内観という言葉は知っていながら、どういうことが内観なのか、自分自身体験したことがないので、全くわかりませんでした。指導者の方の最初の助言として、「相手の立場になって考える」「具体的に思い出して、その時の相手の気持ちを推測する」「自己を反省していく」「何ごとも人の立場にたって、相手から見た自分を考える」それが内観法だと教えて下さいましたが、正直そのことを聞いても何が何だかわかりませんでした。
2日目朝のお参りで、お堂を回りながら般若心経を唱えるわけですが、風が強く雨も降り出して、外は真っ暗、たくさん着込んだ服でも足りず耳がちぎれそうでした。しかし、そのお経を唱えながら、少しずつ内観に入っていけるような気がしました。2日目の朝から徐々にスーッと内観へ入れるようになったと思います。
初め母から始めましたが、記憶をたどっていくうちに、母がどれだけ私の為に苦労して人並み以上のことをして育ててくれたのかを知りました。母は普段から口数少なく、時に頼りないと思っていた私でしたが、いかに我慢強く、誰よりも私を理解し行動していた事を改めて知りました。母の私を育てた人生は、母としての生き様を後姿で教えてくれたからこそ、今の自分があるのだと改めて感じました。
子供時代たくさんの心配をかけたこと、今も私や孫を思ってくれる愛情を再認識し、今度は母が幸せになれる様に私が支えていかなければならないと強く思いました。
次に父についての内観は、ここに来る前から、するかどうか悩んでおりましたが、母のことをしていくうちに涙があふれてきて、もう逃げずにしてみようと思いました。
父について私は別れてからというもの、恨み憎しみを持って、それをバネにして生きてきました。内観を受けてその気持ちが変わるのがいやだったのは事実です。記憶をたどっていっても父の父親らしさは見えず、単に男として生きてきた父の姿を再認識し、怒りと「何で?」という気持ちばかりがこみ上げてきました。
そこで面接の時、面接の方に、自分は「今まで自分は、恨んでる父のことを考えないように避けて生きてきた」「内観することによって相手の身になって考えるなら、相手を理解したり許すことを無理にでも言わなければならないのか、それは自分にはできない」ことをお伝えしました。
面接の方は「ありのままの自分を見つめることでいい。どんな関係であっても、この世の中には父と母は一人しかいない。二人がいなかったら自分は生れていなかった。しかし、内観したら恨みもなくなったと、嘘はつかなくてもいい。ありのままを見つめてください。汚いこと、いやなことを吐き出して、それを口にして、それを自分の耳で聞いて見つめる。そして、我々面接者も内観者の報告を聞くことで、自分自身はどうなのか内観させてもらっていると・・・・・。」
私は今まで、他に7名来ており、聞くのも大変だろうからと思い、調べた内観3項目(していただいたこと・してさしあげたこと・迷惑かけたこと)の報告を短くまとめ、済ませなくてはいけないと思っていましたが、それから面接者の方に何でも言えるようになりました。
深く考えていますと、父が赤ちゃんの頃の私を抱いている姿があることに気付きました。その後、紐が解けたように泣きっぱなしになりました。一緒に暮していた時、父が大好きだった事に気付きました。父に対して恨んでいた事が、真実はもしかしたらこうだったかもしれない、ああだったかもしれないと思えるようになりました。今は父に対して、元気で生きていてほしいと思います。
次に夫に対してしましたが、これほどまでに家庭を守り、私や子供を大切に思っていてくれたことで、感謝の気持ちでいっぱいになりました。これからの人生、出会えた主人の為に、自分が何かしてやれるか、常に彼の立場になって考えて、一緒に生きていきたいと思います。
義母については今まで不満をもっていたのが、内観したことによって、たくさんのことをしてもらい、気遣ってもらっていたことに気付きました。今後は温泉に連れて行ったり、元気なうちにたくさんのことをして差し上げたいと思っています。
子供について、この世で私の子供として授かったことに感謝し、二人の頑張りに感謝して、これから毎日抱きしめて、たくさん話をしようと思います。
私はたくさんの方の愛情でここまで来れたことを、また皆んなのおかげで幸せに生きている事を改めて知りました。私と関わったすべての人に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
そしてこの面接にあたってくれた方々との出会いにも感謝いたします。おいしい食事をありがとうございました。