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ご利益体験談第44集 (60代女性)
「夫への看病を経て現れた〝気付き〟は二十年来の信仰のご利益」 

大きな安心と安らぎに包まれた二十年前のご縁結び

蓮華院様にご縁を頂いたきっかけは、妹からの紹介でした。

「私の先輩で開業なさっている方が、大切な決断をしなければならない時や不安に思う時などに相談して安心を頂いている、とおっしゃってるの。大きな力をお持ちのお寺のようよ」との言葉を聞いた時、「成る程!!」と何故か大変納得しました。

それは今から二十年前のことです。その頃私は自宅で料理教室を開いていたのですが、ある日からいろいろと煩雑な事が続きました。車に追突されてそのまま逃げられたり、助手が生徒の方の車をぶつけてしまい、修理をして弁償した後で、事故車になったので保障を!と言われたり。他にも驚くほど次々に起きまして。どうしたらいいのかと不安と混乱を感じた時に、蓮華院様に相談してみよう…と思い立ち、初めて電話を掛けました。

そうしましたら、揉め事がさーっと掃き清められたかのように、治まったのです。不安やあせりでいっぱいの私の心は安心感で満たされ、平常心を取り戻す事ができました。そして何とも言えない爽やかな清々しい気持ちを頂きました。初めての体験でした。これが、蓮華院様に大きな信頼を抱くようになったきっかけです。

それからは不安や困ったことがあれば相談に電話をかけ…と頼りっぱなしの日々でした。いつも笑顔で優しく受け止めて頂き、守り続けて頂きました。

御宝号を夢中で唱えた八千枚護摩行

八年ほど前に、母との同居の為に実家を建て直した時、色々と大きな問題が起きました。経済的な事も含め大きな不安に襲われて、それまで人生で感じたことのない焦燥感の中にあった時、貫主様が蓮華院にお参りにいらっしゃい?と仰っていると伺い、そのお言葉に誘われるように主人と二人で機上の人になりました。それは十二月の八千枚護摩行結願の前日のことでした。

大切な明日に備えてのご準備でお忙しい最中、貫主様には丁寧に特別指導を頂きまして、心から申し訳なさと有り難さでいっぱいになりました。その穏やかな雰囲気と的確なお言葉に、強張っていた心がふっと緩んでくるのを感じました。

次の日、燃え盛る炎に向かって一心に八千枚護摩行を修される貫主様を近くで拝見しながら、「南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩…」と夢中で唱え続けました。気が付くと不思議なことに、頭で考えると決して消えるはずのない不安が少しずつ消えて行き、代わりにいつの間にか安心の芽が生まれて来ているように感じました。

現実には何も変わらず、大きな問題はそのままなのに、なぜ安心を感じられるのか不思議でした。しかしその後、少しずつ少しずつ実際に治まっていったのです。不思議でした。 こうしてお救い頂き、大きなお慈悲を賜ったことに心より感謝を申し上げ、また信頼を深く致しました。そして同時に自分の至らなさと傲慢さと身勝手さに思い至りました。

夫に対する深い内観となった四ヶ月間の闘病生活

そして去年、夫を亡くしました。メラノーマという悪性の癌を患い、病気が発覚してから四ヶ月の闘病生活でした。現代医学では積極的な治療法が何もないという状況に、悪い夢を見ているような気持ちで現実を受け止め切れず、右往左往しました。

告知を受けた帰り道、車の運転をしようとする私に、「俺がやる…」と言ってハンドルを握って運転を始めた夫に、「こんな時に良くできるわねぇ…。私だったらできないわ…」と話すと黙っていましたが、〈きっと足が悪い私をいつものように気遣ってくれたんだ…〉と感じました。

その後、家族四人で様々に検討した結果、遠く四国の東洋医学を取り入れた病院にお世話になることを決めました。自宅と四国、行ったり来たりの日々が始まりました。

その間、不安や心細さ、恐怖、希望、など様々な気持ちが渦巻く度に、毎日のように寺務所に電話をかけました。その温かさと優しさと信頼は、何とお礼を申し上げようもないほど有り難く素晴らしいもので、私はそこで命のご飯を頂いたのだと、今思います。

夫と私は多分、心の中ではお互いに相手を大切に思い合い、信じていたと思うのですが、病気発覚時の私たち夫婦は、夫のプライドや私の我が儘、その他もろもろの気持ちが邪魔をして、お互いになかなか素直になれず、難しい状態でした。夫のアルコール依存も強くなっていました。

四国ではいつも無口に本ばかり読んでいた夫ですが、午後のひと時に毎日ふたりで散歩をしました。狭い町で、状況が状況なので心が躍ると言うには程遠く、いつもの道を二人でトボトボ歩く、という風でした。

ある時、坂道の畑の中に終わりかけのコスモスが咲いているのをみつけて、二人同時に「あーコスモス!」と声が出た時の感激。それは結婚して間もなく、私が長年苦しんでいた股関節の痛みが消えた記念の旅行の時に、信州の山道の両側にどこまでも咲いていた、思い出の花でした。まるで遠い昔の日々が戻って来たように感じました。

夫は私が四国に行くたびに、何かのイベントを考えては実行してくれました。ジョン万次郎記念館までバスと散歩で行ってみる、とか、ご当地名物のぺら焼きの発祥の店をみつけてくれる、とか、同室の方の車で、三人で足摺岬まで結婚記念日のドライブも実現できました。その方とは今でも、奥様もご一緒に親しくお付き合いさせて頂いております。

刻々と夫の命が尽きる限界に向かう現実の中で、夫の優しさに心が温かく和み、幸せを感じておりました。

心の中にご利益の種を蒔く

そんな中、私の心の中にふと、気付きのようなものが現れるようになりました。今まで自分が被害者だと嘆いてきた事の原因は、実は私なのでは?とか、夫のあの不思議な行動は、実は私を考えての事なの?とか。また逆に、やっぱり私は間違ってなかった、とか。

それはポツリポツリと今も続き、自分を見つめる上で大変助けられています。困ったり落ち込んだりした時、周りの状況や自分の行動や言動を、心の中でゆっくりと思い出してみていると、あ!と気付くことも多く、助けられています。これも蓮華院様のご利益と思い、深く感謝しております。

夫はアルコールに依存したまま、突然絶命することだってあったかも知れない、とも気付きました。むしろその方が、その頃の私たち夫婦にとって自然だったのかもしれない。また亡くなる前日に苦しがっていた時、蓮華院様にお電話を掛けた後、すーっと穏やかに戻れたこと。

元旦には家族四人が新年のテーブルについてお祝いができ、亡くなるその日も兄夫婦が来てくれて。テレビに箱根駅伝が映っているいつもの我が家のリビングの雰囲気の中で、御霊水をたくさん飲んだ後、医者である娘に看取られて静かに旅立つことができたのは、蓮華院様に幸せな最期を頂いたと実感しました。

この度の夫の病気から最期までを、傍らで過ごして気付きましたのは、蓮華院様のご利益の大きさでした。願い事を叶えるお寺ということを、その言葉通りに受け止めて、頼りにさせて頂くばかりの二十年でした。その度にご利益を頂き、願いを叶えて頂きました。その上、私の心の中にご利益の種をたくさん蒔いてくださったかのように、ふと気付くことに感謝の言葉しかございません。合掌