このたび集中内観を体験させていただき、お伺いする前の期待 と想像とは全く違う心持で帰路に着く自分を不思議に、そしてう れしく思っております。紹介をいただいた方にもあえて内容は聞 かず、素のまま受けてみようという気持ちで参りました。
当初は、恥ずかしながら自らの自己中心ぶりを充分に発揮して、 自己主張・自己憐憫から入り、母に対する調べも、どこか自己主張のような、優等生が発表会で発表しているような何とも恥ずかしい発言だったように思います。
私の今までの生き方の中の、そこそこうまくやって切り抜ける という、中途半端なこしゃくさの表れだと思いました。案の定、 後からでてくる言葉と最初の頃に出てきた言葉とでは、自分で発 言していても、どこか他人に借りた言葉のようだった気がします。
内観中、最初にハッとさせられたのは、一通り母に対する調べ を終えて、父に対する調べが始まった頃からでした。夜、就寝前 に最初の調べを終え、暗闇の中で「父のは、やりたくないなぁ、 やれないなぁ」としばらく考えておりました。というのも、高校 生の頃から父の暴力を受けていた事があり、その頃のことはもちろん、それ以前の父の事など考えたくもなかったのです。
現在の体を不自由にした父に対する思いも、自業自得だとの思 いで決着していると思っておりましたので、「今さら何を調べるのか?憐れむのか?」と暗い天井を見つめて、「どうしようか」 と思っておりました。
翌朝起きて、でも折角ここまで来たのだし、それに考えてないと眠くなりそうだなどと真剣味に欠けた気持ちで始め、小学一年 から小学三年までは、また他人の口から出たような言葉で終わりました。
小学四年から六年までの自分を調べた時、急に幼い頃の鮮明な思い出が一つ二つ思い出され、挙句の果てには、その時住んでいた借家の間取り、夕焼けに照らされたその自宅前の色、においなどが、ワッと頭の中に広がりました。
すると涙が止まらなくなり、こちらにお伺いする直前に訪ねた父母の現在の顔が頭に浮かんできて、心がしめつけられるように切なくなりました。調べていたその頃の楽しい思い出と共に、父と母の愛情が一気に心に流れ込むような感じを受けました。
そうなってしまうと、冷静に、以降の父の調べを続ける事ができず、もう一度、母の調べに戻っておりました。この時の感情は、 自分でも何が私をそうさせたのか、何の力が私に及んだのか、 説明をしようと思っても、今でも無理だと思います。
とにかく、この事をきっかけに、また一から両親に対する調べを始めたのです。母についての事例は前回と同様のものもありま したが、心持が変わっており、私の受けとめ方が随分違っていた ように思います。すると、一回目では思い出しもしなかった事例が頭に浮かんできました。
父に対する調べも、思いもよらなかった事柄が次々に思い出さ れ、最終的には、自業自得だと思っていた父の病の事も、私に責任の一端はあるのだと、謝罪の念で一杯になりました。
両親への尊敬と感謝の思いをどんなに長い間忘れて、自己中心的な考えの中で生活していたかを考えると、こんな年になって恥ずかしく申し訳ない思いです。
口ではいくらでも綺麗事やうそなど、上辺だけのことは言えても、心からの感謝や謝罪は、なかなか言えないものだと痛感いたしておりましたので、お蔭様で帰りましてから早速父と母に会いに行こうと思います。
本当にありがとうございました。また、私自身の幸せの為にも、 内観の習慣を忘れずに続けていきたいと思っています。ありがとうございました。