋ねをしてくださいと連絡をしてきます。本当に親子共々、幾度となくお助けいただいております。

今後とも蓮華院様には,子孫の代まで、お世話になると思います。ますます精進して行きたいと思います。合掌