この度、内観を体験させて頂きまして本当にありがとうございました。一週間前を振り返ってみますと、自分に内観ができるのかという思いがとても強く、不安でした。
一週間もの間、びょうぶの中にいるなんて気が狂いそう、私には無理なのではないかと、内観をする前から、あきらめにも近いような思いさえありました。しかし、今までの事を反省してこよう、反省できればいいんだと自分では思っておりました。ですが、せっかくの機会なのだから、今の自分を変えたいという気持もあったのは事実です。
内観が始まったと同時に不安になりました。びょうぶの中にすわっていても雑念が入り、全くと言っていいほど集中できませんでした。非常に時間が気になり、時間との戦いでした。ため息ばかりついていました。
面接となっても、うわべだけの事をただ報告していただけだったと思います。調べていなかったんです。無意識のうちに、いい事だけを言おうとしている自分がいました。
内観初日、布団の中で、私はここへ一体何をしにきたのだろうと問い掛けました。漠然としたものはありましたが、はっきりしたものは見えてきていませんでした。
内観1日目、ほんの少しずつではあるけれど、頭の中に浮かんでくるけれど、うわべだけのことしか言えない。母について調べましたが、なかなか深く調べる事もできませんでした。
父についても調べましたが、私は気持の中で拒否していました。そう簡単には気持は変わることはない。小学校くらいまでだったら、父への内観をしてもいい。そんな気持が自分の中にありました。内観2日目、父親についてしましたが、中学生以降から、調べる事ができませんでした。イライラしてしまい、気持もおちつかなくなり、集中できませんでした。
今思うと父親に対して私が一番つらかった時期でもあり、私は本当の自分の心の中を見る事を恐れていたのだと思います。どうしてつらい時期を見なくてはいけないのか。父親に対する気持は変わらないのだと思っており、反発する気持さえありました。
内観3日目、母親について2度目の内観となりましたが、1度目の時より少しでしたけど、母親の立場になって調べることができました。今まで気付かなかった事が色々と出てきました。自分本位でわがままで自分勝手で、本当に最低だと思いました。親不孝な娘でごめんなさいと心の中で何度も謝りました。
感謝の気持が全くといっていい程ない自分にがくぜんとしました。してもらって当たり前だと思い、生きてきた自分が本当に本当に情けないです。自分一人で生きてきたような気持ちがありましたけれども、でも決してそうではないということを改めて感じました。
6年間東京で生活していた時も、全く気付くことがなかったです。母親について調べている時も、母親の笑った顔しか、私の中には出てきませんでした。いつどんな時も、あの笑っている母親に見守られており、私は幸せです。そんな母に対してもして返した事が全くといっていいほどない自分は、情けないです。
これから母に対して不平不満を言わず、家事のことなど今まで以上に手伝いたいと思います。今まで淋しい思いをさせた分、自分なりに母親が喜ぶことをして返していきたいと思いました。
父親について、1度目は途中でだめだったので、2度目も自分自身不安がありました。やはり中学生の頃からなかなか調べることが出来ず、父親に対しての自分の気持をみるのが恐かったし、ひとつ深い所へ入っていくのが恐かった。
けれど、先生が気分転換にと散歩を勧めて下さった事で気持も落ち着きを取り戻し、内観が出来るようになりました。それから、私の中で、「ここを乗り越えないと自分は変わる事はできないのかも知れない。」と思うようになり、真剣に父親に対して調べました。
高校生の頃、最も思い出したくない事と真正面から向き合いました。正直、とてもつらかったです。父親に対して刃物の刃先を目の前につきつけた事は、これから先一生消えることのない事実です。とても大変なことをしてしまった最低の人間です。一生かけてでも償おうという気持です。(座布団をかきむしり、涙を流しながら、話されました。大きな転機でした。)
内観をする前は父親と会話もしていない、顔も合わせない生活でした。父親の悪い所ばかりを見て、心の中で憎んでいました。こんな人は私の父ではない。父親はいらない。いなくていい。家から出て行って欲しい。父親がいなくても私は自立できる。そう思っていました。
しかし、内観をする事で、自分は父親に対して、自分から壁を作っていた事に気付きました。昔から、父親に対して、恨みつらみの念が自分の中にひそんでいた事を認めました。そんな私の心は、とても恐ろしく真っ黒だったと思います。
けれども、気持を認めたことで、父親に対して申し訳ない、とてもすまない事をしたという気持で一杯になりました。父からしてもらった事を思い出しました。そして、父親の笑った顔さえ浮かびました。
これからは、父親に対して少しずつでも会話を持つように努力します。それと、父親が喜ぶようなことを身近なところから始めていきたいと思います。
先生も、「お父さんへのわだかまりが取れてよかったですね。」とおっしゃって下さいました。私の気持も今までにないくらい、何か取れたようで軽くなりました。この時、私は、「もしかするとこの為に内観をしに来たのではないか。」と思えました。
貴重な体験をさせていただいたと思っております。本当にありがとうございました。一週間本当にお世話になりました。自分の為に毎日おいしい食事を作っていただき、本当にありがとうございました。今日のこの気持を忘れることなく、これから先の人生を歩いていきたいと思います。