内観体験記6

【 妻と子供 】
(45才 男性)

最初に{内観}と言う言葉を耳にした時、なつかしい気持ちと大変だなあという気持ちが同時に起こりました。なぜかというと、実は私が29才の頃、本屋で何気なく買った本が内観の本だったのでした。

それから約2週間、朝礼前のキャバレーの酒臭い白壁の前に1時間ずつ座っておったと思います。なにぶん、本の読みかじりで、我流でやったものですから、今回の様なものではありませんでしたが、父や母、家族や友人、店の人々に対する{有難さ}に初めて気付かされた思いでした。

何せ、それまでの私といえば、{自分は何につけ特別なのだ。}と自信過剰、唯我独尊のかたまりの様な人間だったからです。

そして今日、これまでの16年間、ある人達、特に私にとって最も大切な人々に本当に感謝の気持ちを忘れ、{してやっている。}と自分勝手に思い込んで苦しめてきていたことを嫌というほど思い知らされました。それは、妻、長男、次男に対してでした。

長男が交通事故で瀕死の重傷を負いました。そのショックで妻は、二番目の子供を流産しかけました。私は1週間、息子を抱いて、ベッドの上で必死に祈り続け、看病し続けました。私の祈りが神仏につうじたのか、なんとか長男は助かり、妻も流産せずに 無事、次男を生む事ができました。

長男が事故にあい、次男が流産しかけた頃から、私は3人の命の恩人なのだと、身勝手に貸しを作っていたつもりになっていたのです。特に妻に対しては、子供を作り、育て、私に奉仕するのが当たり前とまで錯覚していたのです。

その為に子供達にまで、妻の事を、料理がへただの、グズだ、バカだとさえ言ってはばからなかったのです。結婚して11年と丸10ヶ月、その大部分の10年間、そんな私に耐え続け、忍び続けてくれた妻です。

今日からは、この10年間の私の罪を一生かかっても返せる様、一日一日を大切にお返し出来る様、努めてまいります。

1週間で一つの大切な事に気付かせていただきましたが、私の我の為に幾人の人達を傷付け、不幸にしてきたのかわかってはいません。少なくともこれからお会いする人達に、傷つけではなく癒しを、不幸ではなく幸福を与えられる様、一日一日を暮らしてゆきます。こんな事を書いている私はまだまだ傲慢なのでしょうが、ここから出発します。

この機会を与えて下さった方々、お寺の皆様、研修場の隅々まで、有り難うございました。また、私の断食のためにご迷惑もおかけしました。

初日、先生から、{タバコは毎食後一服ずつ}と言われたのにもかかわらず、私は部屋はもとより、五重塔のトイレ、内観室でも、昨日まで吸いつづけておりました。本日、この部屋、トイレを掃除させていただきましたが、こんな我が侭な私をお許しくださり有り難うございました。

この内観で、自分自身を自分自身がいかに理解していなく、多くの人々に多くのご迷惑をおかけしていたのではないかという事だけ 気付かせていただきました。

今回、父母と妻、長男、次男に対して、また、自分のおろかさと、感謝の無さに気付かせていただきましたので、それ以外の人達についても本日より内観してゆき、今、我何を為すべきかを真剣に考え、日々の生きざまの中に入れ込んでまいります。

また悩み、この場へまいる事もありそうです。そんな自分を今まで以上に愛し、また、全てに感謝できる{私}となってゆきます。本当に皆様、有り難うございました。

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