般若心経の眼目は、「空(くう)」ということです。古来いろんな解釈がなされていますが、原語からいくと「空」とは、「無執着」という意味です。もっと正確にいいますと、「無執着にすら無執着な無執着」です。 これを 薬師寺の高田好胤師はわかりやすく、「かたよらない心。こだわらない心。とらわれない心。広く広く、もっと広く。これ般若心経、空の心なり。」と訳しておられます。 なぜそうなるかと言いますと、お釈迦様が発見された「縁起の法則」からなのです。縁起の法則とは、原因にいろんな縁が加わって結果が生じる。その結果がまた新しい因となって、次の結果が生じるという事です。 この繰り返しで、万物は生々流転するのですよと お釈迦様はおっしゃっておられます。 例えれば、木の実があって、太陽や肥料や雨などの縁に出会うとすくすく伸びて新しい実ができるようなものです。途中、台風や烏などの縁に出会うと実をつけないと言う事もあります。 ですから万物は「無常」です。「常で無い」とは、変化するという事です。宇宙レベルの永さでみると、固定しているのは仮の姿で、変化しているのがむしろ本当の姿なのだと仏法では考えます。 ところが、人間はたかだか百才の寿命で考えるものだから、いろんなものが変化しないと錯覚して、ついついこだわり過ぎ、自分自身で問題をおこしているところがあります。やれ、酒だ、女だ、男だ、地位だ、名誉だ、面子だ、金だ、善だ、悪だと いろいろな事にこだわって悩み苦しんでいます。 仏教には、絶対善や絶対悪はありません。状況によって、善が悪になることも、悪が善になることもあるのです。ある人には良い健康法も、他の人には体を害する結果になる場合もありますし、高度成長時代には悪かった事が、低成長時代には、逆に奨励される事もあります。いい事や悪い事にすらこだわり過ぎると問題となるのです。 だから、「こだわり過ぎなさんなよ。かたより過ぎなさんなよ。とらわれ過ぎなさんなよ。とらわれないと言う事にすらとらわれ過ぎなさんなよ。宇宙のようにとてつもなく広いおおきな心をもって生きていきましょう。そうすれば幸せになれますよ。」と般若心経は言っているのです。
言い換えれば、融通無碍な心、寛容な心、多面的に観る心、無執着な心をもちなさいと言う事でしょうか。 合掌
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「いかなる罪も」 |
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いかなる罪も
すがしく薫る
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なにを思いつめて いられるのであろうか
衆生の救い難きをであろうか
きりりとむすんだ口もと
それは柔和なお顔の観音に
思えば青年時代の世尊は
あゝそれにしても
生きる力と
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